第14話 天野聖は許されたい


 あの日から……伊井野から大泉と付き合っていたと聞いてから一週間が経った。


 あれから僕らは会話をしていない。


 きっと伊井野はこうなる事を望んでいたんだろう。

 だから自分の過去を少しだけ話してくれた。

 恐らくもう彼女は僕と関わるつもりは無い。


 彼女にとって僕はもう"用済み"なんだ。

 伊井野は大泉の事を酷く恨んでいた。

 今まで僕に接触していたのは、大泉が天野と幸せになるのを防ぐ為だったんじゃないだろうか。


 伊井野は情報を集めるのが上手い。

 天野の事を調べていく内に僕と天野の関係に気付き、さらにその本心を知ったんだろう。

 伊井野からすればこれ程使える相手は居なかったろうな。


 言ってしまえばやはり僕は利用されたんだ。


 大泉が伊井野とどんな関係で何をされたのかなんて、僕に知れる筈もない。

 

 つまり、僕は伊井野にもうこれ以上関われない。


「よっ、今日はまた一段と暗いなー伏見」


 最近登校をしてすぐに話し掛けてくるようになった近藤君は、沈んだ僕に笑顔を見せる。


 でも同じように笑顔を返す気力はなく、朝から陰鬱とした雰囲気で、自分の席に着きながら返事をする。


「……まぁ元気はないかな」


 席は隣なのに話したい相手と話せないっていうのは思ったよりもストレスだった。


 何度も話し掛けようとはしたんだ。


 あの雨の日、伊井野は少しだけ心の内を見せてくれたのに……『大泉晃史と付き合っていた』その言葉に怯んで何も言えなかった。何も言ってやれなかった。

 

 理由はどうあれ、伊井野は僕を救ってくれた女の子なのに……


 近藤君は僕の暗い気持ちを和らげようと、高めのテンションで背中を叩いてきた。


「ま、お前は暗いのがデフォルトだもんな!髪切ったからって性格は変わんねーよな!」

「し、失礼な。だったら近藤君は何でこんな暗い僕に構うんだよ」


 聞いてから気付く。

 似たような質問を伊井野にもしたな……


「え、質問してきて何でまた暗くなんの!?」

「ご、ごめん……それで、何で?」


 近藤君は顎に手を当てて唸りながら困ったような顔をした。


「んー難しい事聞くなぁ。友達なんて気付いたらなってるもんだし」

「と、友達……!!」


 なんて甘美な響きだろう、友達……!!

 そうか、近藤君にとって僕らはもう友達なんだ。

 この高校に入って、大畑君以来の……うぅ、涙が……


「今度は泣き出した!?めんどくさい奴だなぁ……」

「いやぁ……ここ2週間メンタルヤバかったからさ……近藤君は僕にとっての癒しだよ」

「うげぇ……」

「ひ、引くなよ!」

「まぁお前が男に走る理由も分かるが」

「そんな同情要らないよ!?」


 僕らがそうやって話し込んでいると、安政さんの内の一人──高畠さんがやって来た。

 

「ちょっと伏見君。うちの彼氏狙わないでくれる?」


 彼女はからかうように笑いながら近藤君の腕を取った。

 すると近藤君は少し顔を赤くして高畠さんの体を押している。


「ちょ、英華くっつくな!」

「鍵~伏見君の前だからって照れてるの?可愛い♡」

「ばか、そんなんじゃねーって!」

「嘘つけこの~うりうり~♡」


 近藤君と高畠さんは付き合ってるもんな。

 うわー近藤君嫌がりながらも幸せそうな顔してらぁ。

 いやー二人がちちくり合う光景はなんと言うかその……


「死ねば良いのに……」

「思ってても言うか!?」


 しまった、つい本音が。

 死んだ魚の目という奴で言ったせいか、高畠さんが心配そうな視線を向ける。


「伏見君、最近元気ないよねぇ。もしかして伊井野さんにフラれた?」

「……別にフラれてはないよ」

「そうなの?まぁこの前も告白は出来なかったもんね」

「いやそもそも告白なんてする気もないからね?」


 僕がそう言うと高畠さんはきょとんと、何言ってんだこいつ?みたいな顔をしている。


「伏見君って伊井野さんの事好きなんじゃないの?」

「英華、伏見は伊井野の事大好きだぞ。伊井野からLINEをブロックされたかもって女々しく悩むくらいには」

「何で近藤君が答えちゃうの?僕の彼女なの?」

「こら鍵!浮気かー!?」

「え、いやどう考えても違うだろ!?」


 やれやれ……本当この人達と居ると疲れる……


 だけど、これも伊井野のおかげで出来た繋がりだ。


 伊井野の事が好きかどうか……まだ答えは出てない。

 そしてあの言葉にも、答えは出せてない。


『ねぇ、伏見君。こんな私を好きになれる?』

 

 僕には未だ分からない。

 もしも、あの時それでも"なれる"と答えていれば彼女は復讐を諦めて僕と付き合っていただろうか。


 どうすれば彼女は復讐を諦めてくれるだろうか。

 どうすれば大泉晃史に囚われず、前を向いてくれるだろうか。


 ──どうすれば僕は彼女を助けられるだろうか。


 どれだけ考えてもずっと答えは出ず、気持ちはまた深く沈んでしまう。


「おい……英華が伊井野の話をするからまた暗くなっちゃったじゃん」

「ごごご、ごめん伏見君!そうだよね……天野さんとの事もあって大変なのに──」

「ば、ばか、英華!伏見に追い打ちを掛けるな!見ろ伏見の顔を!!」

「え!?」


 天野との事……?

