第24話 そういえば誕生日

 女装の問題はとりあえず片付いたが、俺の「ハヤト」呼びの件が残った。

 以前に熊谷にした夏休みの京都での話と今回の噂の話を上手く混ぜて、どうにか熊谷と宮原さんの理解は得られたと思う。たぶん。……得られたということにしよう。

 夏休みに京都でたまたま遭って、それ以降友達付き合いをしていること。陰キャの俺が友達なんて言うとハヤトのイメージが下がると思って、俺から頼んで学校では伏せていたということ。

 女子から「可愛い」とか「女の子みたい」と言われるのを俺が気にしていたため、ハヤトと杉戸があんな噂を流して上書きをしようとしたこと。……だいたいそんなところだ。ほぼ全ての事情を把握している杉戸が口裏を合わせてくれて助かった。

「……でもさ。結局三橋の問題は解決してなくない? っていうか、余計大きくなった?」

 熊谷の発言は正鵠を射ていて、俺は「それな」としか言えない。ただこの騒動のおかげで、その問題は極めてシンプルになった。

「要は、俺が気にしなければそれで済む話なんだ」

「……高坂くんは、それでいいのかな。最近、あんまりみんなと喋らないし」

 宮原さんの言う通り。

 俺の問題は俺が解決する。しかしハヤトの思惑は完全に潰れてしまった。自分が泥を被って、元の俺の生活を取り戻すという思惑だ。

 そのためにハヤトは、少なくない努力で作り上げてきた「陽キャでリア充な学校での高坂」というキャラと地位を同時に手放した。ここ最近のハヤトの立ち振る舞いは、そういった思惑に由来していると考えた。結論から言えばこの憶測は完全に的外れだったのだが。

 風邪の見舞いに行った月曜の夜に、一度だけハヤトからLINEが来た。

「来てくれてありがとう」と、

「書き置きを見るまで夢だと思ってた。あまり覚えてないけど迷惑を掛けてたら済まない」と、

「プリン沢山ありがとう」という三通。いやプリンはほぼお前だ。

 そこに例のウサギはいなかった。

 厚かましいとは思う。思うけれども、ハヤトがまだ俺を好きでいてくれるなら、俺には出来ることがある。

 だがもしハヤトの気持ちが俺になかったら? ……いや。それならそれで、俺にはやるべきことがあるはずだ。俺は「俺のしたいこと」をするだけだ。

 よし、と俺は自分の胸に手を当てた。

「俺の肚は据わってる。あとは考える時間だけだ」

 何をすべきか、考える。ハヤトのために。俺自身のために。

「いや言ってることはカッコいいけどさ、ハッシー」

「締まらないよね」と、杉戸と熊谷が呆れた顔をしていた。……何か、変なことしたか? 俺? 宮原さんのほうを見たら、微妙な笑顔が返ってきた。

「三橋くん、その格好じゃあ……」

「あー……」

 ……忘れてた。セーラー服のままだったよ、俺。



 忘れてたと言えば、もう一つ忘れていた。今日、一〇月八日。俺の一七歳の誕生日だ。

 昨日の夕食がカレーだったから、今日の夕食は二日目のカレーであることは間違いない。あとはケーキが付くかどうか。妹の莉里の誕生日が一五日で、去年は一週間遅れでケーキを食べた気がする。一昨年も、その前も。……まあゲームソフト代でも貰えれば、それで十分喜ばしい。

「……どうしたんだ、コレ」

 自分の部屋で着替えてからリビングとダイニング兼用の居間に入ると、卓袱台の上にケーキはなかったが花が置いてあった。花束じゃない、小さなフラワーアレンジメント。

「誰か死んだのか?」と聞いたら、

「なに馬鹿ばっかり言ってるの。自分の誕生日でしょ」と母親に叱られた。

 それは知っている、というかさっき思い出したが。誕生日に花なんて風習、三橋家にはなかったはず……まさか。

「プレゼントもあるよ」と莉里が紙袋を持ってやってきた。その顔で、全てを理解した。

「……来たのか?」

「お母さんが晩ご飯に誘ったけど、風邪引いてるからって、帰っちゃった」

 莉里が言い終える前に俺は玄関を飛び出していた。ハヤトが学校を出たのは俺より早い。それに俺は結構な道草をしていた。普通に考えても家の近所にいるはずがない。

「お友達の誕生日にお花なんて、普通なかなか出来ないわよねえ」

 それは多分普通じゃないからです、お母さま。

「開けてみてお兄ちゃん! なに貰ったの!?」

 莉里が紙袋から勝手に中身を出していた。包装紙に包まれた箱。……信じていいんだよな、ハヤト。信じるぞ、男物の何かだと。もしものときは……切腹しよう。

 包装を解いた中身は見覚えのある箱だった。コンバースの箱。箱を開けた俺は、「可愛い!」「いいなあ!」と騒ぐ母親と莉里をよそに、そのことを確信していた。

 ハヤトは、いまでもちゃんと、俺のことを好きでいてくれている。

 この赤いハイカットのコンバースは、そういうことだろう?

