第70話 遠雷 4
「閣下っ、中将っ おやめくださいっ!」
騒ぎを聞きつけた若い士官たちが止めに入る。
それでも二人は互いの腕をがっちり掴み離そうとしない。
辺りは騒然として、気がつけば二人は数人の士官たちに取り囲まれていた。
それでも士官たちはやっとの思いで二人を引き離さねばならないほど、熾烈な喧嘩を繰り広げていたのだった。
ゼエゼエと全身を振るわせながら荒い呼吸をしたまま、それでも二人は睨みあっている。
「お二人とも何があったのです?」
エルンストより十歳は年上で、中肉中背、口ひげを生やしたオイゲン中佐が仲裁に入る。
「邪魔をするな。これは俺とファーレンハイトの問題だっ」
「だからと言って、止めないわけにも参りません」
両腕を士官たちに押さえられながらも、まだエルンストはファーレンハイトに掴みかかろうともがく。
オイゲン中佐はいささか呆れた顔をした。
「ですが閣下。兵士同士のいさかいは軍律によって禁止されております。お二人とも営倉に入っていただきます。それでよろしいですか」
「くそっ」
エルンストは全身から力を抜いた。それど同時にファーレンハイトも「離せっ」と自分を拘束していた士官たちを一喝した。
「何があったか存じませんが、ほどほどにして頂きたいものですな」
苦い表情のオイゲンに対して、
「世話の焼ける上官で悪かったな」
エルンストが憎まれ口をたたくと、床へ、へたり込んだ。
それには答えず、敬礼をするとオイゲン以下士官たちは執務室を出ていった。
「本当に世話の焼ける上官だ」
ファーレンハイトが睨むと、エルンストは無言で天を仰いだ。
フィーアの過去をエルンストは気にしているつもりはなかった。けれど、フィーアは気にしていたのだ。
俺の行動は自己満足に過ぎなかったのか?
あいつは奴隷の身分を気にして、悩み苦しんでいたのか。
だから冥府へ行きたいなどと言ったのか。
身分差。
上の立場の人間には気にならなくとも、下の立場だったら当然感じ方は違う。
俺はそれに気づかなかった。
まして、フィーアはべーゼンドルフ家の将来を案じ、俺の前から姿を消そうとしていた。
どうして俺は、もっとあいつを気遣ってやらなかったのだ。
エルンストは床に拳を叩きつけた。
それを見ていたファーレンハイトは、
「大切な女を泣かせるな」
そう言い残して、執務室を出て行った。
残されたエルンストは手の甲で口元についた血を拭うと、窓を見る。
今からでも遅くはないだろうか。
見つめる闇の先は何も見えなかった。
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