第4話 生卵とヤル気は落とすな

「えっと、確か今日は十時に来るんだったよな……」

 男はぼんやりと呟きながら、冷蔵庫を開けた。

 その目に入ったのは、未開封の十個入り生卵、二パックだった。

「朝ごはん、卵料理にするか……こないだの特売で、二パック買っておいたんだよなあ」

 男は冷蔵庫から、生卵を二個取り出した。

 それは昨日早起きして列に並び購入した、近所の小さなスーパーの目玉商品だ。

 お一人様二パックまで、の限定激安卵である。

「よし、これで卵焼きを作ろう……あの変なオッサンが来るまで、あと一時間もあるし」

 男は身支度を整えもせず、卵をボウルに割り入れた。

「おっ! 黄身が二つある! 双子だ!」

 ぷるぷるとボウルに浮かぶ二つの卵の黄身を見て、男はニヤニヤと笑った。

「これは、なんかいいことありそうだなあ〜……えぇと、卵もう一つと、塩ひとつまみに砂糖……」

 男は上機嫌で母直伝の味付けを生卵に施し、卵焼きを作りあげた。

「そういえば昨日の夜、最新話公開したんだよな……か、感想とか来てたりして……」

 白い湯気をたてる白米、味噌汁、卵焼きを前にして、男は手の内のスマートフォンを操作する。

「わあっ、感想が来てる! さては、さっきの双子の黄身効果だな! どれどれ……」

 男は朝食を口に頬張りながら、投稿された読後の感想を確認した。

「……うわ、激辛なんですけど……」

 男は、ぱっと見の文字数に心躍らせたが、そこに記された文字を認識するごとに気落ちしていった。

 半分ほど残された朝食は、冷え切ったまま放置されることとなった。


 目の前から、カツン、バリッ、カツン、バリッという音が聞こえる。

 男はハッとして、顔をあげた。

「よぉ、もーにん! 生み出す者よ……」

 そこには、いつも通りの格好をしたオッサンが座っていた。

 角刈りの頭にねじり鉢巻、白い半袖シャツに、短かい白いパンツ。茶色い腹巻き。

 肩に掛けた白地のタスキには、赤い文字でこう書かれている。

 面白い作家は成敗する。

「あ……もう十時になったんだ……」

 男はオッサンの存在に気づき、力なく呟いた。

 その男の目の前に、オッサンはドン、とミキサーを置く。

「どこから持ってきたんですか、それ……」

「これはオイラのミキサーだから、気にすんな」

 オッサンはそう言うと、今度はアルミ製の小さなバケツをどん、とテーブルに置いた。

「なんですかこれ……」

「牛乳と卵と砂糖まぜたやつ。オイラ、ミルクセーキってやつが好きでよぉ、卵多めなのがいいんだ、これが」

「はあ……」

 オッサンはバケツの中身をガバッとミキサーに入れると、カチン、とスイッチを入れた。

「めちゃくちゃ黄色い……確かに卵多いですね、いったい何個入れたんですか?」

「十個」

「えぇ……それって、一パック分全部入れたってことですか? 流石に多すぎなんじゃないですか……って、そのパック!」

 男は、オッサンの前に転がっている空っぽの卵のパックを掴んだ。

「これ! オレの卵ですよね! 人んちの冷蔵庫、勝手に開けないでくださいよ!」

「うるせぇなあ、ケチケチすんなよぉ……おもしれぇハナシ書いてるオメェが悪いのよ」

 ウィンウィンいうミキサーの音と、オッサンの声がかぶる。

「はあ? 何言ってるんですか?」

 カチン、とオッサンはミキサーのスイッチを切った。

「だから、前に言っただろうよ。オモシロイ話を生み出す奴は、断じて許さんってよ」

 オッサンはミキサーの中身をドボドボとバケツに注いだ。

「え……もしかして、これが成敗なんですか?」

 男はハッとした。

 これまでに、刻んたキャベツと高級豆大福が犠牲になっている。

「気づくのがおっせぇなあ」

 ぐびぐびと音を立てて、オッサンはバケツのミルクセーキを飲み干した。

「……オレの書いた小説、つまんないって言われたんですよ……こんなもの、もう書くのやめろって……」

