第28話 俺は、どうしたい?

 針のムシロとはこういうことだ。

 学校のどこにいても視線と潜め声がついてくる。一度学食に行ったら見知らぬ三年に囲まれて大変面倒なことになった。

 仕方なくこれもまた居心地の悪い教室でコンビニのパンに噛みついていると、「よ、アイドル」と熊谷がやってきた。俺は「五月蝿い、死ね」と頭の中だけで返事をした。口に出すのも面倒だった。

「高坂と食べればいいのに」

「……学校では普通にしててくれと頼んでるんだ」

「普通ねえ。……無駄だと思うけど」

 本当にこの熊谷は、嫌なところをグサグサと突き刺してくる。

 あの体育祭で俺とハヤトは学校公認のカップルとなってしまった。いつかの噂どころじゃない。あんな大告白を学校中が目撃したんだ。誤魔化すことも揉み消すことも出来ない事実として、全員の脳に刻み込まれただろう。ついでに、綾瀬アヤのコスプレをしていた俺の姿も。

「最近、夢に出てくんだ。三橋の綾瀬アヤが」

 越生が深刻そうに名栗に話していたと、これは宮原さんから聞いた。悪いことをしたが、まあそれはそれとして。

 問題なのは、あの事件のせいで俺の女装が想定以上に全校に広まってしまったことだ。「俺が気にしなければいい」なんて言ったこともあったが、さすがに今の状況はのっぴきならない。トイレで用を足すのも苦労する有様だ。

「俺は、静かに暮らしたいだけなんだ」

 隠居した最強剣士みたいなことを言った自覚はあった。なので「それ静かに暮らせないフラグじゃん」と熊谷に言われて、だよなあと返した。

「だからさ、ハッシー。女子の制服着ればいいのに」

「……何なんだ? 杉戸。この間から」

 体育祭が明けたすぐあとから、杉戸がちょくちょくこの話を挟んでくる。いい加減理由を訊いてもいいだろう。

「なんて言うかさ。ハッシーがこの先どうなりたいのか知らないけど」

 杉戸はそう前置きして続けた。

「女子のカッコしたら、もう本物じゃん? 誰も何も言えなくなるって」

 どういうことだ? と思ったら、熊谷が「なるほどねー」と勝手に納得した。

「つまり、アレだ。今の三橋は男の娘。女の子みたいで可愛らしいけど、実は男子っていう存在なわけよ」

 熊谷の口から改めて聞くと、鳥肌が立つほど気分が悪い現実だ。

「……で?」

「だからー。それで女子の制服まで着ちゃえば、もう本当に女子じゃない?」

 熊谷さん、ちょっと何言ってるか分からないです。

「……あのさ」と真面目な顔をしたら、「なに?」と熊谷も真顔になった。

「俺、実は男子なんだ」と女声で。

 ウケたウケた。熊谷も杉戸も腹が千切れるほど笑ってくれた。……ただ、何一つ問題は解決しなかった。



「なんだコレ?」

「日曜日は高坂くんとデートでしょ? なら可愛い格好してかなきゃ」

 どこをツッこめばいいのか。

 家に帰って居間に入ると、女物の服が入った色とりどりの紙袋が並べてあった。その中から服を引っ張り出して、母親と莉里で合わせたり見比べたり、なにやら楽しそうにワイワイやっている。

 なるほど、莉里にはサイズが小さいし、母親が着るには若向け過ぎる。つまり俺の服だ。

「私はコレがいいと思うんだけど」

「えーっ、それだと清楚狙ってる感強くない? お兄ちゃんにはコッチのほうがいいって」

「そうかしら。じゃあ稜はどれがいい?」

 母親に訊かれて、俺は紙袋を覗き込んだ。あ、アレがある。わりと似合うし着やすいしで結構好きだ。

「俺はこのコーデュロイのサロペットが……って、あほかーーーっっ!」

 母親と莉里の手から服を奪い取り、乱雑に紙袋に押し込んだ。

「どこの世界に、息子に女物の服を買い与える親がいるんだ! 莉里、お前も乗っかるな!」

「ここにいます」と母親が挙手した。

「認めて貰えて良かったね、お兄ちゃん」莉里がニッコリと笑った。ありがとう……って、だからそうじゃない!

