番外編/メロウ(前編)

陽介と宏樹が同居する前の、ある日のお話。


※ ※ ※ ※ ※


 『家に泊めてください』


 鍋に入ったカレーをお玉でかき回しつつ、ブルッと震えたスマホに左手を伸ばす。

 メッセージの通知が目に入った瞬間危うくスマホを鍋の中に落としそうになった。

 あぶないあぶない、不意打ちが過ぎる。

 送り主は学生の頃のバイト仲間だった織田陽介だ。

 就職してからは互いに忙しく頻繁に会うことはなくなっていたが、半年に一度連れ立って飲みに行くのが何となくのお約束になっていた。

 前回会ったのはまだほんの一週間前だ。その別れ際、次はまた半年後だな、と思っていたのに。

 一旦スマホを伏せて調理台の端に寄せる。

 カレーのジャガイモと人参に竹串を刺して、芯が残っていないことを再度確認してから火を止めた。鍋が早く冷めるようにと濡れ布巾の上に移動させたが、ちょっと考えてからコンロに戻して蓋をする。


 リビングに戻り、スマホを開いて先程のメッセージに返事をする

 『意味がわからない』

 『仕事、もうすぐ終わるんだけど終電間に合わないから泊めてほしい』

 『終電ないなら俺の家も来れないだろ』

 『途中までの電車はあるけど、乗り継ぐ電車がないから帰れない。宏樹の家なら行ける』

 なるほどそう言うことか。ちょっと前に転職したとは聞いていた。これから忙しくなるとも言っていた。それでこんな時間まで仕事なのか。

 時刻を確認すると二十三時半を過ぎたところだった。

 どうするべきか迷う。陽介が来るのか?この部屋に?半年に一度のちょうど良い距離感を破って?

 『彼女の家は?』

 『無理。実家と最寄駅一緒だから』

 知ってたけどな。一応聞いておくべきだろう。様式美ってやつだ。

 『ダメ?』

 『布団ないぞ。床に寝ることになる』

 『いいよ!』

 『好きにしたら』

 『ありがとう!』

 『住所わかる?』

 『もちろん!』


 三十分程してインターホンが来客を知らせた。

「よぉ。おつかれさん」

「ごめんね。こんな時間に突然。あ」

「なんだよ?」

「カレーの匂い」

「そうだな。カレーがあるからな」

 見計らったかのように陽介の腹の虫がぐぐ~と派手に鳴いた。

「嘘だろお前」

 思わず呆れて笑ってしまう。

「今日はほんっとに忙しくて、軽食っぽいのしか食べてないから」

「食う?カレー」

「いいの?!」

「いいんじゃない?」

 

 冷めかけたカレーを暖め直し、冷凍ご飯をとりだして電子レンジにセットする。

 福神漬けの封を開けてタッパーに移し替えながら、

「らっきょはないよ。俺食べないから」

 と声をかける。

「贅沢は言わないよ!出されたもの食べます!」

 と元気な返事が帰ってきた。

 皿にご飯とカレーを盛り付け、福神漬けの入ったタッパーと一緒にテーブルに並べる。

「はい。どうぞ」

「ありがとう!いただきます」

 しっかり手を合わせ、山盛りの福神漬けをカレーの皿に移してから食べ始めた。

「おいしい!」

 面白いようにカレーが吸い込まれていく様を眺めながら、ふと気になって声をかける。

「ちゃんと火通ってる?」

「うん。大丈夫だよ。ん?宏樹は食べてないの?」

「あぁ、これ、明日の晩飯用にさっき作ったやつだから。カレーは一晩寝かした方が旨いじゃん?」

「たしかに!っていうかすごいね。ちゃんと自炊してるんだ」

「あと二年で三十路だからなぁ。そろそろ身体のこと考えないと」

「なるほど、そっか」


 おかわりまでして、たらふくカレーを食べ終えた陽介は満足した様子で腹をさすっている。

「ごちそうさまでした。はー、生き返った。あ、シャワー借りていい?汗だけ流したい」

「どうぞどうぞ」

「宏樹んち、いいね。なんか落ち着く。会社も近いし」

「アパート褒められてもなぁ」

「最悪電車なくても一時間歩けば来れるし」

「歩く気かよ」

「いや、歩かないけどさ!最悪の話だよ」

「今の職場は実家から通うの無理ってことだろ。いい加減家出ろよ」

「まあ、そうなんだけどね」

「あ、あれか。どうせ実家出るなら一人暮らしじゃなくて彼女と同棲か」

「え?」

「じゃないの?タイミング的に。もしくは結婚?高校から付き合ってんだろ?」

「いやー……まあね。へへ」

「なんだよ。はっきりしないやつだな」

 ひょっとしたら久遠あずさとうまく行っていないのだろうか。気になってスマホの待ち受け画面を盗み見る。

 そこには久遠あずさと陽介のツーショット。昔から変わらない定番の画だ。何度か更新されてはいるが陽介の隣は常に久遠あずさに固定されてる。

 初めて見た久遠あずさは黒髪のセミロングだった。派手さはないが品のある優しい顔立ちによく似合っていたのを覚えている。ここ数年は明るい色のショートボブに落ち着いて、すっかり大人の女性といった印象だ。

 なんだよ。変わらずうまくやってんじゃねぇか。心配して損したわ。さっさと結婚しろよ。男なら潔く腹括れ。


「ほれ、バスタオル」

 ボールみたいにグルグルに丸めてから陽介に向かって放り投げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る