第7話 やはり、伊井野瑠衣はよく分からない


「伏見君って本当ツイてないよね。ギャンブルとか向いて無さそう」


 放課後の教室、夕日が差し込むにはまだ少し早い時間。

 お隣の影の薄いらしい女の子は心底呆れた様子でそう言った。


「……自分でも分かってるよ」

「本当に分かってるの?少し注意散漫じゃない?何でもっと天野さんの動向を確認しておかないの??」


 あ、あれれ……なんかいつも以上に言葉に棘を感じる……

 僕が知る伊井野なら「でも皆に受け入れて貰えて儲けたね。感謝してね」とか言いそうなのに。いや言わないか?


 ともかく今目の前に居る伊井野は何と言うかその……


「……怒ってるのか?」

「怒ってないと思ってたの?」

「い、いや分からないって。伊井野の喜怒哀楽とか全然……」

「……そう」


 そうって……こいつ、本当に怒ってるのか……?

 僕が次の言葉を探している途中で伊井野が小さく呟く。


「……でもちょっと感謝もしてるから」

「え?」


 あまりにも小さな声だったから聞き返してしまう。

 伊井野は俯いて、その黒く綺麗な長い髪が表情を隠してしまう。


「天野さんが私も標的にするって言った時……私には手を出すなって……あれ、ちょっとカッコ良かった……」

「! き、聞いてたのか……」


 と言うかそりゃそうか……

 伊井野が僕らの様子を皆に流してくれたから誤解されずに済んだ訳で……

 

 ……とにかく、だったら僕がまずやるべき事は一つだ。


「伊井野、ありがとうな。お前が居たから僕はまだここに居れそうだよ。本当に、ありがとう」


 伊井野の目を真っ直ぐに見つめた後、頭を下げた。

 返事は返って来ない。

 ま、このクレバーな反応、これこそ伊井野か。


 僕は頭を上げ、一緒に帰るとの事だったので約束を果たそうと伊井野の方を見た。

 

 どうやら僕は本当に伊井野の事をよく分かっていなかったようだ。

 何故なら僕の目の前には──


「~~~っ……!!」


 ──顔を真っ赤にして、物凄く照れている可愛い美少女が居たから。


「お、お前が居たからって……!?わ……私は、そんな……お礼を言われたくて……やった訳じゃない……!!」

「伊井野……?」

「こっち見るなー!!」

「へ……??」


 あまりにも予想外な反応過ぎて、僕はしばらくの間固まってしまう。

 こ、こいつ何照れてんだ……?

 それにお礼なら朝にも言ったし……


 もしかして……


「……もう恥ずかしいのを我慢するのが限界……とか?」

「やかましいーーーー!!!」

「えぇ!?」


 伊井野と話をし出して恐らくこれが初めてだろう。


 僕は初めて伊井野瑠衣の絶叫を聞いた──





「伊井野ー……そろそろ機嫌直してくれよ」

「知らない。伏見君のばか」

「ったく……」


 僕らは学校を出て帰路へとついていた。

 伊井野はあの後すっかりへそを曲げてしまい、ツーンとそっぽを向いている。


 だがその様子がどうにも可愛らしくて、感情の乏しい伊井野の新しい一面を知れたと満足しているのは内緒だ。


「……ナニにやけてるの」

「おっと」

「伏見君、ちゃんと反省してるの?」


 怪訝そうな顔で僕を半目で睨む伊井野。


「反省してるって。からかったりして悪かった」

「そっちじゃないよ。……まぁそっちも反省して欲しいけど。私が言いたいのは天野さんの事」

「……!」

「丁度良いや。ちょっとあそこで話そっか」


 伊井野が指差したのは河川敷にあるベンチだった。

 川を眺めながら僕らが住む街を一望出来る、この辺りに住む人からは人気の場所だ。

 タイミング良く日が落ち始め、今がこの場所が一番綺麗に映える時間。


 僕らは顔を眺めながらベンチに座った。

 拳2つ分程距離を空けて。


「伏見君、どうしてあの動画を先生に見せるって言わなかったの?」

「あぁ、近藤君に提案されたやつか?」

「うん」


 いやそもそも伊井野は何であの動画を撮れたんだって言いたい所だったがそれは飲み込んだ。

 僕は素直に彼女の質問に答えた。


「あれをあのまま出したら天野は最悪退学。今日僕を追い詰めた教員達も騒然とするだろうし。そんな事件の中心になんて居たくないんだよ」

「……へぇ。本音は?」

「天野にはもっと直接的に仕返ししたいって言ったら引くか?」

「あーうん。ドン引きだね」

「伊井野に言われたくないよ……」


 ……伊井野はさらに拳1つ分僕から距離を取った。

 さすがにぶん殴ってやりたいとか思ってる訳じゃないけどさ。

 

