第11話 悲しき玩具

 俺はオモチャじゃない。ましてや着せ替え人形では絶対にない。

「これも似合うな……こっちのセットアップはどうだろう」

「おい」

「そうしたらバッグはこっちか。あの帽子も合いそうだ」

「おい!」

 百貨店に入っているレディース服専門店の更衣室。俺の前で女物の服をヒラヒラと揺らしているハヤトに俺は小声で、それでもハッキリと抗議の声を上げた。付きっきりだった女性店員はハヤトが指定した帽子を取りに行っている。チャンスは今しかなかった。

「どうした? 他の店も見てみるか?」

 しれっとした顔でハヤトが訊いてきた。そんなわけあるか! この店でもう八軒目だぞ!

 そのセリフは店員が小走りで戻ってきたことで、声とはならずに空調の効いた店内に消えていった。ハヤトは両腕に幾つもの紙袋を下げている。上客にしか見えない俺たちに接する態度に店員の本気が感じられた。怖い。笑顔が怖い。

「俺はオモチャじゃない……」

 閉じたカーテンの中で俺にしか聴こえない程度の音量でぼやきながら、俺は黄色のワンピースから薄いデニム地のセットアップに着替えた。下、短パンだこれ。トランクスが、……その中身が落ち着かない。スカートより背徳的だぞ、この服。それもどうなんだ……。

「ハヤト」

 カーテンから顔だけ出して、俺は救援(?)を呼んだ。店員を外に残してハヤトが更衣室に入る。

「なるほどな」

 ハヤトは顎に指を当てて頷いた。おい、股間を凝視するな。

「下着も買いに行くか」

「この大馬鹿野郎」

 結局このセットアップも「一番似合ってた」ということで、ハヤトの紙袋コレクションに加わった。絶対着ないぞ、こんなの。

 同じフロアにあった女性下着の店では、普通に入ろうとするハヤトの腕を全力で引っ張ってどうにか事なきを得た。なんで入れるんだ!? どうなってるんだ、コイツの頭の中?



「もうやだ。新宿怖い」

 外はすっかり夜になり、そこら中、建物という建物が煌々と光を放っている。新宿という街がチョウチンアンコウの如き本性を顕し、光に誘われた獲物に牙を剥いて襲い掛かってきているようだ。実際に牙を剥いているのはハヤトなんだが。コイツは新宿よりずっと怖い。

「聞いた話なんだけどさ」

 存分に買い物を楽しんで(ハヤトがな)、昼間より明るい気がする大通りを新宿駅まで歩く途中、そんなふうにハヤトは口を開いた。

「新宿の服屋は、結構女装の男が服を買いに来るらしい。実際、何人か見たな」

「え? 全然気付かなかった」

 そういう目線で見なかったからかもしれない。思い出そうとしてもまるで記憶に入っていなかった。

「思ってるほど人は人を見てないってことだろう」

 ……そうか? 今日一日だけで、相当な視線を浴びた気がする。女性より男性が多かった。すれ違いざま、信号の待ち時間、夕方に休憩で入ったコーヒーショップでも、明らかに俺に向いていた視線がいくつもあった。

「それはリョウが可愛いからだ」

「……またか」正直ハヤトのこれには食傷気味だった。心身の疲労がピークにあったせいかもしれない。

「俺より可愛い、本物の女の子がいくらでもいたぞ、新宿には」

「そうか? 俺には見当たらなかったけどな。お前が一番可愛い」

 なんで、コイツはこう真顔で、男の俺にこういうことを言えるんだ。

「……嫌なのか? 可愛いって言われるのは」

「……嫌、じゃない。嫌じゃないんだけど」

 言葉が整理出来ない。俺が黙るとハヤトも黙った。待ってくれている。新宿駅へ下りる階段が見えたところで俺たちは立ち止まっていた。人が多いのに目に入らない。俺はハヤトの顔を見上げて、はっきりと言った。