「わたし背があるから、こういう可愛い服似合わないんだ。いいなあ、お兄ちゃんは」

 ……暗に兄の低身長をディスるな、妹よ。っていうかさ。

「嫌じゃないのか、莉里? 俺が女物の服とか着るの」

 普段から反抗的な妹のことだから、今回の件では相当ボロクソに言われるだろうと覚悟していた。だが。

「ネクラオタクのほうがよっぽど嫌だよ」

「ぐふっ……!」

 あっさりと心臓を貫かれて、俺は死んだ。

「昔はお姫様とかやってカッコ可愛いかったのに、いつの間にか陰キャになってるんだもん」

 妹氏、死体蹴りはほどほどにするでござる。オーバーキルでござる。

「だから、嬉しいよ。お兄ちゃんが可愛いカッコするの。似合うし、カッコいいしね」

「妹氏……」なんだか胸が熱くなった。すると莉里は。

「そういうのがキモいからやめろって言ってんの」と、俺を一刀両断した。



「それで、その格好で来たのか」

 日曜日。結局俺は母親が買った服の中からコーデュロイのサロペットスカートと緩めのTシャツを選んで家を出てきた。

 今日に限ってはハヤトの家で着替える必要がなくなったので、馬車道には寄らずに目的地の鎌倉駅で待ち合わせにした。合流してすぐに駅近のカフェに入って、俺はカフェラテとベーグルサンド、ハヤトはコーヒーとスコーンを頼んだ。とりあえず腹が減っていた。

「……非道いと思わないか? 俺はこのことを人権擁護団体に訴えるつもりだ」

 俺は真面目に言ったんだが、何故かハヤトに笑われた。

「家からこのカッコなんだぞ? 地元の奴に遭ったら、どんな言い訳をすればいいんだ?」

「いいんじゃないか。言い訳なんかしなくても」

 ……他人事だと思って。そう考えていたら突然頭をワシャワシャとされた。一瞬慌てたが、そういや今日はウイッグじゃなかった。

「なにすんだ」

「何を着てても、リョウはリョウってことだ。似合ってるんだから、誰にも文句は言えないだろ」

「男は男物の服を着るもんじゃないのかね」と言ったら「お前が言うのか」とまた笑われた。ごもっとも。

「でもまあ、結局はリョウがどうしたいかだ。男の服を着てもいいし、女の服でもいい。選べるんだから、好きな服を着ればいいのさ」

 ……ものは言いようだが、確かに「選べる」という考え方はいいかもしれない。ただ悶々とするより少しは健全な気がした。

「……ちなみに、ハヤトはどっちがいいんだ?」

 答えの分かりきった質問だと思ったが、意外にハヤトは長考に入った。

「……どっちでも。どんな格好でも、俺の気持ちは変わらないな。ただ」

「ただ?」

「俺はリョウが制服でスカートを履いてるところが見たい」

「おい!」

「冗談だ」と言ってハヤトは愉快そうに笑った。体育祭の件のあとから、ハヤトは自然体で笑うようになった。肩の荷が降りたんだろう。俺もそうだ。

 俺の本音は熊谷に言った通りで、「ただ静かに穏やかに暮らしたい」だけだ。なのにここ最近、加速度的に俺の生活が侵蝕されている。女装に。学校にも家にも「女装」の見えない手が伸びてきていて、最終的に俺の服は全部女物になってしまうのではなかろうか?

「変なこと考えた……夢に見そうだ」

「何の話だ?」

 なんでもない、と俺は答えた。馬鹿馬鹿しい妄想の話だ。いずれ今のこの状況は、全て俺が自分で招いたものだ。俺が体育祭で、あんな馬鹿な真似をしたから……。

 俺は頭を振って記憶を脳から追い出した。あのときのことを考えると、いま生きているのが不思議な気分になる。

「そろそろ出るか」

 ハヤトがそう言って、俺たちはカフェを出た。もはや意味があるのか甚だ疑問だが、一応地元を避けて、今日は鎌倉まで足を伸ばした。ハヤトはたまに来ているそうだが、俺は多分小学生の頃以来だ。なんだか大仏以外の楽しさが分からず、ただ人が多いだけというイメージだった。……のだが。

 京都のときと同様にハヤトが色々と案内してくれて、楽しかった。楽しすぎて、小町通りに戻ってきたときには暗くなっていた。やっぱりハヤトといると楽しい。時間を忘れるほど。

「髪伸びたよな、リョウ」

「え? ……ああ、そういえば」

 二学期が始まる直前に前髪を切ったのが最後だ。もう前髪を伸ばす必要もないが、なんとなく切りに行っていない。それだけだった。

 小町通りを駅に向かって歩いていて、小さな橋を渡ったあたりですぐ横のオモチャ屋の電気が消えた。閉店の時間だ。

 店頭の大きなガラスにハヤトと俺の姿が映った。……確かに、髪が伸びた。一緒に映るとまるで普通の男女のカップルだ。

「俺が、どうしたいか」

 どこかで葉擦れの音がした。薄着で来たことを後悔するほど、一〇月にしては冷たい風が吹いた。たぶん、それを考えなきゃいけない時期は、すぐそこまで来ている。

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