第17話 バレンタインにはビターなチョコを
これは私が高校1年生、春も近付く2月頃の話。
その頃私には大好きな人が居た。
「晃史君!一緒に帰ろ!」
「瑠衣か、うん良いよ」
「へへ~」
思い返すだけでも吐き気がする。
あの頃の私は学年でも1番と呼ばれるイケメンで、学業や部活動でも好成績を残す傑物のような男に恋をしていた。
表面上彼は優しく人当たりも良い、私にとって理想的な男性だった。
私みたいな陰も薄くて地味な女にこんな素敵な人が告白してくれるなんて、と舞い上がっていたものだ。
「瑠衣、道路側は俺が歩くから君は内側においで」
「う……うん、ありがと……本当優しいよね晃史君って」
「そうかい?」
「うん!大好き!!」
「俺もだよ」
私達が付き合い出したのは1年生になってすぐの頃。
そこから2月まではこんなありふれたカップルでいた。
……幸せだった。少なくともこの頃は。
──事態が急変したのはバレンタインデー当日の事だ。
その日、私は彼に贈る初めてのチョコレートを持って、ドキドキしながら登校した。
夜中まで最高のチョコを作ろうと粘っちゃったせいで、眠気からか足元は少しフラつき気味だ。
まぁ元々朝は低血圧なので遅刻ギリギリだし、フラついてるのもいつもの事だけど。
だけど今日は特別。
早めに登校して晃史君に私の愛を伝えたい。
私は張り切り過ぎていつもより1時間も早く教室の前まで来てしまっていた。
さすがにこんな早く来てる人は居ないだろう。晃史君も含めて。
こんなに早く登校したのは初めてかも知れない。
それだけ浮き足立っていたんだ。
いつもより早く鼓動する心臓を抑えながら、私は教室のドアに手を掛けた。
「やっぱり誰も居ない……」
当然と言えば当然。そして好都合。
元々直接渡すのが恥ずかしいから晃史君の机の中に入れようと思ってたし。
何故だか悪い事をしているようなドキドキを感じつつも、無事に晃史君の机にチョコを入れた。
緊張のせいかお手洗いに行きたくなった私は、カバンを持ったまま教室を出た。
晃史君喜んでくれるかな……甘いもの苦手だって言ってたしビターに作ったんだけど……
おかげで甘いものが好きな私には美味しいとは感じられなかったんだよね……
などと我ながら乙女な事を考えながら教室に戻って来ると、中から何やら不遜な話が聞こえて来た。
『ねね、どーやって晃史君にチョコ渡したら良いと思う!?』
『ふつーに渡せば良いでしょ。てか聖ってばチョコくらいでそんな慌てて乙女すぎw』
『しゃーないじゃん~ガチ狙ってんだしぃ~!』
『確かにイケメンだけどねぇ。あ、一応大泉君の机そこだけどマジでチョコを入れるだけにするの?』
『駄目かな……?』
一人は同じクラスの人、もう一人は聞き覚えのない声だった。
聖……?他クラスの人かな……?
そう思った私はしばらくドアの前で盗み聞きをするように立ち尽くした。
彼女らの話はどうやら晃史君にどうやってバレンタインのチョコを渡すか、更にどう仲を深めるかという話だった。
私と晃史君との交際は誰にも話していない内緒のお付き合いだ。
彼は父親が病院を経営しており、大袈裟に言えば御曹司のような立場。
私のような何の取り柄もない女が付き合って良い相手ではない。
だから私の方から内緒にした方が良いよね、と提案したんだけどそれが裏目に出てしまった。
これまでも晃史君に言い寄る女達は沢山居たけど、晃史君は相手にしてこなかった。
ただ一途に私に愛を向けてくれていた。
でも今回の相手は少し質が悪いみたいだ。
私は更に耳を澄まして教室の様子を探った。
『そういや聖知ってる?晃史君て誰が告白しても駄目なんだってさ。ガチでチョコ受け取ってくれないかもよ?』
『あー聞いた聞いた。もしかしたら女居るかもって奴っしょ?』
『それそれ』
『ま、居たとしても関係ないっしょ!あたし、略奪愛とか結構燃えるタイプだしw』
『聖が言うと冗談に聞こえねーわw』
『だぁって冗談じゃないもん~。ね、チョコさ……やっぱはずいし机の中に入れて手紙入れとくじゃ駄目かな……?』
『ぷっ、乙女発動w』
『う、うるさい!』
……これはまずい。かなりまずい。
聖と呼ばれた女はまず間違いなく晃史に近付いて来る。
私は彼を信じてるけど、少しでも近付かれるのも嫌だ。
ドアの隙間から覗く彼女らの容姿は派手で、きっとベタベタと晃史君という甘い蜜を吸おうとするに決まってる。
本当にどうしたものかと悩んでいると、晃史君の机の中に私のチョコが入っている事に気付かれた。
『あれ、なんかもう既にチョコ入ってるっぽいよ?』
『え!?嘘ぉ!!せっかくあたし早起きして学校来たのにぃ……』
奇しくも私達は同じ思考を辿って1時間も前に学校へ来たみたい。
だけど、次に彼女らが取った行動は、もし私が逆の立場なら絶対にしないものだった。
『誰かしんないけどあたしの邪魔すんなっての!』
──ゴンッ!!
