第20話 元カノたちの夕べ

「で、真相は?」

 俺の正面に熊谷。熊谷の隣には一仁。話題が話題だけに、宮原さんは呼ばなかったようだった。一応気は遣っているらしい。

「ノーコメント」と熊谷に言い返したいが、思い留まった。この場でのそれは、事実を認めたも同然になる。事実なんだが。告白されて、写真で脅迫されて、付き合って別れた。噂になっていない部分まで全部事実だ。

「誰なんだろう? そんな噂を流したの」

 コーラを啜りながらの一仁の発言。

「俺もそれが気になる。誰が、何のために流したんだ?」

 噂には二種類ある。事実や憶測がただ面白可笑しく伝播しただけのものと、目的があって故意に流されたもの。後者なら犯人が存在していて、今回の噂はおそらくこっちだ。

「昨日まではなかったんだよな? こんな噂」

 俺の質問に熊谷は大きく二度頷いた。

「もしあったら、絶対私の耳に入ってるから」

 オタクのくせに言うことが大きい。しかし実際、熊谷は情報強者だ。コミニュケーション能力を活かしてつまらない話でもすぐに仕入れてくる。その多くが俺の興味を引かないゴシップばかりで、普段は聞き流していた。だが今回ばかりはそうはいかない。じゃあハヤトは?

「ハ……高坂は、どう言ってるんだろうな」

「それも気になるよね。知ってるのかな? 高坂は、この噂」

 俺の呟きを一仁が拾った。

「知ってるでしょ、さすがに」

 聞くまでもないという熊谷に、俺も同意見だった。

 クラスは、というより世の中は、リア充と陽キャを中心に回っている。誰かが堰き止めない限り必ず情報は彼らに流れる。噂の中心人物は除外されることもあるだろうが、今回の噂は強すぎる。そして俊足すぎる。犯人がいると俺が推測した根拠だ。どうにも作為的な匂いがしてならない。

「なんか一日中難しい顔してて、さっさと帰っちゃったみたい」

 熊谷がモノマネで眉間に皺を寄せた。悪いが全く似ていない。

「珍しいな、あの高坂が」

 一仁の言う通りだ。いつも笑っているイメージしかないハヤトが、学校で「難しい顔」をしているところが想像できない。二人でいたときは違ったが、それはたぶん学校用のハヤトとは別物だ。気に掛かる。が……俺は心配する立場じゃないんだろう。その立場を自分から放棄したからだ。

「でも根も葉もない噂じゃないからね」

「俺たちには、ね」

 熊谷と一仁の間で会話が進んでいた。この二人が言及しているのは以前に見られた例の写真、鴨川デルタでハヤトが撮った俺の写真のことだ。

「高坂はあの写真を壁紙にしてたんだよね?」

「そのことを知ってるのは……ってこと? まさかあ」

 一仁の言外の推論を熊谷は即答で却下した。俺も一度はその人物の顔を思い浮かべた。だが杉戸がこんな噂を流すとは思えない。杉戸はハヤトを友達と言っていた。目的があったとしても、伴う傷と痛みが大き過ぎる。もちろん痛むのも傷を負うのもハヤトだ。俺の人物眼がどの程度は分からないが、杉戸は友達認定した相手にそれほどの痛みを押し付けたりはしないだろうと思えた。

「あ」

 熊谷と一仁が俺の顔を見た。……声に出ていた。俺はダメだな、本当に、マジで。

「なに?」

「何か分かったのか? いや無理に言わなくてもいいけど」

「なんで? 聞いておくべきじゃない?」

 いやお前は聞きたいだけだろ、熊谷。

「悪いけど用事を思い出した」

「ちょっと!」

 お約束の台詞で席を立った俺を熊谷が引き止めようとしたが、一仁が身体を張って阻止してくれた。ありがとう、心の友よ。

「生殺しダー」とか聴こえてきたが、無視した。すでに俺の意識は手の中のスマホに向いていた。LINE通話。……出ない。案の定ではある。横浜駅まで歩きながら何度か試みたが、結果は変わらない。俺は家に向かう相鉄線ではなく、別の場所に向かうみなとみらい線の改札をくぐった。



 ハヤトのマンションの前にある植栽。レッドジンジャーが植えてある大きなプランターに、杉戸が腰掛けていた。ちょうどその辺りに夕陽が差していて、杉戸も植栽の一部のように見えた。

