第27話 宵待ち草 6
ルイーザとハンスが夕食を作っているころ、入浴を済ませたエルンストは自室でシルバーブロンドの髪を風に揺らしていた。
大きく開かれた窓からは、百合の花の香りとともに、少し湿気を含んだ夏の風が流れてくる。
「もう夏か」
夏が来ると、屋敷を取り囲むように植えられた百合の花が膨らんだつぼみを一斉に開かせる。そして、蒸せるほどの香りが屋敷を包み込む。
エルンストはこの季節が嫌いだった。何故なら、百合の香りが幼い頃の記憶を呼び起こすからだ。
あれはいくつだったか。
『・・・ではないと言うのかっ』
『さようでございます、旦那様』
エルンストの父と執事のバルナバスが、屋敷の庭にある東屋で話ているのを幼いエルンストは偶然耳にした。
『奥様は不義を働いておいでです』
『カミラがまさか・・・そんなっ』
幼いエルンストには最初のうちは話の内容が良く理解できなかった。
『エルンストが俺の子ではないとっ』
『!?』
雷に打たれたような衝撃だったことは記憶している。
けれどその後のことは、よく覚えていない。
父に嫌われまいと、勉学、剣術、帝王学。どれも完璧にこなした。
自分の息子でもないのに、何も言わず育ててくれたことは感謝している。けれど、父が死んでホッとしている自分もいた。
百合の花は母が好きな花だった。凛として気高く美しい人。けれど、その母は父を裏切っていた。
何度母にその理由を聞こうとしたことか。けれど、結局聞けずに死んでしまった。ちょうど百合の花が満開の頃だった。
幾度、百合の花を抜いてしまおうかと思った。けれど――出来なかった。
「宵待ち草か」ポツリ呟く。
今日は月が美しい夜だった。
「ご主人様」
フィーアだった。ワゴンにワインと干し肉を乗せて入ってきた。
「もう少しだけお時間を頂きたいとハンスが言っていました」
「そうか」
百合の香りが一層強くなった気がした。
何故?と言った表情のエルンストに、フィーアが説明する。
「ワインと干し肉だけでは風情が無いので、ご主人様の目が楽しめればと、一輪取って参りました」
小さなグラスに百合の花が差してあった。一枝に四つの花がついている。
「干し肉にも何かついているぞ」
エルンストは干し肉に添えられた赤い花びらをつまむ。
「バラの花びらでございます」
「食えるのか?」
「いいえ、それは食用ではございません。あいにくトマトを切らしておりまして、指し色として添えてみました」
確かに白い皿に赤が映えている。
「我が家にバラは無いと思うが」
「買い物の帰りに、洗濯屋のギードからもらいました。ちょっとしおれてしまったので、そのまま捨てるのも可哀そうだったので」
ギード?男か。
俺の知らないところで何をしている?
エルンストはムスっとしている自分に驚く。
フィーアは侍女だ。何度も自分に言い聞かせた。侍女として彼女の運命を見守ると決めたのだから。
フィーアはグラスにワインを注ぎ薔薇の花びらを一枚浮かべ、エルンストに渡す。
エルンストはそれを一気に飲み干した。
もう一度、フィーアはワインをグラスに注ぐ。
赤い液体はグラスの中で弧を描き、花びらは踊った。
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