第18話これが全ての始まりで


 用済み、そう言った晃史君は私を冷ややかに見下ろしている。


 場所はいつものように彼の部屋。

 放課後はいつもここに来るのが日課だから。


 大きな家だけど誰も居ない、私にとって牢獄のような空間。

 薄暗い部屋で恋人同士であるはずの私達は、甘い時間を過ごしたりはしていない。


 約2ヵ月と少しの間、私はずっと尽くしてきた。

 全ては私が嘘をついてしまったから。

 たった一度。でもそれが決定的に私達の関係を壊してしまった。

 私はここに来るといつも制服のシャツを脱ぎ、キャミソール姿になる。

 どうやらその姿でいたぶるのが好きらしい。

 少しでも嫌がればビンタが飛んでくる。

 

 私がここでしているのは彼のストレス発散だ。

 学校で嫌な事があっただの、家の人からの圧力が鬱陶しいだの。

 彼が持つマイナスの感情の全てをぶつけられる。

 そうすれば理解出来るようになるらしい。

 嘘というマイナスな行動が起こす結果がね。


 ……私、もう十分理解したよ。

 晃史君は初めから私を好きだったんじゃないんだ。

 この2ヵ月でもう嫌という程分かったの。


 彼は自己というものが好きで堪らないんだ。

 私と付き合ったのは私のような気の弱そうで従順そうな子が居れば、自己肯定感を十分に得られるから。

 そしてもしも逆らえばこうしてストレスの捌け口に出来る。


 それに気付いてしまったから、私は唯一体だけは許せなかった。

 暴力も暴言も全て受け入れられる。大好きだもん。


 だけど……せめて初めてだけは、本当に私の事を愛してくれる人としたいと思ってしまった。


 ……おかげで体中痣だらけだけどね。


 それにこうやって耐えていれば、いつか晃史君が私を愛してくれるかも知れないから。

 その時は本当の意味で私の全てを捧げたい。


 そう思っていたのに。なのに──


「用済みってどういう事なの……!?」

「言葉の通りさ。もうここに来なくて良い。俺達の関係は終わりだ」


 終わり……?

 それってここから解放されるって事?


 ……そう思えたらどれだけ楽だったろうか。


「い、嫌だよ私……だ、だって晃史君と離れたら何の為に今まで──」

「俺にはもう聖が居るしね。いつまでも君とじゃれあって勘違いされたら困るだろ?」

「──……」


 ……なに……それ……

 え……?私にこんな事しておきながらずっとあの女と関係を持ってたの……?


「まぁまだ付き合ってる訳じゃないけど彼女の気持ちに間違いはないだろう。学校でも噂されるレベルの美人で、君と違って活発な子だ。良い刺激になりそうだ」

「……」

「これからはまた楽しくなりそうだ。つまらなくなったら……またこうして・・・・楽しめば良いからね。それじゃ瑠衣、今までお疲れ様。少しでも正しい人間になれるようもっと頑張ってね」


 一人で勝手にペラペラと喋り終えた彼は、私に服を着せて部屋の外へと追い出した。


 今何が起こってるのかすら脳が理解していない。


 晃史君の部屋の扉の前で立ち尽くす私は、努めて冷静に頭を回転させる。


 えーっと……私つい今さっきまで大好きな人と一緒に居たんだよね。

 いつものように彼のストレス発散に付き合いながら。

 痛かったなぁ……でも、それでも、私は尽くせるよね。だって大好きだもん。


 あれ?大好きなのになんで私今一人なの?

 壁の向こうに晃史君は居るのに。


 あ、そうだった。晃史君にとって私はもう用済みなんだった。

 自分をもっと認めてくれて、都合良く使えそうな女の子が見付かったからって。


 うんうん……あーたぶん、簡単に言ったら私今捨てられたんだよね。


 ずっと尽くしてきたのに。

 心も体もすり減らして。


 全てはまた晃史君と前みたいに幸せに過ごす為に。


 不思議と涙は出て来なかった。


 ──まぁそれならいつまでもここに居ても仕方ないか。

 早くお家を出ないとね。家の人に見付かったらまた晃史君にストレスを与えてしまう。


 私は制服のシャツのボタンを意識する事もなく留め、本当にいつの間にか晃史君の家を後にした。


 いつもなら電車を使うのに何故だか私は歩いて自宅へと向かっていた。


 きっともうおかしくなってたんだ。


 いつの間にか学校を通り過ぎ、一体何分歩いたのかも覚えてはいない。


 ただ歩いている間ずっと頭の中でぐるぐると、ある思考が巡っていた。


「……私って何であの人が好きだったんだろう……」


 ふと声に出した時、自分が河川敷のベンチの前まで帰って来ていた事に気付く。


 そしてそこには先客が居た。


 髪は伸び切ってボサボサで、背を丸めてスマホを眺めながら口元をニヤつかせている、少し根倉そうな男の子。


 確か2年になって同じクラスになった……誰だっけ……あぁそうだ、伏見──伏見哲也君だ。


 疲弊しきった私は伏見君を発見すると同時に辺りが夕焼けに包まれている事を知った。


 彼はどうやらスマホの画面にご執心なようで、せっかくの夕日が川に反射して、絶景とまではいかなくても十分心を奪われるこの光景に気付いていない。

 そして、背後に立つこの私にも。


 何をそんなにニヤニヤしてるんだろ。


 少しだけ近付いて彼の手元を覗き込んでみる。


 そこには伏見君と、派手な見た目の女性が映っていた。

 ……てかこの人こんなに近付いてるのに気付かない程夢中になって……いや良いんだけどね。


 それにしてもこれ、写真かな……?夕日が反射して誰か分かりにく──え?これ、晃史君の浮気相手じゃ……?


