第27話 そして伝説へ……

 なんだろう。この衣装を着ると、身が引き締まる。本物のアイドルがステージ衣装を身に纏うときの心境も、こんなふうなんだろうか? 戦闘服に着替えた気分だ。

 もちろん俺は本物のアイドルじゃない。女性でもない。当たり前だが二次元のキャラクターでもない。全てが偽物の、ただの女装コスプレイヤーだ。

 だからこそ。

「もうちょっと。いま二年のB組だから」

 杉戸が手で「待て」と合図した。スタンドの死角になっている通路の陰に、俺は宮原さんと隠れていた。スタンド側の出入り口に杉戸が立ち、熊谷の合図を俺に伝える役目を担う。宮原さんは見張り役だ。……悪いな。それと二人とも、「ありがとう」。

「どういたしまして?」

 宮原さんがよく分かっていないという顔で返事をした。また声に出ていたか。まあいい。

 悪いな、体育祭を俺の私情で使わせて貰って。

 ありがとう、俺に機会を与えてくれて。

「三橋くん」

 突然、肩のあたりを指でつつかれた。宮原さん? 振り返ると、笑顔があった。

「すごくカッコいいよ、いまの三橋くん」

「……ありがとう。最高の褒め言葉だ」

「ハッシー!」

 杉戸が親指を立てた。出番だ。いまこの瞬間から、俺は三橋稜じゃない。綾瀬アヤだ!



 学ランで揃えたクラスメイトたちの先頭に躍り出て、大塾旗ならぬ「大クラス旗」を持ち上げる。それが熊谷の立てたプランだった……はず。

 スタンドで俺を出迎えたのは、学ランの上にピンクの法被を羽織ったクラスの連中だった。熊谷もだ。なんだ? 何が起きた?

「ハッシー!」

 杉戸がジェスチャーで前に出ろと指図した。そうだ。俺のポジションは先頭で旗持ち……旗がない……だと?

 旗の代わりにあったのは、一人がやっと立てるくらいの小さなステージ。「ステージに上がれ」という熊谷の合図に従い、訳も分からず飛び乗った。グラウンドのスピーカーから音楽が響く。これだけは指定通り。綾瀬アヤのテーマ曲「つらぬけ、恋の弾丸」だ。熊谷に頼んで三分に編集したオリジナルバージョン。

 ……なるほどな。

 理解したと思ったときには、身体が動き出していた。この曲の振りも歌詞も、俺の頭と身体に染み込んでいる。熊谷はこのステージで俺にパフォーマンスをさせるつもりなんだ。だとすると、法被の意味は……チラと背後に目を向けてみた。……オタ芸だ。それも練度が高い。いつ、どうやって仕込んだ、熊谷?

 まあいい。舞台装置だと思えばむしろ上出来だ。俺は、俺のやりたいようにやらせて貰う。そのためにここに立った。そのために女装をした。そのための綾瀬アヤだ。

 男塾になぞらえた旗を持ちたかった気持ちはある。だが……ありがとう、熊谷。俺の全てを出し尽くすなら、お前の狙い通り、確かにこっちだ。

 ダンス。エアギター。歌に合わせての口パク。そして笑顔。ここにいる誰もに、ハヤトに、勇気を。元気を!

 ステージの上から、グラウンドに視線を送った。トラックの中央辺り、全クラスから招集されたリレー選手が茫然と俺を見ている。……その中に、ハヤトは立っていた。何もせずに、ただ立って、真っ直ぐに俺を見ている。そうだハヤト。見ていてくれ。

 これが、俺の「最強」だ。

 俺が誇りに思える、誰にも負けないと自信が持てる、俺だけの「最強」。……それが女装コスプレなんて、本当に馬鹿みたいな話だ。でも現実がそうなんだから仕方がない。

 低身長で痩せ型で女顔という、生まれてからずっとコンプレックスだった外見を活かして、俺は女装レイヤーになった。

 そして、あの日の京都で、ハヤトが俺を見付けてくれた。可愛いと褒めてくれた。好きになってくれた。

 表情を作らなくても、自然に笑顔が溢れる。ハヤトがこの笑顔を「最強」と評価してくれたからだ。

 最強の可愛さと最強の笑顔で、俺はハヤトを捕まえる。

 目が離せるか? 憧れずに、恋焦がれずにいられるか?

「俺を手放すことが、出来るのか?」

 歌詞パートが終わった。後奏。「お約束」の決めポーズと決めゼリフ。大きく息を吸い込んで、拳を空に突き立てる。そのままゆっくりと腕を下ろして、俺はハヤトを指差した。

 そして。

「アヤが好きなら貫き通せ!」

 ここで一呼吸。女声で大声はキツい。しかし結果的にいいタメになった。グラウンド中が沸いている。応援合戦の得点は満点だろう。いまのこの瞬間は、完全な俺の独壇場だった。このまま……決める。俺は、全身全霊で声を張り上げた。

「俺はハヤトが大好きだー♡!!」

 ……自分が何をしでかしたか、瞬時に理解していた。言いトチリ。本当のセリフは「アヤもみんなが大好きだー」だ。ひどい間違いだ。こんな間違いするか、普通?