「よ。ハッシー」と杉戸が軽く手を振ってきた。動いてみれば普段通りの杉戸だった。

「なんでここに?」

「たぶんハッシーと同じ理由? 違うかも」

 どっちだよ。

「ハヤトは家にいるのか?」

「どうだろ?」

 杉戸は目でインターホンを指した。俺は小さく頷いて一枚目の自動ドアの中に入った。二枚目はオートロックで、カードキーを挿すか、中から開けて貰えないと開かない。インターホンでハヤトの部屋を呼び出す。もう一度。……出ない。不在なのか、居留守なのか。ここからそれを知る手段はなかった。

 自動ドアの外に出て「駄目だった」と言うと、ペットボトルの水を飲みながら杉戸は肩をすくめた。結果を知っていたようだ。

「噂を流したのはハヤトなんだな」

 断定形の質問に、杉戸は「半分正確」と言った。

「ほかの子がいる前で、私とタカトが喋ったんだよ。告白した。どうだったハッシー、って」

「何のために……いや。それは分かってるんだ。俺のためだ。学校での俺の立場を守るために、ハヤトが泥を被った」

 可愛いとか女っぽいとか、女子たちから俺が受けつつあるという、俺の望まない評価を払拭するために、「高坂が三橋を好きらしい」という噂で上書きをしようとしている。さらに言えば「好きらしい」より「告白したらしい」のほうが具体的で信憑性が上がる。なにより面白い。噂の強度も拡散する速度も上がるだろう。俺は杉戸にここまで解説した。

「すごい、ハッシー。まさか探偵?」

「現国と女装が得意なだけの、普通の男子高校生だよ」

 今回の噂話をメリット、デメリットだけで紐解けば、メリットは俺に、デメリットはハヤトにある。普通に考えればハヤトは被害者で、容疑者として捜査線上に名前が挙がることはないだろう。だが生憎、俺たちは普通の関係じゃない。俺の目線からは犯人の姿がよく見えた。

「で、どうして杉戸は、こんな小芝居に協力したんだ?」

「なんでだろね。友達だから?」

 杉戸が何かを考えているふうだったので、俺は黙って続きを待った。たぶん頭の中身を言語化してくれているんだろうと思った。

「やっぱりさ、友達には幸せでいて欲しいじゃん?」

「わかりみ」と返したら爆笑された。ちょっと嬉しい。

「やるじゃんハッシー。死語だけど」

 死語なのか。知らなかった。

「……とにかくさあ。タカトがしんどそうだったから、聞いたんだよ、話。友達だしね」

 そういえばツバサさんと杉戸と鉢合わせになった日、杉戸がいる間ずっとハヤトは自分の部屋で待機させられていた。

「あのあと何があったのかは聞かないけど、別れたんでしょ、ハッシー、タカトと」

「……まあ。そうなるな」

「タカトの目的はハッシーの生活を元通りにすること。付き合う前の? 知らないけど」

 杉戸の話は俺の推測とほぼ合致した。ハヤトの目的。それは俺が「俺らしい俺」でいられる環境を再構築すること。

「無理だろ、そんなの」

「でも、やるみたいよ。変に頑固だからねタカトは。昔から」

「それに変なところで完璧主義だ」

「それ。結構面倒だよね、意外に」

「わかる」

「てか私ら何でこんな話してるの? 元カノ仲間みたいで嫌なんだけど」

 ……確かに。その通りと言えばそうだが、杉戸は女で俺は男だ。なんだろうか、この状況も。

 杉戸が無言でペットボトルを差し出してきて、中身の水を一口だけ貰った。知っているリップグロスの味。つい口を滑らせてプチブラの名前を出したら、杉戸は「ハッシー、マジか」とドン引きした。いやツバサさんに貰ったのと同じグロスなんだよ。

「やりたいようにやると思うからさ、タカトは。ハッシーもそうしなよ。協力するし」

 杉戸はどっちの味方なんだろうか。その疑問が顔に出ていたらしい。

「どっちも。ハッシーも友達だし」

 みんながいいのがいいよね、と。そういえば前にハヤトが杉戸を「自称博愛主義者」と言っていた。杉戸は「友達」という言葉を多用する。俺はあまり得意な言葉じゃない。しかし杉戸の「友達」の意味するところは、俺の認識と少し違うんだろう。

「ところでハッシー、マック食べた?」

 返したペットボトルを飲み干した杉戸に訊かれて、俺は手の甲で口元を拭った。失礼した。

「お腹空いてきたから帰るね」

 跳ねるように立ち上がり、杉戸はそのまま帰ってしまった。行動に迷いがない。これも人種の違いだ。

 俺は自動ドアの中に入り、もう一度だけインターホンを押した。反応はない。

 結局何も出来ないまま、俺は馬車道駅に引き返した。

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