「でも伏見君はまだ彼女に未練があるんだと思ってたから少し意外かも」

「未練……か」

「ないの?」


 僕は少し空を見上げて昼休みの事を思い出した。

 あの時、確かに僕の中には天野聖を好きな僕が居た。

 けれど今もその僕が居るかと言われるときっぱり居ないと言える。


 昼休み、天野は確実に僕を殺しに来ていた。

 勿論社会的にだが、あれは凄まじく効果があった。

 さすがにあそこまでされて好きで居られるならそれは恋じゃなく、ただ依存しているだけだ。

 天野聖を好きな自分にな。

 もう十分涙は流した。


 だから僕は伊井野にはっきりとこう答えた。


「ないよ。あんなクソ女くたばれば良いと本気で思う」

「そう。ならどうやって天野さんに仕返しするの?」

「んーそうだなぁ」


 こういう時、大抵の奴は自分の魅力を高めて捨てた事を後悔させてやったりするもんだ。

 だけど僕にそこまで大それた魅力はない。


 だったら方法は一つだ。


「天野よりも可愛い彼女を作って見せ付けてやる……とかかな?」

「あ、もしかして私口説かれてる?ごめんなさい」

「口説いてないしフるのが早いし何よりも今めっちゃ傷付いたわ!」

「そうだね。私じゃ無理だよ。天野さんの方が可愛いしね」


 僕はそんな風に言う伊井野が心底不思議で、素で「何を言ってるんだ?」と言った。

 

「伊井野は天野よりも全然可愛いだろ」

「っ!」

「それに僕を気遣ってくれるし、マジで僕からしたら女神だよ。まさにラブリーマイエンジェ──」

「……反省してないんだね……???」

「ひぃっ!?」


 怖い!怖いよ伊井野!!

 それ絶対女の子がしたら駄目な顔だろ!?


 伊井野は恐怖に震えている僕を見てその恐ろしい表情をスッと戻した。


「そう、伏見君はそうやって縮こまってれば良いの。もう目立つような事はしないでね」

「ぼ、僕だって目立ちたくて目立ってる訳じゃ──」

「何か言った?」

「いえ、滅相もございません」

「よろしい」


 誠心誠意頭を下げると、伊井野は僕に拳2つ分近付いて顔を覗き込んできた。


「それとね、今の伏見君と付き合いたい人なんか絶対居ないから」

「……お前、やっぱ僕の事嫌いなんだな」

「だって──」


 伊井野は僕の額に曲げた人差し指を押し当てた。


「あんな……元カノに見せ付けたいが為に付き合おうとする人なんか嫌だもん。少なくとも私は絶対嫌。付き合うなら好きになってくれなきゃ絶対嫌だ」

「いてっ!」


 伊井野は人差し指を勢い良く弾き、デコピンを喰らわせてくれた。地味に痛い……


 でもそれって……僕がお前の事を好きになったら付き合ってくれるって事か……?


 ……いや、どこまで自分勝手なんだ僕は。

 

 今伊井野を好きだなんて言った所で、それは伊井野を利用しようとしているだけだ。

 一瞬でもそんな気持ちを抱いた自分に嫌気が差す。


「なに暗い顔してるの?そんなに痛かった?」


 ぐいっと顔を近付けてくる。

 夕日が彼女の顔を照らし、赤く染めている。

 今度は口に出さなかったが、ただひたすらに可愛い。


 理由は分からないが僕を助けてくれる彼女。

 もしも……今度こそ本物の付き合いをするなら伊井野みたいな女の子が良い。本気でそう思う。


 僕は額を抑えながら伊井野にジト目を向けた。


「すっげぇ痛い。良いか、今僕は心身共にぼろぼろなんだ。丁重に扱ってくれ」

「それこそ嫌だよ。伏見君、意外とお調子乗りみたいだし」

「クラスでは素の自分を出せる相手が居なかっただけだ」

「あーぼっちだもんね」

「ひっでぇな……」


 こいつ、やっぱり僕の事嫌いなんじゃないか?


 まぁ良いさ、今はこうやって言い合って居られるのが凄く心地好い。


 そうだ、せっかくだし少し気になってた事を聞いてみよう。


「なぁ伊井野、昼休みなんでもっと早く声を掛けてくれなかったんだ?見てたんならお前が止めてくれたら良かったのに」


 伊井野は少し間を空けてから答えた。


「あれが一番効果的だったから」

「……お前、本当いい性格してるよ……」

「そう?でも全部伏見君の為だから」

「……なんで……」

「え?」


 ──なんでお前はそこまで僕にしてくれるんだ?


 先週からずっと気になっていた言葉が出て来そうになったが止めた。


 そもそもこいつは何で天野の本心を知っていたんだ?

 どうして昨日の配信をクラスの皆にも?


 聞きたい事は山ほどある。

 だけどそれらを聞いてしまえば伊井野が僕から離れてしまうような気がして言えなかった。


 僕はすっかり落ち掛けている夕日を眺めて「いや、何でもない」と言った。


「伊井野、そろそろ帰ろうか。もう暗くなるよ」

「そうだね。だけど明日からの事何も決まってないよ?大丈夫?」

「これからの事は家に帰ったら考えるよ。なに、いざとなったら伊井野の動画を使わせて貰うさ」

「だったら良いけど」


 僕らは揃って立ち上がり、河川敷を後にした。

 存外家の近かった伊井野を家まで送り届け、別れの挨拶を交わす。


「それじゃあ伏見君、また明日」

「あぁまたな」


 ──翻り、一歩を踏み出した時だった。


「伏見君」

「え?」


 名前を呼ばれたので伊井野の方へ振り返る。

 すると、相変わらず鉄面皮の彼女はゆっくりと口を開き一言。


「……ごめんね──」


 突然風が吹きすさび、何て言ったかは分からなかった。


「え……?」


 彼女はそのまま家の中へと消えて行く。

 その横顔は何故か凄く悲しそうに見えた──



【作者あとがき】

ここまでお読み下さりありがとうございます!

今回で怒涛の1日が終わりました!

次回からお話が転がっていくので、ぜひここまで読んでの評価や感想等お待ちしております!


ぜひ次回からもよろしくお願い致しますm(_ _)m

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