第2話 奴隷の女 2

「アーデルはまだ小さいのです。せめて重い鎖だけでも外してあげてください」

「そうか」


 ニヤリと頷くと、奴隷商はフィーアの鎖を外すと華奢な体を軽々と抱え上げ、道端へ放り投げた。


「うっ」


 したたかに背中を地面に打ちつけ、苦悶の声を上げた。


「俺に生意気な口をきくとどうなるか、こいつらの前で教えてやるよっ」


 黒い影がフィーアの上に重なると、太ももに手がかけられた。

 フィーアのカラカラに乾いた喉は声なき声を発そうともがいた。喉に熱い空気が流れ込む。身体が燃えそうな暑さなのに、全身が冷えて行くのが分かった。


「ご主人様っ!」


 声を上げたのはベルタだった。


「どうかご主人様、今日のところはお許しください。フィーアはまだほんの小娘です。あたしのほうがご主人様を楽しませることが出来ますっ」

「それに、家畜とそのような行為をしては、むしろご主人様がこちら側の人間になりますじゃ。噂はあっと言う間にこの国に広まりますしな。庶民はそのような話が大好きですじゃ」


 二人の機転でフィーアは再び灼熱の元にさらされた。

 肩で息をしている自分に気づく。


 奴隷女を慰み者にする買い主はいくらでもいる。しかし何故か奴隷商はあっさりと身を引いた。そしてフィーアにアーデルを背負って歩くように命じると、二人の手首を縛っていた縄を解き、アーデルの腰の鎖を外したのだった。


 後でアンゼムから聞かされ分かったことなのだが、この国では奴隷商は奴隷と交わることを禁止する法律があるらしかった。

 アンゼムが宮廷に仕えていたのは本当のようだ。奴隷商でなければ知りえないことだったし、庶民はそのような法律を知らない。フィーアも知らなかった。


「フィーアお姉ちゃん、ありがとう」


 背中からアーデルの可愛らしい声が聞こえる。


「うん、お姉ちゃんが町までアーデルを背負っていけるように、応援していてね」


 奴隷としての生活は辛く厳しいけれど、この子がいれば私は時計を止めずにいられる。

 フィーアにとってアーデルは生きる希望だった。


 鎖に繋がれたのは一体いつだったか?

 思い出そうとするけれど、その時のことははっきりと思い出せない。それはあまりに突然で、運命に抗うことすら許されず地獄に叩き落とされたから、その時の記憶がぽっかり抜け落ちてしまっていた。


 この鎖が外されるのは、誰かに買われた時か、命の炎が消えた時。命数が尽きる理由はどうであれ、後者ならばそれなりに幸せなのだとフィーアは思う。しかし前者であるならば、どんな残酷な運命が待っているのか計り知れなかった。


 知らない誰かに買われて、新な人生が始まるとは思えない。むしろこのままのほうが幸せなのかも知れない。アーデルと一緒に町や村々を回っていたほうが。

 

 叶うはずもない世迷言に想いを馳せていた時、ふと、一陣の風がフィーアの汚れたハニーブラウンの髪を揺らし、意識を地上に呼び戻された。ぼんやりとかすむ視線の先に、高い石壁と門が見えてきた。


 着いたのね。


 背中ではアーデルが寝息を立てている。


 町への入り口である門は開かれ、その両側には衛兵が立っている。先頭を歩く奴隷商の男は衛兵に何やらぺこぺことしている。

 しばらくして、一行が町へ入ることを許されたようで、フィーアたち鎖で繋がれた奴隷の列はゆっくりとその門をくぐったのだった。




 ここはカールリンゲン帝国の小さな田舎町。

 

 町を少し歩くと、井戸水で遊ぶ子供たちの姿が目に留まった。おそらくアーデルと同じくらいの年頃だろう。水は貴重だが、今日は水遊びをしたくなるほどの暑さだ。キャッキャと声を上げて、井戸からくみ上げた水を両手ですくっては互いにかけあっている。

 

 透明な水の粒が光を反射して輝く。それは宝石より価値あるもののように瞳に映る。

 水が飲みたい。乾いた喉を潤したい。


「フィーアお姉ちゃん」


 いつの間にかアーデルが目を覚ましていたらしい。


「どうしてあの子たちは鎖につながれてないの?」


 当然の疑問だろう。幼いアーデルに果たして理解できるだろうか。


「お姉ちゃんにもよく分からないのよ」

「何でも知ってるフィーアお姉ちゃんでも、分かんないの?」

「うん」


 アーデルは奴隷であるアーデルの母と、少し前に他の町で売れた父との間に生まれた子だった。

 奴隷の子供はこの世に生まれ落ちた時から、奴隷として扱われる。奴隷は男女常に生活を共にしているから、そういうこともあるのだろうけれど、どうして不幸な子供を作るのかフィーアには不思議でならなかった。何故自分たちの業を子供にも背負わせるのか理解できなかった。


 おまけに母親はアーデルにまるで興味がない。むしろ厄介なお荷物たど感じている節さえあった。


「あたしも水遊びしたい」

「いい子ね、アーデル。我慢しましょうね」

「イヤイヤ、井戸へ行って」


 背中で足をバタつかせ騒ぐアーデルを鎮めるのに、フィーアは一苦労だった。


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