「俺は、男だ」

「うっそ」

「めっちゃカワええやん」

 すれ違ったカップルが驚いて振り返り、そのまま歩いて男のほうが電柱に激突した。

「……もちろん知ってる」ハヤトが頷く。

「可愛いって言われるのが嬉しい感情と、別の感情が同居してるんだ。いま。俺の中に」

 一言ずつ、単語を噛むような間怠っこしい俺の喋り方に、ハヤトは静かに頷いて付き合ってくれた。

「京都のイベントで、知らない奴から可愛いって言われるのと、ハヤトから言われてるのと、何が違うのか、俺にはまだ分からない。でも違うんだ。はっきり、違う」

 少し考えて、続けた。

「子供の頃から、それこそ物心ついたときから、ずっと可愛いって言われてきて、それが本気で嫌だった。……ああ、いまは大丈夫だ。受け入れて、いや開き直って、女装レイヤーを始めてからは、褒め言葉として受け取ってる。でもな」

 顔を上げるとハヤトが俺を見下ろしていた。本人に悪意はない。ハヤトは真摯に俺と向き合ってくれている。そこに身長差があるだけだ。

 ……分かった。見付けた。これだ。

「俺は、男だ」もう一度繰り返した。

「ああ。そうだな」ハヤトが頷いて、俺も頷いた。

「だから、格好よくなりたいんだ。本当は。ハヤトみたいに、格好いい男になりたかったんだ」



 憶えている限りで、最初は幼稚園だった。当時の俺はカブトムシになりたいだけの男の子だった。

「女の子みたいね」「お人形さんみたい」とは子供の褒め言葉としては常套句だろう。ただ俺のケースでは少し、いやだいぶ違っていた。

年長。お遊戯会。謝恩会かな。保護者や先生たちが観客だった。

 俺は赤ずきんになっていた。赤のポンチョはお気に入りだったが、白タイツが滅茶苦茶恥ずかしくて嫌だった。

 誰が配役をしたのかは忘れた。理由は憶えている。「組で一番可愛かったから」だった。男の子たちからは笑われて、女の子たちには総スカンだった。まあ当然だろう。

 小学二年。クラス対抗の演劇大会だったか。俺は白雪姫。確か投票だったと思う。このあとしばらくあだ名が「姫」になった。

 この頃に「女の子に生まれたほうが良かったのかな?」と疑問を持った。親は笑うだけで頼りにならず、自分で考えて出した結論は「違う」だった。

 カッコよくなりたい。というか、大人になればカッコよくなる。そんなふうに当時の俺は思った。未来の自分を想像した。そういや想像を絵にしたな。……あとで探して燃やそう。必ず。

 で、五年のときはシンデレラになった。中一でラプンツェル。練習の間は散々揶揄われたが、本番の俺は誰にも笑われなかった。「ガチで可愛かった」からだ。

 ……これだけだとオレ無双みたいだが、そういう話じゃない。

 中一の三学期あたりから、俺とまともに話してくれる奴はほぼいなくなった。男子からは「女」と言われて、女子からは煙たがられて、どこにも属せずに孤立していった。絡んでくるヤツはいたが、俺の見た目をイジるような話ばかりで、ゲームの話もアニメの話も出来なかった。誰も俺の内側まで入って来なかった。……それを「孤高」とか思っていたフシがあるのは当時の俺の痛いところだ。

 身長は伸びないし、顔もほとんど変わらない。声変わりはしたもののそれも中途半端で、何故か喉仏も出てこない。そんなことあるのか? いや実際そうだから仕方ない。いずれにしても俺は、昔の俺がイメージしたような「カッコいい俺」にはなれなかった。

 そんな頃、俺はある人物に出会った。

「ありのままのキミでいいんだよ」

「キミがキミを好きでいてあげなきゃ。私だって一番のファンは、いつでも私だよ」

「うん。やっぱりいつものキミが、最高にカッコいい!」

 天衣無縫。天真爛漫。ファンの間で「最強」と評される笑顔を、綾瀬アヤはテレビの画面越しに見せてくれた。許された。同時に、どうしようもなく憧れた。

 俺は、俺のまま「カッコよく」なればいい。そんなふうに思えるようになった。

 綾瀬アヤのようになりたい。俺が誇れる「最強」の俺になりたい。

 それが。何がどうして、いつの間に「綾瀬アヤになろう」となっていたのかは、自分でも不可解なところがある。なんでだ?

 いずれにせよコンプレックスでしかなかった自分の外見と向き合った結果が、女装レイヤーの俺が生まれた理由だ。

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