第22話 完璧超人、曰く
放課後。何故か俺は杉戸と一緒にみなとみらい線に乗り、一緒に馬車道駅で降りていた。
「じゃ、私こっちだから」
「ああ。じゃあまた明日」
「駄目だよハッシー、キスとか。感染るから」
「そういうのじゃないって……」
脱力しているうちに、杉戸は笑いながらさっさと行ってしまった。杉戸にもいいオモチャにされている気がする。俺はただハヤトが実質一人暮らしということを知っているから、見舞いに行こうかと思っただけだ。
杉戸が巻き起こしたあの騒動から、この数日でまた俺の周囲の環境が変化した。クラスの連中との会話が目に見えて増えた。案の定というか外見に関する話も多いが、アニメやマンガやゲームの話が出来る奴もいた。名栗なんかはその代表だった。
「応援合戦の元ネタ、男塾なんだってな、三橋」
「知ってるのか? 男塾」
「兄貴が持ってんだ。鶴嘴千本だっけ? アレに憧れて必死に針金削ってたこともあったな。何やってたんだか」
「飛燕、カッコよくて俺も好きだった」
「だろ? やっぱり最初のほうから出てるキャラがいいよな。富樫と虎丸とか」
「あーわかる。だから旗持ちが学ランだったら、俺がやっても良かったんだ」
「秀麻呂だっけ? 三橋もチビだもんな」
……コノヤロウ。とは思ったけれども、話してみれば面白いヤツだった。越生は面白くなさそうだったが。
そんな越生も中学の頃「ドリームキャスティング!」にハマり、今でもスマホの壁紙が綾瀬アヤなんだと名栗が教えてくれた。実に複雑な気分だった。コスプレのことがバレたらどうなるんだろうか。……血を見そうな気がする。
話したいことができた。病人に色々と喋り倒すわけにはいかないが、関係を修復すれば、これからいくらでも話ができるだろう。途中のコンビニでポカリや消化に良さそうな差し入れを買い、俺はハヤトのマンションに辿り着いた。もう夕方だ。風が冷たくなるのも、陽が落ちるのも、随分早くなった。
インターホンを押すのに、少なくない勇気が必要だった。「なるようになれ」とどこかで聞いたセリフを唱えながら、指先に力を込めた。……反応はない。
熱が出て、寝ているかもしれない。もう一度だけ。ピンポンと遠い音。しばらく待って、俺は踵を返した。
「……何やってんだ、リョウ? こんなところで」
手にコンビニの袋を下げ、額に冷却シートを貼ったハヤトが驚いた顔で立っていた。
「病人が外に出るなよ」
「仕方ないだろ、丸一日、水しか飲んでないんだ。……で、何をしに来たんだ?」
顔が赤い。目も。見るからに病人という姿のハヤトに、俺は「せっかく色々買ってきてやったのに」と文句を言った。違う。これじゃ面倒臭い彼女だ。
「面倒臭い彼女みたいだな」
……う。何も言い返せない。悪かったな、クソ。
「いや、悪い。ここは素直に感謝するところだな」笑う姿も弱々しい。
「早く家に入れよ、ハヤト。風邪が悪化するぞ」
「上がって行かないのか? ……ああ、いや、今のはナシだ」
悪い、とハヤトが言った。俺が「もうハヤトの家には行かない」と宣言したことに対しての謝罪だ。悪いのは俺のほうなのに。
「……ハヤトが嫌じゃなければ」
「散らかってていいならな」
「俺は構わない」
ハヤトの荷物を取り上げて、一緒にオートロックの自動ドアをくぐった。……熱い。狭いエレベーターの中で隣に立っていると、触れていなくてもハヤトの体温が伝わってきた。大丈夫か? 身の回りのことだけ済ませて、早々に退散したほうが良さそうだった。
ひどく懐かしい感じのしたハヤトの家は、言うほど散らかってはいなかった。脱いだ服が何着か転がっていたくらいで、健康そのものの俺の部屋のほうがよほど汚い。ただ空気は病人の家らしく澱んでいた。
「ちょっと待っててくれ。片付けるから」
「片付けなくていい!」
掃除を始めようとしたハヤトを、俺はひとまずソファに座らせた。
「窓開けるぞ」と一応断って、リビングとダイニングの窓、ついでにハヤトの部屋の窓も少しだけ開けておいた。さすが二〇階。一瞬で空気が入れ替わった気がした。
「薬は飲んだのか?」「食事は?」
俺の質問にハヤトは首を横に振る。本当に大丈夫かコイツ? テーブルの上に体温計を見付けたので、熱を計るように命令した。三八度八分。「医者は?」と訊くと、「行った」と言って、キッチンカウンターを指差した。ああ、この薬か。一応、ちゃんと飲むつもりはあるようだ。
「……飯か。小麦粉と卵があったから、パンケーキを焼くよ、リョウ……」
寝言かと思ったら、ソファから立ち上がってのそのそと動き出した。ダメだコイツ。
「とりあえずもう横になれ」
「お前の飯は……」
「俺は腹減ってないから。ほら、連れてってやるから」
腕を組んで、ハヤトの部屋へ。電気を点けてベッドに寝かせようとして気付いた。何かある。俺がハヤトと一緒のときに着ていた服がベッドの上に散乱していた。
「……着てたのか? まさかハヤト……」
「そうじゃない。こうするんだ」
ハヤトは一着を手に持ち、おもむろに顔に近付けた。やめろ! 匂いを嗅ぐな!!
