第5話 一緒にいたいの

 お母様に散々叱られ、金輪際俊助の元へ行ってはならないと言われた。でもそんな言いつけ、端から聞く気は無い。


 毎日俊助の元へ行く。俊助は一人もくもくと仕事をし、夜になると冷めた惣菜を食べて酒を飲んで眠る。


 せめて笑った顔が見たかった。だからティーパックで淹れた緑茶に茶柱を立て、芽吹き始めたクローバーに出来るだけ沢山の四つ葉を生やし、5時55分になると時計を見せた。でも、全て溜息で流されてしまった。


 思わず一緒に共に溜息をつく。どんなに近くに寄っても、頬を突いてみても、天使の私に俊助が気付くことは無かった。


 ある満月の夜、俊助は草の上に腰を下ろし、月を見上げつつ酒を飲んでいた。その隣に腰を下ろす。俊助からは、酒の匂いがした。余り良い匂いでは無い。あんこの匂いの方が良いのに。そう思っていたら、満月が光って天空に引き戻された。


『いい加減にしなさい。言いつけを破った上に仕事をせずに、何をしているのです』

 白い空間にお母様の声が響く。思わずムッと口を曲げた。


「悲しいんです。苦しいんです。お腹は減らなくなったのに、胸の痛みが取れないんです」

 抑えつけていた気持ちを言葉にしたら、止まらなくなってしまった。唇が震えヒクヒクと喉が痙攣するけれど、思いの丈をぶつけた。


「人間になりたいです!人間になって俊助の傍で生きていきたいです!」

『何を馬鹿な。人は老いるのですよ。短い寿命の殆どを労働で終える寂しく厳しい生き物です。そんなものになりたいのですか』

「愛する人と一緒なら、労働も幸せでした!短い一生でも構いません!好きな人と一緒にいたいです!」


 白い空間がさざ波のように揺れた。お母様が大きな溜息をついたらしい。次の瞬間、霧のような空間からにゅっと大きな手が生え、ぽんと腹を人差し指ではじかれた。身体はなすすべも無く空を舞う。暫くして重力を感じるようになり、真っ逆さまに地上へと落ちていった。


『仕方が無いので一度だけチャンスを与えましょう。10月最後の満月までに、その男と再会し記憶を取り戻させなさい。ただし、直接男に働きかけることは許しません』


 胸元でパリンと鏡が割れ空に霧散していった。


***


 目を覚ましたのはベッドの上だった。簡素だけど真新しいシングルベッドに、水玉模様のカバーが掛かった布団。板張りの小部屋に小さなテーブルと椅子がある。テーブルの上には10枚の紙幣と小さな四角い板のようなもの。人間がいつも持ち歩いているスマートフォンという奴だ。


『ここにある物はみんなサービスですって。どこの親も甘いわね』


 足元で甲高い声がした。視線を向けると、長毛の白い猫がいる。もふもふの毛は可愛いが、鼻が上を向いていて不細工だ。


『私はベガ。あんたがずるをしないよう見張るのが役目。何もお手伝いはしないから期待しないでね』

 そう言って不細工な鼻を明後日の方向へ向ける。可愛くない。ふん、と鼻を鳴らしてテーブルの上のスマートフォンに手を伸ばす。


『この世界はお金と電気とスマホがあれば何とかなるらしいよ。電気は外の太陽光パネルで発電。でも小さいから節電でね』

 ベガは退屈そうに伸びをして、器用に手でドアを開けた。


 ドアの外は小部屋と同じくらいの広さの部屋で小さなキッチンがある。大きな腰窓の傍に玄関ドアがあった。好奇心に押されて外に出てみる。


 家の周りは雑草が生い茂っている。しかし数歩歩いた先に大きな道路があり、時折車が連なって走って行く。道路の向こうは田圃が広がっている。私は道路の傍に歩いて行き、小屋の方を振り返って小さな叫び声を上げた。


 この風景を、見たことがある。


 そう、俊助と一緒に見た。俊助の軽トラックでスーパーに向かうときに見た風景の一つに、荒れ地にポツンと建つ小屋があったのだ。稜線の方へ身体を向け、背伸びをする。心臓がドキドキ音を立てる。この広がる田園のどこかに、俊助の家がある。でも、直接尋ねていってはいけない。俊助にここにいることに気付いて貰わなければ。


『で、どうやって彼と出会うつもり?』

 意地悪く青い瞳で見上げるベガに、力こぶを作ってみせる。

「彼の一番好きなもので誘き寄せるわ」

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