第15話 新たな生活 1

 エルンストの朝は早い。皇帝付き騎士団は皇帝の身辺警護がメインのいわゆる近衛兵だが、任務はそれだけではなく皇帝の命を受けて国境に赴き各国の視察なども行う。

 

 今日は週に一度の皇帝との謁見日で、騎士団の近況報告などをする予定だ。

 黒の軍服に赤い懸章をつけ、マントを羽織る。ブーツも軍服と同じ黒だ。普段腰には剣をさしているが、正装の時はサーベルに変わる。そして左手には白い手袋を持つ。


「ご主人様っ!」


 コンラートが青い顔をしてエルンストの部屋に飛び込んできた。


「なにごとだ。朝から騒々しいぞ」

「先ほどヘレナから聞いたのですが、あの奴隷をご主人様付きの侍女にされるとか!?」

「そうだ」


 涼しい顔で言いのける。


「とんでもございません。侍女は下級貴族の娘と決まております。奴隷を侍女にするなど、どうかお考え直して下さい」

「俺が前例をつくってやったのだ。むしろ感謝して欲しいものだな」

「そんな前例など要りません!」


 エルンストはため息をついた。この昔気質むかしかたぎの頭の固い老人は『名門の恥だの、やれ奴隷が・・・』などと難癖をつけて、フィーアを屋敷から追い出そうとするかもしれない。


 ・・・あれは魔性の女だ。


 宮廷の女どもは、自分に色目を使いすり寄ってくる。そんな女性たちを見慣れているエルンストにとってフィーアは意外性を感ぜずにはいられない存在だった。


 急に黙り込むエルンストをコンラートが不思議がる。


「ご主人様、いかがされましたか?」

「コンラート、あの娘の名はフィーアだ。二度と奴隷と言うな」


 不満げな表情を浮かべるコンラートだったが、


「存じております。さらに昨夜フィーアを見た使用人数名に箝口令をしいております」


 苦虫を噛み潰した顔でエルンストを見上げてきた。


「さすがに手際がいいな。俺がお前を筆頭執事にしているゆえんだ」

「お褒めいただいても、何もでませんぞ」


 難しい顔をゆるめることなく、マントをエルンストの肩にかける。


「皇帝陛下のお耳にこのことが入ったら、どんなお叱りを受けるか。まさかべーゼンドルフ家お取り潰しなどにはなりませよね?」

「お前は心配性だな。陛下はそれどころではない」


 ・・・それどころではないのだ。宮廷の女の尻を追いかけるのに忙しい。


 コンラートの肩をポンと叩きエントランスまで歩いてくると、「行ってくる」そう言って愛馬にまたがり出かけたのだった。


***


エルンストが出かけた屋敷の台所でフィーアは同じ年の侍女、ルイーザから屋敷での暮らし方や、侍女としての仕事内容を教わっていた。


「侍女は何でもしなきゃならないのよ。あんたはご主人様付きだから、まず身の回りのお世話でしょ。それから今みたいに皿洗いや掃除、洗濯、買い出し。雑用が結構あるのよ」


 洗い場にたまった食器をすすぎながらルイーザはため息をつく。


「コックは食事を作るだけ。庭師は庭の手入れだけ。馬番は馬の世話だけ。どうして侍女は何でも屋なんだろう」

「あら、執事さんだって何でも屋じゃないかしら?」

「コンラートさん?あの人はみんなに命令を出すだけだから楽なもんよ」


 文句を言いながらも、洗った食器を手際よく片付けて行くルイーザを見て、この子とは気が合いそう。とフィーアは思っていた。

 きっと素直なのだと思う。心に淀みがなく、思ったことを口にする。


「あっ、それからね・・・」


 急に辺りを見回して小声になると、ルイーザはフィーアに顔を寄せてくる。


「時々なんだけどさ、ご主人様はその・・・。娼婦を買われるんだよね」


 昨夜のエルンストとの会話のやり取りを思い出し、納得するフィーアだった。


『俺は娼婦を否定しない』


「どおりで」

「何?」


 不審がるルイーザに首を振る。


 わざわざ足を運ぶのだから、高級娼婦の元へだろう。彼女たちは、貴族や王族の愛妾になることも多い。政治や学芸にも明るく、社交界に通用するふるまいを身に着けえていると聞く。

 教養の高い娼婦に貴族の殿方が足しげく通うのはよくあることだ。


「ご主人様は宮廷じゃあとても人気があるのにさ、そんな所に通うなんて、ちょっと幻滅しない?」

「・・・そうね」

「クールな顔して結局スケベなのよ」


 仕事に対しては真摯に取り組むし、クールな容姿は何の問題もないどころか、むしろ上級。なのに色欲には抗えないなんてがっかりだとルイーザは付け加えた。


「所詮男なんて、そんな生き物なのね」

「ルイーザはご主人様が好きなの?」


 クスクスを笑いながら問うと、彼女は「まさかっ」と首を振る。


 どうやら自分が仕える主人には幻想を抱くものらしい。真面目であって欲しい。一人の女性を愛して欲しい。ゲスな行動はしないで欲しい。自慢できる主人でいて欲しい――。切がない。

 特にエルンストのような美形だったらなおさらのようだ。


「こらこらあなた達、手が止まっているわよ。仕事はたくさんあるんですよ」


 ヘレナが屋敷の畑から採ってきた野菜をかご一杯に抱えて立っていた。

 二人は肩をすくめて、慌てて食器を片付けたのだった。


「それが終わったら、フィーアは水汲み、ルイーザは洗濯よ」

「はーい」


 ルイーザはうんざりしたように返事をする。

 ヘレナは忙しそうに再び台所を後にした。


「ヘレナさんは良い人なんだけどさ、人使いが荒いのよ。あーあ、上級貴族の奥様が羨ましいわ」

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