「あん? いったいなんの話だ?」

 オッサンはやたら太い眉を顰めた。

「これ、見てくださいよ!」

 叫び、男はスマートフォンの画面をオッサンに突きつけた。

「……へぇ……っくしっ!」

「わあ、汚い!」

 男は、オッサンの鼻水が付いたスマートフォンの画面を、慌てて除菌ウェットティッシュで拭いた。

「あー……ミルクセーキ、ちょっと一気に行き過ぎたかなあ……」

「鼻かんでください、ティッシュで!」

 男は叫び、箱ティッシュをオッサンに渡した。

「オメェまさか、そのゴミまともに受け取ってんじゃねぇだろうなぁ」

 ぶんっ、と勢いよく鼻をかみながら、オッサンは言った。

「え?」

「だからよぉ、そんなゴミみてぇな言葉を大事にする必要が、どこにあるってんだよ? オイラが鼻かんだこの紙の方が、よっぽど価値があんだろ。いるか、コレ?」

 オッサンは、かんだばかりの鼻水まみれの丸めたティッシュをヒラヒラさせた。

「い、いりませんよ! さっさとゴミ箱に捨ててください! ほら、すぐ後ろにありますから!」

「あ、そう」

 オッサンは、ポイッと丸まったティッシュを放り投げた。

「……ゴミ箱に入ってないですよ」

「まあ、気にすんなよ。あ、さっきのゴミみてぇな文字も気にすんなよ。さっさとゴミ箱に捨てろぉ」

「そ、そう言われても……」

「卵ってさ、色んな料理に使えて便利だよな。オイラはミルクセーキにしたしよ、オメェは卵焼きにしたろ」

「……はぁ」

「炒めてスクランブルエッグにしたりよ、目玉焼きにしたり、ハンバーグのつなぎにも使う。使うヤツによって、色んな形になるんだ、卵ってのはよ」

「……そうですね」

「ところがよ、生のまんま床に落ちたらどうなるよ?」

「……割れます」

「割れるよな? 使えねぇだろ、ばっちいしよ。ヤル気も、それと一緒だ。落としたら、損する。オメェがな。オメェ、損したいか?」

「……いえ、したくないです」

「だろ? さっきのゴミ文字読んでよ『よっしゃ、やったるで』ってなるなら、そいつぁ生きた言葉になる。だが、そうじゃねぇなら、そいつぁ単なるゴミだ。オメェのヤル気を汚すゴミ」

「うーん、なるほど?」

 オッサンは、眉根を寄せた男の手からスマートフォンをひったくった。

「んなことより、ハナシの続きを読ませろぉ……匂う、匂うぞぉお……お、あったあった……」

「……いや、もう、つまんないかもしれないですよ……あんな感想もらったちゃったし……」

 男は自信なさげに背を丸め、ぶつぶつとこぼす。

「オイ、これぇ……」

 スマートフォンから面を上げたオッサンの表情は、赤く染まり、その息はハァハァと乱れていた。

「な、なんですか?」

「これぇ、まっ白い毛の、モフモフとした小さな生き物はなんだ! ねじり鉢巻したモフモフと、なんだかイイ雰囲気じゃねぇか!」

「あぁ、それ……ヒロインの相棒です」

「なんだとぉ! なんだか胸キュンじゃねぇか!」

「え? そうですか?」

 オッサンの興奮した表情に、男の頬が緩む。

「おい、続きはどこだ!」

「あ、オレの頭の中です」

「っくそ、また来る! 次はいつだ、明日か!」

「いや、明日から仕事ですから、来週の日曜日にしてください」

「んだとぉ……しゃあねぇなあ……」

 オッサンはイライラしながら呟き、ねじり鉢巻からペンとメモ用紙を取り出した。

「来週の日曜も、朝十時に来るからな!」

「はい、わかりました。それでお願いします」

「その可愛らしい白モフと、ねじり鉢巻のモフモフの仲、進展させとけよ! いいな!」

 オッサンは男に向かって叫び、白い煙と共に姿を消した。

「げほっ、ごほっ、主人公とヒロインより、そっちなわけ?」

 男は胸をわくわくさせながら、オッサンが残して行ったゴミを片付け始めたのだった。

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