第23話 どうやら俺は概念になったらしい
夜の新幹線でツバサさんがハヤトの看病に来るというので、俺は適当な紙にそのことを書き置きして、薬と一緒に置いてハヤトの家を出た。
「あ、キッスは駄目でござるよ、感染りますからな」
ツバサさんも杉戸と同じことを言ったが、これは言わなきゃいけない定型文か何かなのか?
結局ハヤトは四日間学校を休んだ。正確には四日半か。金曜日の午後にマスク装備で登校してきて、ほとんど誰とも口をきかずに帰っていった。土曜日も同様だった。明日明後日の休みでちゃんと治ればいいけども。
あの噂は何がどうしてかずいぶん形を変えて、ハヤトに同情的なものになっていた。
「相手があの三橋じゃ、高坂がバグって告白してもしょうがない……だってさ」
「あの三橋って誰だよ。どこの三橋だ」
熊谷に腹を立てても仕方ないが、腹が立つのもどうにもならない。まず顔が腹立つ。
平日より混んでいる西口マックで熊谷と宮原さんと杉戸、それに俺。この顔触れにも慣れてしまった。……しかし。
「なんか小、中って凄かったんだって? 三橋くん」
「なん……だと?」言えた。
「あれ? ごめん、三橋くん。この話まずかった……?」
俺の反応に宮原さんが慌てた。確かにフザけている場合じゃない。
今のは聞き捨てならない。ならないでござるが、まず重要なのは情報の出どころだ。
「ハッシー、氷川って一年知ってる? 女子の」
「……いや」杉戸の質問に、俺は軽く頭を振った。全く心当たりがない。が。話が見えてきたぞ。
「同中なんだって、ハッシーと」
「……やっぱりか」
俺はテーブルに顔を伏せて頭を抱えた。
過去と決別をするために、同じ中学の奴がいない高校を選んだ。だが俺に出来るのは同い年と上の学年を調べるまでで、俺より下の年代まではどうにもならない。来るなとも言えないからだ。
「泣かせた男の数知れず、だって? ……痛っ!」
ニヤニヤを顔を寄せてきた熊谷に、俺は強烈なデコピンをかましてやった。
「……誰かその氷川を連れてこい……」
あることないこと吹聴しやがって。まあ連れて来られても何も出来やしないんだが。
「オッケー。呼ぼうか?」
「知り合いなのか!?」
スマホを握った杉戸に、俺は全身で待ったをかけた。
「一年も半分くらいは繋がってるよ」という杉戸が見せてくれたLINEの友達の数。実に一四八〇人!? もはや天文学の数字だ。というのは大袈裟だが、それにしても。
……やっと杉戸という人間が見えてきた。そういうことか。
「もしかして、杉戸。俺の過去のこと、知ってたな?」
「ざっくり、最近ね」
否定しない。そうだろうな。ずっとそうだが、杉戸は一貫して「いい奴」だった。
「過去? なになに?」と熊谷が食いついた。宮原さんも興味を隠せていない。悪いがその話はあとだ……というか、忘れてくれるまで煙に巻く。誰が喋るか。
「だからハヤトの噂に加担したんだな。最終的に、こうなることが分かってたんだ」
「それは買いかぶり」と杉戸が苦笑いしながら指を舐めた。
「もし変なことになったら、最後は私がどうにかするつもりだったし。噂を流したってのは、そういうこと」
つまり責任の取れないことはしないと、杉戸の言葉を俺はそう理解した。そのわりに無茶をしていた気もするが、杉戸には責任を取れる自信があったのかもしれない。ハヤト同様、杉戸のスペックも俺よりずっと高い。
「ハヤトも俺も杉戸の手の平の上だったってことか……」
「褒めすぎだって、ハッシー」
「褒めてるっていうか、感心してるんだ」
「あのー全然話、見えないんだけど」
音を立ててコーラを啜っていた熊谷が苦情を上げた。どう話そうかと思ったら、宮原さんも「あの」と手を挙げた。
「三橋くん、高坂くんのことハヤト……って呼んでるの?」
……え?