「花とプレゼント、受け取った。どうもありがとう」

 俺はLINEでそうメッセージを送った。

「相手が送ってきたスタンプ長押しで、同じの買えるよ。売ってればね」

 杉戸に教わった通りの手順でスタンプショップに行き、俺はそのスタンプを購入した。

 プレゼントの箱を抱えて「ありがとう」と言っているウサギがいたので、それを送った。……結構種類がある。初スタンプが楽しくて、色々送りたくなってきた。

「会いたいです」と言っているウサギ。

「お話をしよう」と言っているウサギ。

「いまから行きます」と言っているウサギ。

 ……いま何時だ。七時。ああ、ちょうどいいスタンプが。

「八時にマンションに行きます」と言っているウサギ……なんだこれ。つい送ってしまったが、なんでこんなスタンプがあるんだ? 汎用性が高いというより、薄気味悪かった。スタンプも、これを作った人も。

 送ったスタンプにはすぐ既読が付いた。

「ちょっと出てくる」と言って家を出て、西横浜駅に着いたあたりで「了解」と言っているウサギが返ってきた。……よし。

 会って、話をしよう、ハヤト。

 俺はハヤトと話がしたい。直接会って、お互い気の済むまで、ちゃんと話をしよう。



 電気の消えた、暗い部屋。明かりは目の前に立っている蝋燭の火が二つだけ。小さな火の下に、ぼんやりと浮かび上がる17の数字と白いデコレーションケーキ。

 調子の外れた「ハッピーバースデー」の歌が終わるのを待って、俺は蝋燭の火を吹き消した。クラッカーの光と音。続けてリモコンの電子音が鳴り、部屋に電気の明かりが戻った。

「一七歳おめでとう、リョウ」

「……ありがとう。誕生日にケーキなんて莉里が産まれて以来だ」

 改めて口に出すとなんとも切ないエピソードだが、……そんなことはどうでもいい。

「なんでケーキがあるんだ?」

「誕生日だろ?」いや不思議そうな顔をするな。

「ケーキ屋が開いててよかった」

 破顔したハヤトに何か言ってやろうと思ったが、やめた。馬鹿馬鹿しくなってきた。

 ケーキ以外にもピザやらチキンやら、ケータリングで揃えたと思しき料理が並んでいて、俺は母親に「夕食はいらない」とメールをした。どう見てもハヤト一人の胃に収まる量じゃない。

「……ところでハヤト。歌、苦手なのか?」

「それは言わないでくれ」

 俺の目には十分完璧超人に映るハヤトにも、そんな弱点があったとは。逆に完璧じゃないか。

「話がしたくて来たんだ」

「食べながらじゃ駄目か?」

 ……いや別にいいんだけれども。それなりの気構えで来た俺が、一番馬鹿みたいに思えてくる。

「噂のこと。大体は杉戸から聞いた」

「最近仲いいもんな、リョウ。千波と」

 ……そう見えるのか? いやいや、違う。そうじゃない。

「話を逸らすな。……つまらないことしやがって」

「つまらないこと?」ピザに伸びていたハヤトの手が止まった。

「そうだろう。俺の陰キャ生活を取り戻すために、ハヤトが泥を被る必要なんてないだろ? ダイヤでガラス玉を買うようなもんだ」

 いい例えだ。我ながら。しかしそう思ったのは俺だけだったようだった。

「ああ」

 得心がいったようにハヤトが頷いた。「そんなふうに思ったのか」

「……違うのか?」

 ちょっと待て。何も違わないだろう? この前提が崩れると、俺が考えてきた、俺が話そうとしてきたことが全て、雲散霧消する。

「俺は」

 そう言ったきり、ハヤトは黙った。やがて痺れを切らした俺が、「俺は、なんだ?」と二度訊いて、ようやくハヤトは再び口を開いた。重く、硬く、苦いものを吐き出すように、ハヤトは言った。

「俺は、怖くなったんだ」

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