第13話 中間試験対策勉強会ですから
晴れた朝。まだまだ暑い日曜日。二〇階の大きな窓から輝く海と山下埠頭を見下ろしていると、テーブルに皿とカップを並べる音がした。
「……美味しい。なんか、毎回悪いな」
ハムと目玉焼きの乗ったチーズたっぷりのトースト。野菜の優しいスープに、果物のスムージー。
「今日は時間がないからな。手早くできるクロックマダムにしたんだ」
先週のエッグベネディクトとどう違うんだろう? どっちも手の込んだ見た目だ。時短のためスープは昨夜に作り置きしたとハヤトが言った。時間がない、か……。
「じゃあ女装させる必要もなかったんじゃないのか?」
先週新宿で買った服のうちの一つ、淡い緑色のブラウスと白いサロペットに俺は着替えて、ロングのウイッグを頭の上で団子にしている。髪はハヤトの手によるもので、流石のハヤトでも満足いく仕上がりまで二〇分ほど要していた。時間がない、ねえ。
「必要あるだろ」とハヤトが言い切った。
「リョウは男の格好のままで俺とイチャイチャ出来るのか?」
「出来ない。……って言うか、イチャイチャなんかするか!」
全くこの男は、ブレないというか何というか……。まあ今日のコレは税金みたいなものか。
「勉強を教えてくれないか?」
ハヤトからのLINEで「次の日曜どこ行きたい?」と質問を受けての、俺の返信だった。中間テストまであと三週間。先日の小テストは呑気な俺にも危機感を抱かせるのに十分だった。
「じゃあおうちデートだな」
そんな返事と、ハートを抱えた例のウサギでハヤトは快諾した。おうちデート……。嫌な響きだ。中間試験対策勉強会とかにして欲しい。
「そういやあのウサギ、何なんだ?」
トースト……クロックマダム? に齧りつきながら尋ねると、ハヤトは「ウサギ?」と首を傾げた。
「ほらLINEの。あれだ、スタンプ」変な、とは言わない。
「ああ。あれは姉ちゃんのオリジナルだ。いや、厳密には違うか。不思議の国のアリスの男版のマンガ描いてて……」
「漫画家なのか、ツバサさん!? 大学生なのに?」
「まあ一応。商業誌で描いてるから、プロと言えばそうなるんだろうな」
それは凄い。熊谷と一仁も何か描いているらしいが、プロの漫画家の話を身近に聞くのは初めてだった。
「本あるのか?」
「……読みたいのか?」
「もちろん!」
「BLだぞ。一八禁の」
「うっ……!」
それが、ハヤトがずっと歯切れの悪い話し方をしていた理由か。なるほど、ツバサさんらしいっちゃ、らしい。
少し悩んで、それでも結局好奇心には勝てず、俺はツバサさんが描いたという単行本を読んだ。……凄え。マンガを描けるのも凄いけれど、……とにかく内容が凄かった。怖いよ、あの人。やっぱり。
「リョウの場合、数学は何ていうか、少し馬鹿になったつもりでやれば点が取れるんだよ」
どういう理屈だと思ったが、ハヤトのアドバイスは実に的確だった。いや解ける解ける。目から鱗がポロポロ落ちていくようだった。
「リョウは地頭がいいからな。問題に引っ掛かる度に、なんで? って考えるだろ」
「確かに」
「理系に進むならともかく、そうじゃないなら考えないほうがいい」
「いいのか、それで?」
「高校数学で求められてるのは基本的に思考力じゃなくて処理能力だからな。方程式の意味を求める問題なんて見たことないだろ?」
「おお……」
そういう考えがあるのか。学校じゃ絶対に教えて貰えないだろう。
「先生って呼んでいいか?」
「やめてくれ」
ハヤトは照れ臭そうに首を振った。……へえ、コイツでもこんな顔をするのか。
特に苦手な数学と物理を終えたところで、昼食の時間になった。ハヤトがケータリングで頼んだパスタ。「食べに行くか?」と聞かれたが、当然断った。こんな格好で近場をうろつけるわけがない。
「ハヤトは理系に進むのか?」
「勧められてはいるけど、どうだろうな」
和風パスタを食べながらの会話。ハヤトは理系科目では常にランクインするほどの成績優秀者だ。その上運動も出来る。中庸という海域に生息している俺とは、基本スペックがまるで違う。
「出来ればリョウと同じクラスにいたい」
「お前はまた、そういうことを……」臆面もなく言いやがって。
「嫌か?」
「いや、じゃなくて、その、……嫌じゃあ、ないけど」
近い。顔が近い。……俺の顔が熱いのは、ツバサさんの漫画を思い出したからだ。なんてものを読ませたんだ。……いや俺が読みたいって言ったのか。それはともかく。
「そ、そう言やハヤト、リレー出るんだって?」
「……ああ。市ヶ谷にも頼まれたからな」
ふっと部屋の温度が下がった気がした。エアコン……じゃない。ハヤトの温度だ。
……訊いて、みるか? ここ最近、教室でもプライベートでもハヤトを見ていて、俺が抱き続けている違和感。聡いハヤトは俺の疑問もとっくに認識しているだろう。
「リョウは応援合戦の手伝いだって?」
「……よく知ってるな。誰から聞いた?」
「熊谷が吹聴してる」
「あの野郎……いつか絶対〆る」
「その格好で言うと、変な迫力があるな」
そう言ってハヤトは愉快そうに笑い、俺は機会を一つ逃した。
おうちデート、じゃ断じてない、勉強会を終えて着替えたあと。
「男塾って知ってるか?」
二人分のコーヒーを淹れながらハヤトがまた突飛なことを言い出した。月曜、つまり明日までに応援合戦のアイディアを持って来るよう熊谷に言われていると俺が漏らしたあとだった。結局何も考え付かず、難儀していた問題だ。
「……昔読んだな。ジャンプの古いマンガだろ? 確か昭和の」
オタクを自称する以上、名作と呼ばれるマンガには粗方手をつけている。ギャグ多めの、男臭いバトルマンガだ。ハヤトは満足そうに頷いた。
「さすが、話が早いな。そのマンガの中に大塾旗ってのがあってな」
「無茶言うな」
それほど多くを憶えているわけじゃないが、いくら何でもそのエピソードは憶えていた。あとは民明書房と、ゴルフの考案者が中国の武術家、呉竜府(ゴ リュウフ)ということくらいか。勉強になるマンガだった。
バトルが弱く、身体も小さい登場人物が畳五〇枚分だかの巨大な旗を持ち上げて仲間を応援するという、俺には大変共感できる感動的なエピソードだったが。
「なに考えてんだよ、全く……」
まるで現実味のない、荒唐無稽、トンデモな話だ。何を言い出すかと思えば。
「なにもアレをやれって話じゃない。ネタとしてどうか、って思ったんだ。要るのはアイディアだろ?」
「……ああ、そういう……」
ハヤトは単純に、アイディアの枯渇している俺に一案を挙げてくれただけだった。俺は素直に謝罪して、「参考にさせて貰う」と言った。
「じゃあまた来週の日曜に」
「ああ。今日はありがとうな、ハヤト先生」
俺は苦笑したハヤトと玄関先で別れた。
家に帰って夕食を摂り、風呂に入ってから録り溜めしたアニメを観て、その間ずっと熊谷の宿題について考えた。
「おはよ。アレ考えて来てくれた、三橋?」
翌朝。珍しく先に来て俺の席で宮原さんと喋っていた熊谷に、開口一番そう訊かれた。俺は軽く胸を張った。
「熊谷。男塾って知ってるか?」
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