第5話 絶望の瞬間
床に尻もちをつき、仁王立ちをしている天野を見上げる。
天野は特に武器の類いは持っていない。
殺すと言っても恐らく殴ったり蹴ったり程度だろう。
そして女にそこまでボコられるような僕じゃじゃない。
こう見えて運動は得意なんでね。さすがに大丈夫だろう。
「天野……ここで僕をいたぶるつもりか……?」
「はぁ?あたしがあんたを殴ったりするとでも思ってんの?無理無理!大事な爪が傷付いちゃうって!」
「だったら何を……?」
天野はにんまりと笑い、僕に顔面を近付けてきた。
付き合っていた頃よりも近い距離だ。
「あんたを社会的に殺してやろうと思ってさ~。何をするかはお楽しみ。マジぶっ殺してやっから♡」
こいつ……本気で言ってんのか……!?
僕は冷や汗を流しながらも動揺がバレないよう、極めて冷静に口を開いた。
「お前、何を考えてるんだ……!騒ぎを起こせば愛しの晃史君に愛想尽かされるぞ……!?」
「はーん、まだそんな余裕ぶってられるんだ。大体晃史君は人間が出来てるの、あたしを庇ってくれるに決まってんでしょ。ウザ。キモ」
最後の二言は要らないだろ。マジへこむ。
っと……そんな悠長に考えてる場合じゃなかった。
そもそも今日の朝、僕らが居なくなってから教室で何があったんだ……!?
いくらなんでも天野の行動が過剰過ぎる……!!
「……今日僕らが居なくなって何があったんだ。さすがに度が過ぎるぞ」
「あーあんたがあの影の薄い女とどっかに行った後?」
「そうだ……!」
伊井野、本当は影が薄いとか思ってないからね。今はそこを訂正してる場合じゃないってだけだからね。
僕が心の中で伊井野に言い訳をしていると、天野が心底うざったるそうに言った。
「あんたが昨日のやり取りをクラス中に配信してたって聞いただけ。ホント分かってんの?盗撮だし普通に犯罪だし」
「む……」
正直これに関しては何も言えん。
だが僕が配信した相手は伊井野一人だけだ。
クラスの奴らにまで繋げたのは僕じゃない。
「……言っとくが、僕はクラスの皆には流してないからな」
「はぁ?それなんの嘘」
「別に嘘じゃない。それに……お前が僕に気持ちが無いのももっと前から知っていた」
「ねぇー……それマジでどういう事なの。ガチできっしょいんだけど」
「お前が知る必要の無い事だよ」
「うざ」
さっきからこいつの暴言が心に刺さってそろそろ辛い。
本当……仮にも付き合ってた相手に対する発言じゃねぇよ……
「さてと……そろそろ時間だしあんたには死んで貰うね?」
「! 僕達……例え偽物の気持ちだったとしても恋人同士だったじゃないか……!それをこんな──」
思わず溢れた言葉は、僕が……まだ天野聖に恋をしていた伏見哲也が溢したものだ。
3ヶ月の短い期間、聖から告白をされてお互い僅かな時間を見つけては逢瀬を重ねた。
決して学校や通学路では話さず、1駅離れた郊外で会うのが決まりだった。
聖はいつだって僕の側に寄って来る事はなく、ただ観察をするように僕の一挙手一投足を眺めていた。
少し勇気を出して手を伸ばしてみた事もある。
だがそれは払い退けられ、聖は決まってこう言う。
「また今度ね」と。
この3ヶ月、その
笑いたければ笑えばいいさ。
今なら分かるさ。こんなの恋人の距離感じゃないってさ。
それでも、例え聖の気持ちが偽物だったとしても、偽物の恋をする相手に僕を選んでくれたんだ。
伊井野に聖の本心を聞かされた時でも、一番に感じたのはそんな気持ちだった。
バカな恋をした。
偽物の恋だった。
それでも僕は、真剣に恋をした。
例え、それを
