番外編/メロウ(後編)
さてさて、これはどうしたものか。
陽介がシャワーを浴びてさっぱりしたところで、問題なのが寝床の確保だ。
「リビングしかスペースないのよ」
「狭いね」
「まぁ、狭いな」
「……宏樹と一緒でも」
「俺の部屋も布団敷いたらスペースないから」
「なら一緒の布団でも」
「つまみ出そうか?」
「冗談です。リビングで寝ます」
リビングのテーブルと小さなソファチェアをできる限り端に寄せ、何とか人が横になれるスペースを確保する。
「おお、何とか、ぎりぎり寝返り打てるくらい?」
「ぎりぎり寝返り打てないくらいの間違いだろ。ポジティブかよ」
とは言っても広さについてはこれ以上を目指しようがない。
そこに毛足の長い厚めのラグを折りたたんで敷き、できる限り床の硬さを和らげる。
「あ」
思い付いて物置部屋から冬用の掛け布団を持ってくる。
「これ、今の時期使ってないから。敷き布団代わりすればいくらかマシだろ」
敷いてみるとそれっぽい仕上がりになった。
「おお!ちょっと寝てみる」
即席の極薄布団に横たわる陽介。
「いけるいける!案外余裕!」
端からはそうは見えないが本人が余裕と言うならば余裕なのだろう。
「んじゃ、完成ってことで。明日も仕事だからもう寝るぞ」
「うん。おやすみなさい」
浅い眠りを行ったり来たりでふと目が覚めてしまった。
時間を確認すると、夜中の三時だ。
喉の乾きを感じたので身体を起こしてキッチンに向かう。陽介がいることを思いだし、音を立てないように慎重にそっと歩く。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してキッチンの調理台にもたれながらそれを飲んだ。
よく寝れるなぁ、こんなとこで。
視線の先には暗がりに浮かぶ陽介のふわふわとした茶色い髪の毛。
初めてバイト先の居酒屋で陽介に会ったとき、この髪の毛も相まって犬みたいなやつだな、と思ったものだ。
人懐っこくて大きな体躯のゴールデンレトリバー。いつもニコニコ人当たりがよくて誰からも好かれる、俺と真逆の人間。
当時、酔っ払った客と度々喧嘩していた俺はその都度オーナーにこんこんと説教されていた。
酔っぱらいの戯言なんて受け流せ、どんなに理不尽な言動も適当にあしらう術を学べ、もっと大人になれ、と。
社会に出た今ならその意味が理解できる。なんでも許して媚びろとは言わない。ただ、無闇に敵を作るのは愚かだ。物事を円滑に進めるために多少のプライドを捨てたって構わない。それは決して恥ずべきことじゃない。自分を守ることだから。拘りばかりに囚われていたら自分自身の首を絞め、やがては潰れてしまう。
でも当時の俺はそう思えなかった。自分の信念を曲げるくらいならいっそのこと死んだ方がマシだと本気で思っていた。世の中は白か黒かであるべきで、グレーなんて許せなかった。端的に言えば、青臭かったのだ。
そんな俺をフォローしてくれたのが陽介だ。
客と揉めそうになると(あるいは揉めていると)さっと間に入って取りなしてくれる。それが自分の役割とばかりに当たり前のように助けてくれるのだ。その一方で、俺に変わるべきだと求めることも諭すことも一切しなかった。
陽介がいなかったら、クビになるか自ら辞めるか二つに一つだっただろう。
調理台から身を乗り出して、じっくりと陽介を観察する。
高校時代の陽介は野球部だったという。このふわふわがない真っ黒な坊主頭を想像してみる。
絶対似合わないだろ、と思うけれど、それは所詮想像でしかない。頭の中でいくら思い描いても、それは雑なコラージュにしかならないのだ。
俺はふわふわ頭のゴールデンレトリバーな陽介しか知らないのだから。
本物の坊主頭の陽介を知っているのは久遠あずさだ。俺よりも先に陽介と出合い、俺よりも多くの時間を重ねてきたのが久遠あずさだ。
だからこそ、さっさと腹を括れ、と思う。
さっさと腹を括ってほしい、と願う。
ううっと唸りながら陽介が身体を動かす。
そりゃこんなとこで寝たら身体も固まるだろう。バカなやつだと思っていると、再度身体を動かしくねらせた。
「あ」
ガツン!!
寝返りを打った拍子にテーブルの脚に頭を思いっきり打ち付けた。派手な音がしたから相当痛いだろうと心配するが、陽介が起きる気配はない。
まさか死んだんじゃないだろうな、と側に寄って様子を伺うと、すーすーと呑気に寝息をたてている。
「すげぇな、おい」
その図太さに思わず笑ってしまう。
薄明かりの中で穏やかに眠るその顔を、起こさぬように静かに眺める。
ただただ、愛おしいな、と思う。
〈了〉
されど、恋 つれづれ @kiregire
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