 それに気付いた瞬間、私はすぐに伏見君から距離を取った。


 一体どういう事……?

 晃史君はあの聖って女と繋がってて、なのにその女は伏見君と……???


 でも一瞬しか見えなかったけど……伏見君と一緒に映ったあの女の表情……凄く気だるげだったような……


 まるで、伏見君自身の事には興味がないような……


 そう、この2ヶ月と少し、あの男が私に向けていた視線のような──


「天野──聖が僕の彼女……ふっふっふ……あーくそっ!超叫びたいぃぃ~!!」


 ……十分叫んでるよ。はっきり言ってちょっと怖いよ。

 

 ベンチに座りぎゅーっと自分の体を抱き締める伏見君は、今度はくねくねと体を捻らせ始めた。

 うん、ちょっと所か普通にキモいね。


「ふふっ……」


 遠巻きに彼を見ていると自然に顔が綻んでしまう。


 伏見君って意外とお調子乗りだったんだ。暗そうな見た目してるから少し驚き。

 

 まぁでも……そうか、伏見君は幸せそうで良かったね。


 それなのに私は……


 いや、もう暗く考えるのはよそう。

 

 それに伏見君のおかげで少し心が楽になった。

 彼女が出来て嬉しそうに舞い上がっている彼を見てたらね。

 少しだけ出来た心の余裕に、いつもの冷静な自分が返ってくる。


 ようやく戻ってきた自我を使い、私は自分自身に問い掛けた。


 大泉晃史を許せるか?


 ──許せる訳ない。私がどれだけ尽くして来たと思ってるの。あの男には私以上に苦しんで貰わなければ、私の溜飲が下がる事はない。


 なら手段は選ばない?


 ──もちろん。利用出来るものは何でも利用する。大袈裟に言えば捕まったって良いくらいの覚悟はある。


 だったら最後に一つ問おう。

 あなたは大泉晃史への想いを断ち切れた?


 ──……。



「……うぅっ……ぐすっ……ん……あぁ……!!」



 どうして今なの……止まって……止めなさい私……!


 手で目元と口元を抑えても溢れて溢れて止まらない。

 流れ出て来る涙は塞き止められていたダムの壁が崩壊したかのようだ。


 今泣いているのは大泉晃史が好きだった私だ。

 必死に恋して、耐えて、頑張ってきた私だ。


 ……なら仕方ないか。


 だって本当に好きだったもん。

 だからもうこれで最後だよ。


 もう私があの男の事を想って泣く事は許さない。


 これだけ泣けるくらい好きな私を裏切ったあの男に後悔させるまでは。


 私は夕焼けがほとんど見えなくなるくらいまでの間泣き続けた。


 全部、全部今絞り出した。


 あの男への想いも、思い出も、全部。


 ずっと伏見君の頼りない背中を眺めながら──


「よいしょっと」


 段々と薄暗くなっていく河川敷に気付いたのか、伏見君が不意に立ち上がった。


 全く、どれだけ夢中になっていたのか、後ろで泣いてる女の子に気付きもしないなんて。


 ちょこちょこLINEでも来てたのか返事を悩んでは文字を打ち込んで、少し消して、と……


 本当に好きなんだね、あの聖って女の事が。


 だけど……


 きっとあの女は伏見君に対して特別な感情は持っていない。

 彼女は大泉晃史に想いを寄せているから。


「……!」


 帰り支度を整えている伏見君を見つめながら、私に酷い、あまりにも酷い考えが浮かぶ。


 ──使えるかも知れない。伏見君は。


 あの男に復讐をする為に、使えるものは何でも使う。そう決めたから。


 だから──ごめんね、伏見君。


 そして──


「……ありがとう……」


 既に歩き出した伏見君の背中に向けてそう呟いた。


「え……?」


 少し聞こえてしまったようで伏見君が振り返るが、同時に私も振り返って反対の道を進んだ。


 まだ今日は帰れない。


 私の復讐は今ここから始まるから。

 まずはスマホのSDカードを大容量のに変えないと。揃えるものはまだまだ沢山ある。


 もう立ち止まれない。


 いずれ私は罰を受けるだろう。 

 もう誰も私に手を差し伸べてはくれない、そんな一人悲しい人生を送る事になる。


 それでも、さっきのありがとうだけは利用させてくれてとか、そんなマイナスな感情から言ったものじゃない。


 伏見君。私を助けてくれてありがとう。 

 あなたが私の心に余裕をくれた。

 あなたの笑顔が少しだけ私に未来をくれた。


 これだけは純粋な気持ちだから。


「……」


 そして私は暗くなった街の中へと向かった。 

 涙の跡を消しながら──

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