第3話 うまい豆大福とヤル気を上げる言葉はいくらでも
「えっと……約束の十五時十分まで、まだ時間があるな」
男は呟き、部屋の壁掛け時計を見上げた。
現在の時刻は、十四時五十分である。
「朝から並んで買った、高級豆大福、お一人様五個まで……」
男は、そわそわとテーブルの上の紙包みを開けた。
そこには、上品な佇まいの豆大福が、五個鎮座している。
「うわぁ、うまそぉ……彼女いなくて寂しいけど、これを独占できるのは最高だよな……あ、お茶淹れようっと」
男はキッチンに向かい、ヤカンに水を入れ、ガスコンロに点火しようとした、その時。
モチャッ、モチャッ、モチャッ、という嫌な予感を抱かせる音が、背後から聞こえてきた。
「そんなバカな、まだ二十分経ってないのに!」
バッと振り返ると、そこには口の周りにあんこと白い粉をつけ、両手に豆大福を握りしめたオッサンが座っていた。
「あぁあ! オレの豆大福!」
男は慌ててテーブルに戻り、卓上の紙包みの中を確認した。
つい先程まで五個あった豆大福が、一個しかない。
「ひ、ひどすぎる……」
男は、ガックリと肩を落とした。
「うんめぇなあ、これぇ……あ、生み出す者よ……」
「順番……は、もう、どうでもいいですよ……そりゃあ、美味しいでしょうよ! その豆大福、高いし、開店前から並ばないと買えないんですよ!」
「そうなのか? 良かったなぁ、オイラが親切でよ。ちゃんとオメェの為に、一個残しておいてやったんだから」
「豆大福、返してくださいよ!」
男は、オッサンに向かって叫んだ。
「あん? まあ、一個くらい、いいけどよ……」
言うオッサンの手には、豆大福のやわらかな餅が、しっかりとくっついている。
「……やっぱり、いりません……」
男は涙を飲み込んだ。
「……もう、食べ終わったら、ちゃんと手を拭いてくださいよ」
せめてスマートフォンは死守しようと、男はウェットティッシュの箱をオッサンに近づける。
「おぅよ、任せとけ! それからな、ヤル気が上がる言葉は、何度でも言うといいんだぜ!」
「はい?」
「だからよ、うめぇ豆大福は、一個より二個あった方が、テンションが上がるだろ?」
オッサンは、豆大福を口に放り込みながら言った。
「……オレの豆大福は、一個しかありませんけどね……」
男は、恨めしげな目でオッサンを見る。
「オイラが一番始めに言う言葉、あるだろ? 生み出す者よ……っていう、アレ」
「はあ、まあ、一番じゃない時もありますけど」
「あのセリフ言うとさ、なんだか自分がカッコイイ、神様になったような気分になってさ、テンションが上がるんだわ!」
ガハハ、とオッサンは笑った。
そうか、ファッションにはそれが反映されないんだな、と男は思った。
今日も、オッサンはいつもと同じスタイルだ。
角刈りの頭にねじり鉢巻、白い半袖シャツに、短かい白いパンツ。仕上げに茶色い腹巻き。
肩に掛けた白地のタスキには、赤い文字でこう書かれている。
面白い作家は成敗する。
「オメェにもあんだろ、ヤル気が上がる言葉ってのが」
「えっと……」
オッサンに問われ、考えてみるが、男には咄嗟に思い浮かばなかった。
「じゃあよ、オイラに言われて、一番嬉しかった言葉はなんだ?」
「……続きを読ませろ……かな?」
男は思い出し、その台詞を口にした。
自分で言ってみても、なんだか胸がくすぐったくなるような、そんな気がした。
「よし、じゃあそれを、暇さえあれば呟け! 自分で自分に仕込むんだ、ここに」
オッサンは、豆大福の白い粉がついたままの指で、自分の頭を指差した。
「はあ……まあ、やってみます……」
「絶対だぞ」
そう言うと、オッサンはもう片方の手に握っていた豆大福を口にする。
モチャッ、モチャッ、モチャッ、という音が止むのを待って、男は言った。
「ちゃんと、手を拭いてくださいよ」
「わあったよ、そういうのは、二度も言わなくていいんだっつぅの」
オッサンは渋々、ウェットティッシュでゴシゴシと手を擦った。
「ほれ、ちゃんと拭いたわい。早くハナシの続きを読ませろ」
「はい」
男は、オッサンにスマートフォンを渡す。
「匂う、匂うぞぉお……お、あったあった……」
オッサンは、ニヤニヤしながらスマートフォンの画面を凝視し始める。
「……どうですか?」
「オイ、これぇ……」
スマートフォンから面を上げたオッサンの表情は、赤く染まり、その息はハァハァと乱れていた。
「な、なんですか?」
「これぇ、この茶色と白の毛の、モフモフとした小さな生き物はなんだ! 小さな黒い瞳はつぶらで……しかも、白いねじり鉢巻してやがる!」
「あっ、すみません、実はモデルにしてしまいました」
男は素直に白状した。
「いいってことよ! なんだか、オイラが出演してるみてぇで、こっぱずかしいな!」
デヘヘ、とオッサンは笑った。
「んで、この続きは、またオメェの頭ん中か?」
「あ、はい……」
「しゃあねぇなあ……」
オッサンは呟き、ねじり鉢巻からペンとメモ用紙を取り出した。
「来週の日曜は、朝十時が空いてる」
「はい、わかりました。それでお願いします」
「よし、そのねじり鉢巻のモフモフ、もっと目立たせろよ! いいな!」
オッサンは男に注文をつけ、白い煙と共に姿を消した。
「げほっ、ごほっ、あのキャラを目立たせたら、サブキャラじゃなくなっちゃうじゃん……あ、豆大福、食べようっと」
再びキッチンに立ちながら、『続きを読ませろ』というオッサンの台詞を、男は思い出していたのだった。
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