「俺、ハヤトって呼んでたか……?」
「うん」と、三人が同時に頷いた。
ここまでか。俺の人生、長いようで短かった。幾度のピンチを乗り越えてきたが、ついに年貢の納めどきだ。
「なにブツブツ言ってんの?」と熊谷に小突かれ、「人生について考えてた」と答えた。
「なにそれ」
「三橋くんって、たまに面白いこと言うよね」
杉戸と宮原さんが一緒になって笑っていた。本当に奇妙な状況だ。奇妙なのに日常の一部となっている錯覚に陥るあたりが一層奇妙だ。
四人で西口マックから横浜駅に向かい、みなとみらい線に乗って妙蓮寺駅で降りた。
「散らかってて恥ずかしいけど」
宮原さんはそう言ったが、どこが散らかっているのか俺の目には分からなかった。この先もし俺が友達を家に呼ぶ日が来るならば、何か別の言い回しを考える必要がある。「荒廃してる」とか「壊滅的状況」とか。
なぜこんなことになったのか。宮原さんの家に来るまで、来てからも、ずっと自問自答を続けていた。
「楽しみだねー」
「ごめんね三橋くん。私もちょっと楽しみ」
熊谷も宮原さんも能天気なことを言ってくれる。杉戸は笑うだけで何も言わない。すでに一度、俺の女装を生で見ているからだ。
「いいから一回、黙って着てよ」という熊谷の強い強い要望で、応援合戦のために杉戸が用意したセーラー服を試着することになった。セーラー服はすでに宮原さんの家にあったため、この突然のお宅訪問が実現したわけだ。
「言っとくけど、本当に面白くないからな」
何度も念を押したが、「分かったから」と熊谷が取り合わない。お前も写真、見ているだろうに……。
宮原さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら三人はリビングで待ち、俺は宮原さんの部屋で着替えることになった。これはさすがに緊張した。女子の部屋はおそらく小学低学年以来だった。あ、ツバサさんのマンションがあったか。あれはノーカンだ。
しかし宮原さんの部屋はいかにもな「女の子の部屋」で、極力周りを見ないように気を遣う必要があった。
メイク道具は宮原さんがほとんど持っていないため、杉戸のものを借りてきた。
「三橋、自分でメイク出来るの?」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
熊谷にそう返したのは一〇〇パーセントのヤケクソだ。
そういえばウイッグがない。だがいい感じ(?)に髪が伸びてるから、それほど気にならない。実際、ヤケクソになっていたのだと思う。
そして三〇分ほど経ち。
「……」
「なにか言えよ熊谷。お前が着ろって言ったんだ」
「あー……、うん。……喋れば三橋だ」
「女声も出せるぞ、ほら」
綾瀬アヤの持ち歌のサビだけ歌ってやったら、熊谷は目を見開いた。
「……すごいね、三橋くん。本当に女の子みたい。……ううん、女の子以上?」
以上って何だ? 宮原さんの中で、俺はなにやら概念になってしまったようだ。
「やっぱり似合うじゃん。でも確かに似合い過ぎだね。ハッシーの言う通り」
「だろ? だから何度も言ったんだ」
俺は杉戸に頷いた。男子が女装して面白くなるのは「似合わない」ことが前提で、似合い過ぎてしまえば面白みも何もない。俺はそれを実体験で嫌というほど思い知っていた。
「……あ、胸はないんだ」
「宮原さん!?」
突然宮原さんにペタペタと触られて、俺は飛び上がった。「あるわけないだろ!?」と、この人もたまに変だ。
「分かったか、熊谷。だから旗持ちは宮原さんがやったほうがいい。……聞いてんのか?」
静か過ぎる熊谷が不気味だった。耳をそばだててみると、何かブツブツと呟いている。ヤバい奴のようだ。俺も独り言の癖があるから、こうならないように気をつけよう。……と思っていたら。
「……コレだ!」
突然声を張り上げて、自分の鞄からスケッチブックを取り出した。そのまま何も言わずに描き殴る。速い。上手い。コイツも漫画家にでもなるのだろうか……とか、呑気なことを考えている場合じゃなかった。
杉戸と宮原さんには分からなくても、俺には熊谷が何を描いているのか、ラフのようなスケッチだけで判別できていた。……それは駄目だ!
「ちょっと三橋! なにすんのよ!」
咄嗟に手が出ていた。熊谷からスケッチブックを取り上げて、「これはボツだ」と言って閉じた。本当は破り捨てたかったが堪えた。たとえスケッチブックの走り描きでも、他人の創作物を破くことは出来ない。
「とにかくだ。俺は女装はしない。お勧めもしない」
「だねー」
「無理言ってごめんね、三橋くん」
杉戸と宮原さんは納得してくれたが、熊谷だけが最後までグチグチ文句を垂れていた。……ソレだけは、絶対にやらないからな。
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