第3話 これが幸せというものか
啜る、というのは難しい技だ。細くて弾力のある「うどん」という食べ物は美味しいが、俊助のようにずるずるずるっと一気に口に入れることが出来なくてもどかしい。でももちもちとした食感を楽しめば、出汁の香りが豊かに口中に広がり、飲み込めば先ほどまで痛んでいた辺りがほっと温かくなる。身体だけで無く、心まで温まるのはどういうメカニズムなのだろう。人間の身体は不思議だ。
「あー、うめー。ベビー帆立が良い味出したべ。美味いもの食うって幸せだな-」
天井を見上げてほくほくと口から薄い湯気を吐く俊助は、目を細めている。元々細い目をしているから、糸のようだ。良いことをした人間に褒美をやると幸せを感じるという。と言うことは、美味いものを食わせてやるという褒美もありなのだ。覚えておこう。
「ところでリリカさんの家はどこにあるんだい?やっぱり空の上なのかい?無断外泊してお母さん心配してないかい?」
何気ない問いかけに思わずうう、と唸る。丼をテーブルに置き、居住まいを正した。
「今回大怪我をし、瀕死の状態で力を使ってしまいました。力を使い果たしてしまったので今の私はただの人です。満月の光を浴びれば力を取り戻し元の姿に戻ることが出来ますが、それまでこの姿でいなければなりません」
俊助は目をぱちくりとしばたいた。
「天使さんは太陽光発電ならぬ月光発電を蓄電して使ってるって感じなのかい?」
「……まあ、そのようなイメージで大きく差し違えありませんね。新米の間だけですけど」
ちょっと安っぽい表現に眉を寄せてみたが、確かにそうだ。今日が新月だから、後15日はこの姿でいなければならない。それまでの間……。
俊助はふーん、と小さく唸り首を横に傾ける。
「後二週間くらい、か。それだけあれば背中の傷も良くなるな。美味いもの食べながら、人間の世界を楽しんでいきな」
俊助はニカッと大きな口を開けて笑った。
***
背中の傷はあっけなく良くなり、暇を持て余した私は俊助の仕事を手伝う事にした。俊助は米と小豆を作る仕事をしていて、雪が解けたばかりの今は稲の苗を作っていた。代々の土地を継いだ農家では無く「新規就農者」という身分で、たった一人で全てを担っているようだ。
人の世では恩は恩で返すもの。郷に入れば郷に従え。俊助に言われるままに手伝いをするが、若い女の身体は頼りないほど力が無く、邪魔になっているようにしか思えない。
「ありがたいなあ。誰かと一緒に仕事をするって、こんなに楽しいことだったべか」
それでも俊助はニコニコと笑う。その笑顔を見ると何故か胸がキューンと痛くなる。人間の身体というのは本当に不思議だ。
こんがり焼けたトーストに、産みたて玉子の目玉焼き。
梅干しのお握りと大根の漬物。
帆立が入ったクリームシチュー。
人の世界の食べ物はどれも美味しい。身体を動かすとお腹が減るから尚更だ。ほくほくと目を細めて食を進める俊助を見ていると。視線がぶつかって「美味いな」と微笑まれると。
胸がキューンと痛くなる。頬がほてって、体中が熱を持ったようになる。
――一日の仕事を終えて沈む夕日を眺める。
「今日も一日、頑張ったな」
そう言って微笑む俊助と視線を合わせると、全てが満たされたような気持ちになる。
幸せ。ああ、そうか。これが幸せというものか。
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