第25話 対決と異世界イチゴ

 ……怖くなった?

「何が?」

 一度口から出た言葉は、どれほど重くても苦くても、それはただの言葉だ。ハヤトはもう躊躇わなかった。しかし。

「……お前と、一緒にいることがだ」

「どういう意味だ」

 自然と眉間に力が入る。持ったままだったチキンを俺は一度皿に置いた。

「俺はお前が好きだ、リョウ」

 ……そうだろうとも。家に持ってきた花とプレゼント。いま目の前にあるケーキと料理。ハヤトが俺を好きでいてくれたということは、痛いほど伝わってきている。

「俺もハヤトが好きだ。友情か恋か知らないが、とにかく好きだ。それだけは間違いない」

 さすがにこれを口に出すのは抵抗があった。だが俺のほうも躊躇っている場面じゃない。それくらい分かる。

 ハヤトは一瞬驚いた顔をして、微かな声で「ありがとう」と言った。そして自分のセリフを打ち消すように首を振った。

「だから、それが怖い。お前を好きになって、お前が俺を好きになってくれて。……じゃあその先は? その先にあるものは何だ?」

 ……ようやくハヤトの「怖い」の意味が俺にも見えてきた。そっちか。確かに、そっちには深い闇がある。俺も正視し難い、いやきっと目を逸らしていた闇だ。だが……。

「俺たちは男同士だ、リョウ。正式に付き合うとなったら、親にも周りにも明かすことになる。そこには歓迎も祝福もない」

 ……今か。いま、それを言うのか。

 俺はやっぱりこの男を見誤っていたのか? 格好良くて、強くて、完璧な高坂隼人。ハヤトが作り上げた人物像は、コンプレックスの裏返しだとツバサさんが言っていた。俺は半信半疑だった。承認欲求なんて言葉は、俺の知るハヤトには似合わない。そう思っていた。

 だから男同士とかそんな問題はハヤトの中でとっくにクリアーしていて、その上で俺に告白をしたんだと、勝手に思い込んでいた。

 承認欲求とは他人に認められたいという感情だ。逆に言えば不理解や拒絶を恐れるという感情でもある。

「それが怖いのか? ハヤトは。俺たちの進む道にあるものが」

 場に相応しくないとは思ったが、俺の口は諭すような、子供をあやすような口調を選んだ。ハヤトもまた子供のように大きく首を横に振った。泣いてはいない。だがいまにも泣き出しそうな顔で口を開いた。

「そうじゃない。リョウにその道を歩かせるのが怖い」

 糸が見えた。小説「蜘蛛の糸」の挿絵のような、か細く、すぐに切れてしまいそうな糸。一方の端はハヤトが握っている。俺はもう片方の端を掴む。この細い糸を頼りに俺たちは互いを支え合う。引き上げるのも、引き摺り下ろすのも、天国へ昇るのも地獄に落ちるのも、一蓮托生だ。

 一連托生なんだ。ハヤト。お前は一言。ただ一言、言ってくれればいい。俺はその願いを口にした。

「……一緒に来い、って言わないのか?」

「俺なんかに、それが言えると思うか?」

 ふっ、と糸から重さが消えた。ハヤトが手を離したんだと理解するのに、その一言だけで十分だった。



「遊びだったのか? 俺とのことは?」

「まあリョウにはそう思われても仕方ないな」

「しかし美味いなこのケーキ」

「だろ。ウチでお祝いするときはいつもこの店なんだ」

 見た目も高級だが味はもっと高級だった。クリームが美味い。スポンジが美味い。苺が甘い。こんな季節にこんな苺が、一体どこからやって来るのか? 異世界か? 高級なケーキ屋は異世界から仕入れをしているんだろうか?

「それとも馬車道の近辺に異世界に通じる抜け道が……?」

「何言ってんだリョウ?」

 ……いかん。また妄想が口から出ていた。

 肩の荷が降りたということか? 不思議なほど気分が軽い。

「色々あったんだな、ハヤトも」

「……それなりにな。人間が歪むくらいには」

 俺たち二人の話が一段落したあと。話はハヤトの身の上の方向に流れていった。主語主観は違えど、大きくはツバサさんから聞いた話の通りだった。ツバサさんという偉大……偉大? まあとにかく立派な姉を持ち、比較と期待を背負って生きてきて出来上がったのがいまのハヤトだ。

「周りの期待を察知して処理し続けるだけのマシーンだ」

 ハヤトはそんなふうに自虐めいた自己評価を口にした。こんなハヤトも初めてだった。最も本質に近いハヤトなのか、それともこのハヤトも作り出された人物像なのか。いまの俺にはまだ分からない。

 一つ分かったのは、俺が抱いてきた違和感の正体。俺は、ずっとハヤトの鏡像を見ていたんだ。「理想を映す鏡」の中のハヤト。俺の理想であったり、クラスの連中の理想であったり。鏡に映る人物像こそ違えど、違和感はずっと同じものだった。

「昔から何してもそこそこは出来たからな。いまの俺みたいな、中途半端な人間が出来上がったんだろう」

「でもそこそこ以上にはなれないんだ」

 会話の端々から、表情から、自己肯定感の欠如も垣間見えた。良くも悪くも違和感なく言動が一致している。やはり今、目の前にいるハヤトは本当のハヤトか、限りなくそれに近い、俺が会いたいと望んだハヤトの「中の人」だ。

「だからな、お前に憧れたんだ。リョウに憧れて、好きになった」

「ちょっと待ってくれ。それが一番分からない」

 これまでの話の流れで、どうしてそうなる?