『あれ、聖良いの!?』
『良いってw 晃史君にバレなきゃそれでw』
『ひっどーーw』
私の視界に入って来たのは、夜遅くまで愛を込めて作ったチョコがゴミ箱に捨てられる光景だった。
可愛いくラッピングした晃史君への贈り物は見るも無惨な姿となっているだろう。
この時、私には何が起こっているのか理解出来ていなかった。
それがあまりに信じがたいものだったから。
──それがあまりに悲しかったから。
『ナイッシューあたし!』
『やれやれ……で、早くチョコ入れたら?』
『……なんかはずい。ねぇ……入れといてくんない……?』
『ハイハイ、乙女の頼みなら仕方ないw』
『もーー!!』
聖と呼ばれた女は用事は済んだとばかりに、教室のドアを開けた。
本当に恥ずかしかったのか、私が隣で固まっている事に気付きもせず、走って自分のクラスへと戻って行く。
その間も私はゴミ箱に捨てられたチョコを見つめていた。
当然、開け放したドアから残されたクラスメイトが私に気付く。
「あ、あれ……伊井野さん……?」
「……」
何も返事は返せなかった。
私はずっとゴミ箱を見つめて動けずにいたから。
そしてそんな私の様子を見て彼女も事態を理解し出したのだろう。私に近付いて短く訊ねた。
「あーーー……もしかしてあれ伊井野さんの……?」
ただ一言「うん」とすら言えない。
私の愛の全てが今そこに吐き捨てられているのだから。
私は泣き叫んで怒ったりも出来ずにいた。
ひたすらに黒い感情が沸々と沸いて来るのだ。
──私のチョコだけこんな目に遭うのはおかしいよね???
私の瞳には彼女が右手に持っている、聖という女のチョコしか映していなかった。
「それ、渡して」
ようやく出て来た言葉は酷く冷たい温度を纏っていたように思う。
それに怯えたのか、彼女は固まって立ち尽くしていた。
だから私は彼女の右手からまだ綺麗なままのチョコを奪い取った。
「えっ……!?」
私のチョコはゴミ箱の中でひび割れたものになっているだろう。
綺麗に包んだラッピングも薄汚れて、尖ったものでも入っていたのか、真ん中に何かが突き刺さっている。
これは意味もなく起こった事だ。
いや意味ならあるか。
あの聖という女が晃史君にすり寄る為。
だったら今から私が行う事にも意味が生まれる。
晃史君からあの女を遠ざける為に、私は──
「ちょ、あんたなにやって……!?」
ほとんど無意識の内に行動していたと思う。
奪い取ったチョコを地面へと叩き付けて、私は軽く足を上げた。
そのまま突き落としてチョコを真っ二つにした。
そしてそれはグシャっと、チョコを包む箱が完全に潰れた音が聞こえた瞬間だった。
「──瑠衣……?」
開いたままだった教室のドアから、愛おしい人が私の名前を呼ぶ声がする。
私は今この瞬間にも泣きそうになっていた。
ごめんなさい、あなたにあげる筈だった大切なチョコが、と。
抱き付いて慰めて貰いたかった。
そして優しい声で私を包んで欲しかった。
だけど、今彼の目にはきっとこう映っている。
──自分の彼女が誰かのチョコを文字通り踏みにじっている、と。
そしてそれは彼の中のある異常とも言える信念に抵触していた。
彼は今の状況を見ていくつかの推測を立てたのだろう。
それを確かなものにする為だろう、私と目の前のクラスメイトに1つずつ質問をした。
「……ごめん、勘違いだったら悪いんだけどそれって誰のチョコ……?」
彼はクラスメイトの方を見ていた。
だからこれに答えたのはクラスメイトの方。
「こ、これは大泉君の……。せ、聖から、のだったんだけど……」
「そうか、聖が……」
どうやら既に彼とあの女には接点があったみたいだ。
……そんな事私知らないのに。名前で呼び合うような関係なんだ。ふーん。
だけど私にそんな事を気にしている暇はなかった。
次に彼が私に視線を向けた時、その瞳には恐ろしい程に冷たい、ある種軽蔑のような感情が込められていた。
初めて見る、私への侮蔑の視線。
「瑠衣……まさかとは思うけどせっかく俺の為に作ってくれたチョコを、君のくだらない嫉妬という感情の為に壊したのかい……?」
「ち、ちがっ……私は……!」
そのあまりに恐怖を感じる視線にたじろいでしまう。
本当ならここで「違うの、先に私のチョコをこの人達に壊されたの。だから私……!」と、少しずつでも説明をするべきだったのだろう。
けれどどうしても怖くて、私は咄嗟に言葉の選択を間違えてしまった。
「私は悪くないっ……こ、このチョコも間違えて壊しちゃって……!」
「……本当かい?」
「彼女の言う事が信じられないの!?おかしいよ、どうして先にその人の言う事を前提に──」
私が続きの言葉を口にする事はなかった。
バチンッ、と三人しか居ない教室に、私の頬を叩く音が響いたからだ。
「え…………?」
「瑠衣、君には失望したよ」
未だに何が起こったのか分からない。
え?何か頬っぺたがヒリヒリする。
今、私叩かれた?晃史君に?