「なにやってんだよ、全く……」
女物の服を全て没収し、シーツと毛布を簡単に直して、やっとハヤトを寝かせることができた。
やはり身体が辛いんだろう。横にさせた途端に寝息を立て始めた。さてどうしよう。とりあえずハヤトと俺が買ってきたものを冷蔵庫に。……ポカリが被った。プリンも。あ、いや。ハヤトの袋から、次々にプリンが出てくる。その数五個。俺も二個買ってきたから七個だ。どうすんだこのプリン山。
仕方なくプリンは全部冷蔵庫にしまった。ポカリは一本しまってもう一本はキッチンカウンターの上、薬と並べて置いておいた。水分を摂るなら常温のほうが飲みやすい。
「それにしても」
どう見てもキッチンに自炊の形跡がない。おそらく昨日今日じゃなくて、そもそも自炊で生活をしている奴じゃないということだ。やれば何でも出来てしまうから、気付けなかった。
どこかで震動音。家の中を見回すと、ソファの上でハヤトのスマホが光っていた。電話の着信。ツバサさんからだった。一度切れて、再び着信。迷った末に、俺はハヤトのスマホを手に取った。
「済みません、三橋です」
「あれリョウくん? 隼人は?」
「熱が出てたので寝かせました」
俺は簡単に経緯と状況を説明した。
「ありがとうね、リョウくん。昔から風邪引くと長くてね、隼人。でも熱が出たならすぐ良くなると思うから」
聞けば中間テストの直前あたりからずっと風邪気味だったらしい。いつかの早退も風邪のせいだったか。「気付けなくて済みません」と詫びておいた。
「でも家にいるってことは、ヨリ戻したの?」
……う。この人は、答えにくいことをずけずけと訊いてくれる。
「……俺は、クラスメイトとして見舞いに来ただけで」
「ふうん。じゃあ時間の問題だね」
「切っていいですか?」と言ったら大笑いされた。本当に切ってやろうか。そう思っていたら。
「ずっと無理してたから、休めって、神様が言ったんだよ。私もそんなの信じてないけどね、でも巡り合わせ的な?」
「いつからですか? ハヤトがこんなふうに無理をしてるの」
ようやく口に出せた疑問だった。学校でも俺の前でも完璧な「高坂隼人」を演じているハヤト。その本当の姿、ハヤトの「中の人」はどこにいて、何を思っているのか? 俺はずっとそれが知りたかった。
「……中学くらいかな。すぐ近くに本物の完璧超人がいたから、いつも比較されてて。周りの期待が大き過ぎて、失敗することを極端に怖がるようになったの」
完璧超人? 誰のことだろうか。キン肉マンの話か?
「言っとくけど、キン肉マンの話じゃないからね」と。心が読めるのか? この人。
「私がわざわざ京都の大学を選んだのもそれ。私みたいに本気で何でも出来ちゃうのが近くにいると、いつまでも他人の目とか評価ばっか気にして、隼人が背伸びを続けちゃうからね」
ツバサさんの話を脳が受け入れるまでに、結構な時間と努力が必要だった。完璧超人のくだりは如何なものかと思うが、おそらくこの人は嘘でも妄言でもない、真実を教えてくれている。だとすると、いまのハヤトを構成する、その根源にあるものは。
「そ。結局、隼人はコンプレックスの塊なの。リョウくんなんて目じゃないほどのね。なんて言うんだっけ、最近よく聞くやつ」
「……承認欲求」
おおよそハヤトには似つかわしいと思えない単語を、俺は口に出した。
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