 あぁ……もうすぐあいつが来る時間か……

 またあの地獄の時間が来るのか……


「やばい!やばいよ鍵!私達の事ゴミを見るみたいな目で見てる!?」

「違う!あれはこの先の未来を見て、絶望してるだけだ!!」

「絶望って……いやまぁ伏見君からしたらそうか……だって──」


 高畠さんが何かを言い掛けた時、教室のドアが静かに開いた。


『……』


 瞬間、既に教室に集まっているクラスメイト全員が静まり返った。


 原因は今教室にやって来た天野聖。


 あの日、ボロボロの姿で2-Bに姿を現してから、傷自体は綺麗になったがその心は閉じたままだ。

 当然だろう。クラスの誰も彼女には話し掛けないし、元々つるんでいた友人2人も天野を見限ったらしく、天野は現在一人で高校生活送っている。


 教師陣は僕と天野との間にあった事を揉み消した。

 だからこの雰囲気そのものが、今天野に与えられた罰だと僕は思っている。


 けれど、誰も天野に話し掛けないからと言って、天野が誰とも話さない訳ではない。


 天野が唯一話をするのが──


「伏見……本当にごめん……今日も許してはくれない……?」

「天野……」


 近藤君と高畠さんの後ろからここ一週間繰り返す言葉を口にした天野。


 天野は毎日こうして僕に謝罪をしては許しを求めて来る。

 以前こいつは言っていた。僕が許さないと大泉晃史に殺される、と。


 あの時は意味が分からなかったが、伊井野の話を聞いた今となっては理解出来てしまう。

 僕が体育館から去った後、大泉に付けられたものだったんだろう。

 

 だがそうだとしても、僕が許せば天野が助かるというのが分からない。

 僕が許したとして、それが大泉に何の関係があるんだ?

 そうまでして天野の嘘を正したいのか……?


 僕はとんでもない奴に絡んでしまったのではないだろうか。


「伏見……?」

「ん、あ、あぁ……」

「あたしに出来る事なら何でもする……!だからどうか……!」

「……」


 今、僕の中に天野への恨みの感情というものは少なくなっている。

 そもそも伊井野が居たから生まれた感情だからな。


 僕らは互いに伊井野に利用された者同士だ。

 いつまでも天野を恨むというのは少し違う気がする。

 けれど、ちょっと謝られたからって"聖を好きだった僕"を裏切ったこいつを許せる程大人ではなかった。

 それにこの謝罪自体も自分の保身を謀っての事……だからまだ無理だ。


「……ごめん……まだ割り切れそうにはない」


 僕はこうやって謝罪を断る毎日にうんざりしていた。

 でも無理なものは無理なんだ……まだ消化しきれない……


「……だよね。でも何度でも謝る。いつかあたしを──」


 天野が瞳に涙を浮かべながら俯いた時だった。


「そこ、邪魔なんだけど」


 いつものようにクラスで一番遅く登校をして、天野に冷たい一言を浴びせたのは伊井野だった。


 天野は伊井野と目が合った瞬間その顔を歪ませる。


「……っ」

「何睨んでるの?伏見君にそんな顔見せたらまたお許しが遠のくよ?」

「……元はと言えばあんたがっ……!!」

「ん、何?言ってごらん?」

「……!もういい……」


 天野は伊井野があの配信を行って、図書室倉庫での録画もしていた事は知らない。そしてクラスの皆も。

 だから今の『元はと言えば』も伊井野がクラスの皆を扇動して、あの動画を公開した事を指しての事だろう。


 天野は無理矢理怒りを抑えて自分の席へ戻ろうとした。

 だがそれを伊井野が引き留める。


「あ、そうだ天野さん。これ、色んな所に貼ってあったよ。あなたが通るルートには無かったんだろうけど」

「え……?」


 伊井野は1枚のプリントを手に持っていた。

 僕はそれをそっと覗き込んだ。


「こ、これ……!?」


 そこには──

 『天野聖は千円でヤらしてくれるお手軽性処理道具!!援交で鍛えられたテクで貴方も骨抜きにされてみては?連絡先こちら!!』

 ──と、ポップなイラストを添えて書き込まれていた。

 連絡先も恐らく本当に天野のものだろう。


「誰がやったか心当たりあるんじゃない?早く何とかしないと、は徹底的に貴方を潰しに来るよ」

「……い、いや……もう、あたし──」


 天野はプリントを頭に抱え、その場にしゃがみ込んだ。

 綺麗だった天野の顔はあの日、傷だらけで僕に抱き付いてきた時と同じように恐怖に染まっていた。

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