第4話 この世界で一番美味いもの

 その日、俊助は朝から鍋で何かを煮ていた。香ばしくふくよかな香り。前に五目豆を作っていた時と似ている匂いだが、少し違う。


「何を作っているの?」

「お楽しみ」


 俊助は両目を瞑って笑った。片方の目が微かに開いていたから、ウインクという仕草をしたかったのかも知れない。


 夕方になる前に仕事を終えて、俊助はまた台所でゴソゴソと何かを作り始めた。暫くしてテーブルに大きなボウルを置いた。氷が一杯入っている。その上に、ドバドバと塩を振りかけたかと思うと、ひとまわり小さなボウルを置いた。中には、白くてとろりとした液体が入っている。


「混ぜて」


 大きな泡立て器を渡された。俊助の手本通りにグルグル液体をかき混ぜていく。ふんふんと俊助は楽しそうに唸っている。ラジオで聞いた音楽に似ているから、鼻歌を歌っているのかも知れない。


 暫くすると、白い液体はもったりと重たくなってきた。


「いいぞお」

 俊助が嬉しそうに笑う。


***


 ガラスの器に、白くてふわふわのクリームがくるくると盛り付けられていく。そこへジャーンという声と共に黒っぽいものが添えられた。


「あんこトッピングソフトクリーム。この世界で一番美味いものだ!」


 威張るように、胸を張りながら小さなスプーンを渡してくる。ふわふわの白いものとねっとりした黒いもの。恐る恐る口にしてみる。つぶつぶとした食感の芳醇な甘さが、とろりとした牛乳の香りに包まれて余りのおいしさに目を見開いた。


「あんこ、美味いよな。俺は多分この世界で一番あんこが好きな人間なんだ。ソフトクリームと合わさると最高だ!」


 そう言って、大口を開けてあんこトッピングソフトクリームを頬張り、頬に手を当てて目を瞑る。つられて今度は口いっぱいに頬張った。知らず知らずのうちに俊助と同じポーズをとってしまう。


 幸せだ。

 胸がキューンとするけれど、それも、幸せだ。

 ニコニコ笑顔の俊助と視線を交わしながら、幸せな食べ物をもくもく食べる。


 最後の一口が口の中で溶けて無くなると、俊助はスプーンを置いた。ガラスの器の中で、銀のスプーンはカラン、と音を立てた。


「最後に、リリカに一番美味いものを食べて貰いたかったんだ」

 俊助の言葉は胸を刺し、思わずハッと息をついた。


 そうだ。何時しか日を数えるのをやめていた。多分意識的に。でも、窓の外に見えるのは十五夜の月。


「やだ……」

 思わず呟いた。目の奥が熱くなり、ツーっと頬に雫が流れた。涙、というものだろうか。


「帰りたくないよ。このまま俊助と一緒にいたい」


 俊助の顔が、クシャリと歪んだ。なんだか痛がっているみたいな顔だ。細い目が更に細くなって開いているのかどうか分からなくなる。

「俺も一緒にいたいけど……。お母さん、心配してるだろ」


 大きな手が、頭に乗る。

「また、会えるべ?」


 大きな手の重みとぬくもりを感じながら、頭を横に振った。


「忘れちゃうんだよ」


 え、と頭上に頼りない声が落ちてきた。


「私が元の姿に戻ったら、俊助は私の事を忘れてしまうの」


「そんな……」

 喉がヒリヒリ痛むけれど、頑張って言葉を紡ぐ。

「忘れて欲しくない。俊助と一緒に過ごした時間を」

「俺も忘れたくない。リリカの事が大好きだ。このままお別れなんて嫌だ……」


 頭に置かれていた俊助の手が離れ、次の瞬間身体を包み込んでいた。俊助の身体から甘いあんこの匂いがした。大きなぬくもりに包み込まれて、自分もあんこになって溶けてしまえたらと思う。


 と、突然部屋の明かりが消え、窓から白銀の光が飛び込んできた。


『リリカ、これ以上は容認できません』


 静かな声が空気を震わせる。窓ガラスに映る満月が見る見る大きくなり、身体を包み込んでいく。


「リリカ!」

 所在なげに両手を空に向ける俊助の姿が一瞬見えたが、白い光に阻まれて消えていった。

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