「え?え……?あ、あんた……それマジに言ってんの……?」
僕の言葉を聞いた天野は頭上で堪えきれないといった様子で口を手で覆った。
「ぷっ……あはっ……!!アハハハ!!ひぃーーはっ……ふぅーーーハハハっ!!!あーヤバ。あんたおもろすぎでしょwww」
「……」
分かってた事だ。
分かってた事だろ。
昨日だって、伊井野に聞かされた時だって
「……うわ、マジ引くわーーー……」
「……うるせぇよ」
今や顔を隠す前髪も無い。
腫れた目元ってどうやったら引くんだっけ。
確か氷を当てるだけで良いんだったかな。
対処法は分かった。
後は溢れて止まないこれをさっさと出し切るだけだ。
──じゃないとクラスの皆に心配される。
「……!」
僅か半日。
たったそれだけの時間なのに、クラスの皆が俺に向ける雰囲気は心地良く、あいつらに心配を掛けたくないと思っている自分に気付く。
どれだけ単純なんだろう僕は。
ちょっと優しくされただけでさ……今まで相手にもされなかった奴らなのに。
でもやっぱり皆、こんな惨めな僕を可哀想だ、大丈夫かって言ってくれるんだろうな……
ただここまで考えた所であの鉄面皮の女が心配してくれるかだけは分からなかった。
「どうしたの?花粉症?」みたいな的外れな感想が飛んでくる事だけは想像出来たが。
「ふっ……」
「今度は何笑ってんの……?マジ無理なんですケド」
「……お前には絶対分からない事だよ」
「別に知りたくもねーし。さーてと、もういい加減本当時間だわ」
天野は僕の髪の毛を引っ張って鼻と鼻とが触れ合う距離で僕を睨んだ。
「──あんたが悪いんだよ??あんたの大事な奴も全部壊してあげる。伊井野だっけ?あいつもいけ好かないから殺したげるよ」
僕は今、心底後悔している。
どうして僕はこんな心の醜い女を好きになったのだろうかと。
天野の言う殺すには物理的な意味合いは無い。
恐らく伊井野を精神的に追い込むつもりだろう。
まさか僕だけでなく伊井野にまでその害意を届かせるとは……
こいつは、今、ここで止めないとヤバい……!
「天野……!伊井野は関係ない!せめてあいつにだけは手を出すな!!」
「何?あんた達やっぱデキてんの?ぷっ、昨日の今日で女作るとかやるじゃん!w やっぱあたしのアドバイスのおかげ!?髪の毛本当に切ってきたもんねwww」
「……お前っ……!」
僕は思わず拳を握り込んでしまう。
だがここで暴力に頼ってしまって不利なのは僕の方だ。
「あーおもしろ~。ま、良いやもー飽きたし。んしょ、と。あーボタン取れないぃ~……取れた!」
「お前、なにして……!?」
天野はおもむろに服を脱ぎだし、僕の上に跨がった。
そしてシャツの左肩だけを脱ぎ、妖艶な姿へと変貌を遂げる。
そしてそのまま僕の首を両腕で掴み、後ろへ転がった。
先程とは反転して、倉庫の外からは僕が天野を押し倒しているように見えるだろう。
「お、お前まさか──」
天野はニィっと嫌味に笑った後、大声で叫んだ。
「誰かぁあああ!!!助けてぇえー!!お、襲われてるのーーーー!!!」
天野の口に手を持っていったが一足遅く、隙間の開いた倉庫室の外──廊下へと悲鳴が響いた。
昼休みの終わり間際、司書が職員室から帰って来る頃合いを見計らったのだろう。
すぐに人が駆け付け、勢い良く人影が僕らを覆う。
「あ、あなた達、一体……!?」
それは絶望の瞬間だった。
僕の体の下で不敵に笑う天野の顔がいつまでも僕の視界に残る──
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