そんな事、今まで一度だって無かったしさすがに私の勘違いだよね??
「ま、待ってよ晃史く──」
──バチんッッ!!!
今度は私の体が床に転がる程の勢いで
「瑠衣。俺は嘘が嫌いだ。嘘つきは全てを台無しにする。母のように」
「ちょ、大泉君、さすがに……!」
あまりの事態の異常さにクラスメイトの彼女が止めに入って来たが、彼は止まらない。
晃史君は転がった私の胸ぐらを掴み、今まで見たこともないような表情で捲し立てた。
「状況を見れば何が起こったかは分かる。君は嫉妬したんだろう?聖という君の知らない女に俺が取られるんじゃないかって。たかがチョコのやり取りだけで。だから壊したんだろう?聖が居ないのを良いことに。本当に浅ましい女だ……。事を起こしただけじゃ飽き足らず、俺に嘘をつくとは。何が間違えて壊した、だ。明らかに故意に壊していいて……更に自分が悪くないだと???悪いのは君だ、君だけなんだよ。そもそも君は俺が他の女からチョコを受け止らないと思わなかったのかい?告白も全て断って来たのを知ってるだろうに……。君は俺を信じられなかったんだ。俺が今まで君には注いだ愛の量も忘れてね。良いかい瑠衣──」
晃史君はキスをするような顔の近さで言った。
「──一度嘘をついた君には"正しさ"を教えてあげよう」
そして晃史君は私の体から手を離した後、床に落ちて潰れたチョコの箱を手に取った。
中から粉々になったチョコを取り出すと一口飲み込んだ。
そしてクラスメイトの彼女へと笑顔を向ける。
「俺の彼女が迷惑を掛けたね。聖には美味しかったと伝えておいてくれ。それとこの事と俺と瑠衣の関係は内緒にね。聖を傷付ける事になる」
「……わ、分かった……」
「お願いね。嘘だったらどうなるか、分かるよね」
彼女は脅しにも似たその言葉に冷や汗を流しながら頷いた。
……一体今何が起こってるの……?
私の脳は混乱を極めている。
だっておかしいでしょ?
彼は自分の推測のままに私に手を上げ、あろうことか聖という女を庇った。
ゴミ箱に捨てられている私のチョコには気付く事もせずにね。
彼の視界にはあれが入っていないようだ。
頭の良い彼の事だ、あれさえ見てくれればきっと気付いてくれる。
もしあれを見ても分かってくれないなら私は──
「さてと、瑠衣」
「ひっ……!」
「あはは、そんな怖がらないでよ」
彼の笑顔が凄く怖い。
比喩ではなく、私は本気で今命の危機を感じていた。
「今日から"教育"を始めようか。放課後うちにおいで。逃げたら……分かるよね?」
もう黙って頷く事しか出来なかった。
だってこんな事されても私は彼が好きだったもの。
その日から私の毎日には暴力という日課が課せられた。
結局、私のチョコには気付いてもくれなかったよ。
私の言い分も全然聞いてくれなかった。
全部私が悪いんだって。
私の体に痣が一つ増えるたびに、段々自分が悪いんだって思うようになった。
たぶん、もう私の脳内は彼に犯されていた。
洗脳というやつだ。
自分が悪いと思わなくちゃ心が壊れていた。
晃史君を責める事は出来ない。
それをしちゃったら私、何の為に毎日耐えているか分からないもの。
私は晃史君と離れたくない。大好きだ。だからこの暴力も晃史君がくれるプレゼントなんだ。
だって彼、暴力を振るう度に「これは瑠衣が正しい人間になる為なんだよ」って囁くの。
あぁ、そうなんだ、私の為……。そう思うしかなかった。
そしてそんな地獄のような幸福な日々は4月の末に突然終わりを迎える。
たった一言の言葉によって。
「瑠衣、君は用済みだ」
「え……?」
【作者後書き】
更新が止まってしまい申し訳ございません。
なろうで投稿している所までは上げきろうと思います!
新作も上げてみたのでぜひこちらもご一読頂けたら幸いです!
↓
『異世界から帰還出来たので魔法やスキルで復讐を誓った……が、待っていたのは相も変わらず底辺陰キャ生活でした。』
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