「何でだよ」とハヤト。いや子供か。なんだその膨れっ面。前から時折見せる子供っぽい表情。……可愛いな。って、そうじゃない。

「そこそこ出来るんだろ? 何でも、やれば。悪いが俺は結構出来ないぞ? そこそこどころじゃない」

 胸を張って言うことでもないが。

「……そういうことじゃないだろう。分かってるんだろ? リョウも、本当は」

 ハヤトはそう言ったが、マジで分からない。ハヤトはフォークで俺を指した。指すな。行儀が悪い。

「笑顔だ」

「……笑顔が?」

「最強の笑顔と言ったほうがいいか?」

「!!」

「あれはリョウと綾瀬アヤにしか出来ない、ある種の才能だ。人を元気にする魔法みたいなものだな」

 ハヤトは真顔だった。なので俺は「言っちゃ悪いが」と前置きした。

「言ってて恥ずかしくないのか、ハヤト?」

「……多少は」撫然とした顔。いやいや、それはこっちの顔だ。

「それを言うなら俺だって、お前の笑顔で元気を貰ってたぞ」

「そんなことはないだろ。リョウの笑顔と俺の表情は全く別物だ。光属性と闇属性くらい違う」なんか変なことを言い出した。

「……それを言うならハヤトが光属性だ」

「逆だ。リョウの笑顔に救われたんだから、お前が光属性だ」いやいや。

「闇の世界の住人だった俺を日の当たる場所に連れ出したのはハヤトだ」

「それは」と反論しかけたハヤトに向けて、「ちょっと待て」と俺は手の平を突き出した。

「なんだこの会話、さっきから。笑顔とか光属性とか、何の話してんだ」

「他人には聞かれたくない会話だな、確かに」

「終わりだろ、こんなの聞かれたら……」

 急に怖くなって、俺とハヤトは家の中にツバサさんが隠れていないか探した。安全が確認できて、ようやく二人で笑えた。



 キッチンに入ることをハヤトが拒まなかったので、洗い物だけは俺がやらせて貰った。三橋家での発言は方便で本当は風邪は治っているそうだが、病み上がりには違いない。

「……ともかくだ、ハヤト。お前が何に悩んでたのかは分かった。理解出来たとも思う」

 少し考えて続けた。

「祝福のない未来に、俺を連れて行きたくない。……それがお前の本音、でいいんだな?」

「……ああ」

 片付けを終えて、遅い訪問の詫びと誕生日の感謝を言い残し、俺はハヤトのマンションを出た。「また学校でな」というハヤトの顔は、俺がこのマンションを訪れることは二度とないと悟っているようだった。

 ハヤトの本音。ハヤトが恐怖を抱いていたものは、俺が想定していたより深く、重かった。そして単純明快だった。

 俺たちの未来という名のそれは本当に闇そのもので、明るい展望などどこにもないとも思える。それだけに。……だからこそ。

「一緒に来い、じゃないのか?」

 二人なら。ハヤトがいれば。俺がいれば。恐怖は消えなくても、分かち合うことだけは出来た。

 守って欲しいとは思わない。「一緒に来い」と言われればついて行く。隣で「俺がいるから大丈夫」と言ってやる。なのにあいつは俺たちの関係をゼロに戻す方法を選択した。だが杉戸の裏切り(?)で状況は混沌化し、一層強硬な態度に出ている。全ては俺を守るために。「風評」からじゃなく、俺たちの未来という「闇」から。軽口じゃない、本物の「闇」のほうだ。

 ……ハヤトは二つ、大きな勘違いをしている。

 一つは俺が守られるだけの男じゃないということ。もう一つは、俺とハヤトが掴んだ糸から、俺だけはまだ手を離していないということだ。

 もう一度、この糸を掴ませてやる。そして、俺がお前を地獄に引き摺り落としてやる。もちろん落ちるのはお前一人じゃない。

 俺とハヤトは、一緒に未来に進む。そこが地獄だとしても。

「見てろよ、ハヤト」

 これが、お前が好きになった男だ。



 電車に乗ってからスマホを開いたら、LINEに通知が届いていた。応援合戦のグループだった。

「そういや誕生日じゃん、三橋」

 そんな熊谷のトークに、熊谷、杉戸、宮原さんからのお祝いスタンプが続いていた。なんだろうか。心に沁みる。三人に向けて「ありがとう」と送り、少し悩んでからもう一文付け加えた。

「熊谷。あのラフ、まだ持ってるか?」


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