 グラウンド全体に波が立った。ざわめきがどんどん大きくなっていく。スタンドがさっきとはまるで違うなにかで沸いている。生徒の席も、教師の席も、保護者席もだろう。怖くて見られないが。ああ……恐怖って、こういうことか。これは無理だ。俺には耐えられなかった。

「三橋!」

「ハッシー!」

 肩と頭を掴まれた。熊谷と杉戸だった。「前見て、前!」熊谷が俺の頭をグイグイ持ち上げる。痛いな……。

 俺は重い頭を上げた。言われるままに、焦点の定まらない目で前を見た。ああ。リレーの待機列。そういやあそこにはハヤトが……ハヤト?

 一人だけリレーの集団から飛び出したハヤトが、ピンク色のサイリウムを掲げていた。綾瀬アヤの推しカラーのピンク。あ、違う。リレーのバトンか。どこのクラスのものなのか。そもそもピンクのバトンなんてあったんだな……。

 って、違う! ハヤト!?

 ……なにしてんだ、お前? これは盛大な自爆だ。お前まで巻き込まれる必要はない。

 このことを誰かがSNSに上げて拡散され、俺はめでたく陰キャに戻る。そのうち登校も困難になる。ニートになっても、縁があればネトゲで会えるさ。

「リョウ!」

 とんでもない大声が、グラウンドに響き渡った。いつの間にかハヤトは、バトンの替わりにマイクを握りしめていた。なんで!? どっから!?

「リョウ!」ともう一度呼ばれた。……まさか、ハヤト。やめろ、それは絶対にやめろ。俺はスタンドの最前列まで走り、「やめろ!」と手で大きくバツを作った。

 だが、こうなったハヤトは俺には止められない。知っていた。ハヤトが大きく息を吸い込んだ。そして。

「俺もリョウが大好きだーっ!!」

 その声はグラウンドの近隣まで響き、木霊し、いつまでも消えなかった。

 ……こうして、俺たちは伝説になった。



「凄いね、三橋くん。ネットニュースになってるよ」

「やるじゃん、有名人」

 宮原さんといい熊谷といい。どうしてこう人間というのは、他人の傷に塩を塗りたがるのか。

「おはよ、ハッシー。あれ? 男子の制服で来たんだ」

 ……朝から滅茶苦茶レベルの高い煽りだな、杉戸。いやマジで。

 体育祭は不穏な空気のまま閉会し、俺は逃げるように帰宅した。土日は部屋でニートの予行演習をして過ごし、月曜。どうやって休もうかと思案を巡らしていたところに何故かハヤトが訪れて、無理矢理学校まで連れてこられた。「来なさそうだったからな」と、さすが彼氏どの。よく解ってらっしゃる。

「おはよ、タカト」

「千波。色々世話をかけた」

「やめなって。スッキリしたし、私も」

「俺もだ」

「顔見れば分かるよ」

 どうやら二人も普段通りに戻ったようだ。

「あのあと、大丈夫だったの、三橋くん?」

「帰ったら家族会議になった」

 俺は真顔で言ったのだが、なぜか宮原さんと熊谷に大ウケだった。もう腹も立たない。

 母親も父親もマイケルも、俺を責めることはしなかった。ただ保護者席が氷点下だったという苦情はあった。

「しかし女の子にはモテないけど、男にはモテるんだな、お前」

「あんないい子が彼氏さんなら、私は反対しないけど。……あれ? 高坂くんが彼氏で稜が彼女でいいのよね?」

 俺は何も言う気が起きず、好き勝手に喋る二人の話をただ聞いていた。実に珍しいことに、その間ずっとマイケルが俺に寄り添っていてくれた。

「いや凄えよ三橋。熊谷から聞いたときはネタだと思ったけど、ガチで綾瀬アヤだった。なあ越生」

「……だな」

「なんだよ。写真ねーか、って騒いでたくせに」

「んだコラ」とじゃれ合いながら名栗と越生はどこかに消えた。やれやれだぜ……。

「ほら三橋、ニュースこれ」

 熊谷が自分のスマホを俺に押し付けてきた。「やめろ」と俺は押し返す。

「見なよ」「嫌だ」と押し問答をしていたら、宮原さんが、

「写真、よく撮れてたよ」と。……じゃあそれだけ。写真だけ。コスプレイヤーの多数に漏れず俺も自分のコスプレの写真は嫌いじゃない。

 熊谷のスマホに目を落とした。地域版のネットニュース。予想通り誰かのSNSが拾われて、記事にされたんだろう。……どれだ、ああ、この見出し……。

 俺はその場で固まった。熊谷がイタズラ成功という顔で笑った。宮原さんは事態が把握できていない。

 俺を固めたのは、ニュースの見出しだった。

「男の娘アイドル、全校イベントで大告白!?」

 ……男の娘アイドル。まだまだ世の中は、俺を不快にさせる言葉と事象で満ちている。

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