第14話 低気圧という名の爆弾
俺はポテトのL、熊谷はコーラとナゲット、宮原さんはアップルパイ。……アップルパイ好きなんだな、宮原さん。
二回目にして「いつものとこ」となった西口マックで、第二回応援合戦ミーティングが開催された。たまたま寄り道していた一仁と居合わせたが、熊谷が一喝して追い払った。酷いことをする。まあヤツは宿敵、E組だから仕方ない……のか? そのうち詫びは入れておこう。
「……という話なんだ」
俺は男塾の「大塾旗」のエピソードを要約して語った。馬鹿にされると覚悟していたが、二人とも真面目に聞いていた。意外だ。特に熊谷。
「畳五〇枚かはともかく、大きい旗っていうのは見栄えがしていいかもね」と腕を組んで頷いた熊谷に宮原さんも賛同した。
「俺のはこんな感じ。二人のアイディアは?」
「へへへ」と熊谷が笑って誤魔化した。
「へへへ、じゃないよ熊谷。俺にはあんだけ言っておいて。……宮原さんは?」
「ごめんなさい、私も色々考えてきたんだけど……」
おずおずと宮原さんはテーブルの上にルーズリーフを一枚出した。歌、山彦、コスプレ、その他色々……パントマイムってなんだ。
「うわあ、頑張ったね。迷走してるけど」
「おい。ハッキリ言うな」あ、しまった。
俺の言葉がトドメになって、宮原さんは小さくなってしまった。
「ま、まあ俺のもカンニングみたいなものだから。実はこれハ……じゃない、高坂のアイディアなんだ」
危ない。油断していると「ハヤト」と出そうになる。学校では高坂と三橋。俺が決めたことだ。
「高坂? 意外な固有名詞」
「そう言えば最近三橋くん、高坂くんと仲いいよね」
宮原さんの台詞に、俺は動揺を隠すための努力が必要だった。
「そうなの?」
「隣の席だから。三橋くんの席に来るの、たぶん一番が杉戸さんで、次が高坂くん。その次が碧ちゃんかな」
「クッ……負けた」って、何の勝負だ熊谷。それにしてもよく見てるな、と思っていたら「本当によく見てるねー、宮ちゃん」と熊谷が先に言った。
「そ、そうかな。それほどでもないけど」
「宮ちゃん、もしかして……」
宮原さんが頬を染め、熊谷はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、俺はわざとらしく咳払いをした。そして、宮原さんが口を開いた。
「絶対数が少ないから、数えてたの」
熊谷がコーラを吹き出した。……ああ、いくらでも好きなだけ笑え。どうせそんなことだろうと思っていたさ。
散々笑い倒した熊谷が「持ち帰って考えるね」と言って散会した翌日、火曜日。南のほうで出来た台風が本州に来るとか来ないとか、天気予報のお姉さんが要領を得ない話をしていた。
「日曜に当たったら、今週はナシかな」
そんなことを考えながら、俺は一日を過ごした。しかし。
「次の日曜は中華街行こうか」
放課後、西口マックで熊谷を待っていた俺に届いたハヤトのLINEは、まるで台風など意にも介さないと言わんばかりだった。
「台風じゃないのか?」
「だったら好都合だろ?」
……まあ確かに、わざわざ台風の日に中華街なんか行かないだろう。必然的に知り合いと遭遇するリスクも減るけれども。「電車が止まったらどうするんだ?」とそんなふうに送ったら、「そのときはそのとき」というセリフ付きの例のウサギが返ってきた。汎用性高いな。
「そういやそのウサギ、名前あるのか?」
「ホワイトラビットとか」
そんな返信に少し遅れて、「マイネームイズホワイトラビット」と言っているウサギが届いた。気になって検索してみると元ネタの不思議の国のアリスでも同様だった。アリスを不思議の国へ導いたり、それ以外でも度々登場する主要キャラなのに名前がないとは。マスコットなら名前くらい付けてもいいだろうに。キャロルも、ツバサさんも。
「なに変な顔してるの、三橋」
「うわっ」
いきなり話し掛けられて、俺は慌ててスマホの画面を消した。……大丈夫。ハヤトとのLINEは見られていない。問題があるとしたら心臓のダメージだけだ。
壁際の席に座っていた俺の正面から、熊谷と宮原さん、それと。
「初めてじゃない? ハッシーとマックなんて」
「そうだな。まさか杉戸が来るとは思わなかった」
トレーに山盛りのポテトとバーガーを二つ乗せた杉戸が「なにそれ」と笑った。
俺の隣に熊谷、真正面に杉戸、その横に宮原さん。数日前なら想像もつかない面子だった。
「考えてきた」と言って、熊谷がテーブルの上でスケッチブックを広げた。
「えらく早いな。……しかも上手い」
つい素直に賞賛してしまった。学ランで揃えた、男女混合の応援団のイラスト。中央には巨大な旗を持ったセーラー服の女子。ああ、なんとなく分かった。
「男子も女子も、全員学生服で固めてさ。一人だけセーラーで旗を揚げたら、格好いいかなと思って。ウチの学校ブレザーだから、目立つよ」
「それで杉戸か」
リレーには出ないと言っていた。胸が……いや、考えるな、俺。考えるとつい目がそっちに。
「どこ見てんの、ハッシー」
「うわマジ最低」
「三橋くん……」
「違うんだ」いや違わないが、他に何と言えるのか。杉戸、熊谷、宮原さんの視線によって、俺の周囲の体感温度は氷点下まで下がった。
「……確かに運動神経がいい杉戸なら、適任なんじゃないか? 流石にこの旗だと大き過ぎるけど。あと外見もいいし」
化粧や髪型で派手にしているが、杉戸は元々の顔立ちも整っている。ハヤトと親しくなるまでは、二人は付き合ってるんじゃないかとも思っていた。そのくらい釣り合いが取れているという話だ。が。
「外見って、顔? スタイル? また胸のこと?」
「ハッシーさあ……」
「三橋くん、ちょっとどうかと」
いやどうしろと。熊谷が余計なことばかり言うせいで、俺に訪れた氷河期が明けない。誰か、防寒具を持ってきてくれ……。
「なるほどねー」
バーガーを食べ終えた杉戸が指を舐めた。二つとも? いつの間に?
まあそれはいい。やっと、ようやく待ちに待った本題だ。
「だからアオっちに呼び出されたんだ」
アオっち? ああ熊谷か。
「急にゴメンね。これだったら杉戸ちゃんが適任だと思ってさ」
「私も、凄く格好いいと思う」
熊谷の話に宮原さんが同意し、俺も「異議なし」と頷いた。しかし。
「やってもいーけど、どうだろ」
杉戸はポテトを数本まとめてつまみ、口に放り込んだ。そしてまた指を舐めて、ジッと俺を見据えた。
「もっと適任、いるんじゃない?」
「えっ、誰?」と宮原さん。熊谷は「誰、誰?」と大袈裟に辺りを見回した。たぶん俺と同じことを考えている。俺は黙って、杉戸のセリフの続きを待った。
「ちょいごめん」と、杉戸はアップルパイの空箱が乗った宮原さんのトレーに、自分のトレーを重ねた。
「そっちも」
そう言われて俺がトレーを熊谷の前に重ねる。俺と杉戸の間にスペースが出来た。
「腕相撲。ほら、ハッシー」
ドン、と杉戸がテーブルに肘をついて手を伸ばしてきた。……お前、指を舐めた手で……。
杉戸はいつも通りの、軽いノリで喋っている。しかし断れるような雰囲気ではなく、俺はズボンで手を拭いてから杉戸の手を握った。出来れば向こうにもそうして欲しかった。
腕相撲はいい勝負だった。俺も杉戸も本気で、ギリギリ俺が勝った。手に付いた油分の量くらいの差だった。確かに俺は男子の中でも非力なほうだが、本当に女子か、杉戸?
「でしょ?」
「……何がだ、杉戸?」
何が「でしょ」なんだ? 俺の質問に杉戸は応えなかった。残ったポテトを勢いよく平らげて、二枚重ねのトレーを持って立ち上がる。宮原さんが小さく「あ」と言った。
「オッケー。やってもいいよ。でもハッシーがやったほうが盛り上がるよ。タカトも喜ぶだろうし」
じゃね、と軽く手を振って、杉戸は一人先に立ち去った。
「え、え? どういう意味?」
「……そのまんまの意味、だよね」
宮原さんの質問に、熊谷が答えにならない返事をした。俺は……。
「アイツ、手を洗わないで帰りやがった」
そのくらいしか、言えなかった。
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