第8話 敗北者の矜持
西横浜の駅に着いた頃にはすっかり夜になっていた。夢遊病者の気分だ。傍から見てもそう見えたと思う。
「難しいだろう、普通に考えて」
高坂の告白の返事に、俺はそんな言葉を選んだ。ふーっ、と高坂は長い長い息を吐いた。
「良かった」
「良かった?」
俺はつい聞き返した。高坂には俺の返事がどう聞こえたんだ?
「難しいのは承知してた。不可能じゃないなら、いいんだ」
いやいや。
「それは言葉のあやってやつだ。無理。不可能。断固反対する」
ジェスチャーを交えて拒否を示した俺を、高坂は愉快そうに眺めた。なんだコイツ。腹が立つ。
「難しいって、言葉だ」
「……それがなんだ」俺には高坂の言わんとしていることがまるで分からない。
「いるんだろ? 三橋の中に、あの日のお前が、まだ」
「……!」
絶句とはこういうことか。高坂の台詞が鋭利な刃物のように胸に突き刺さって、俺は言葉を失った。
「それを三橋は、自制心で抑え込んでる。難しいって言葉は、そういう意味だ」
「……勝手に俺の心を読んだ気になるな」
本気で腹が立ってきた。自分でも理解出来ない、理解したくない感情を、タケノコの皮でも剥くように容易く言い当ててくる高坂を、俺は虚勢も総動員して睨みつけた。
「……仮にそうだとして」
冷静になるために、もう熱くはないコーヒーを一気に飲み干した。
「男の俺が、男のお前と付き合う理由にはならない」
高坂の告白を受けて、俺がイエスと言わなければならない理由なんかない。俺には俺の気持ちがあって、付き合う相手を自由に選ぶ権利がある。あるはずだ。
「……そこで、コレの出番だ」
至極平然とした顔で、薄く笑みさえ浮かべて高坂はスマホを俺に向けた。「三橋」というタイトルの画像フォルダ。うっ、と声が漏れた。
「まさか、お前……」
「俺、最近ツイッター始めたんだ」
高坂はそう言って画面を切り替えた。ツイッターの画面。フォロワー数二四二。フォローも同数。全て相互フォローだ。
「二年が百五〇人くらいで、あとは一、三年と地元のヤツだったな」
「……」
「画像ってどうやってアップロードするんだ、三橋?」
……コノヤロウ……。俺はがっくりと肩を落とした。事実上の敗北宣言。白旗だった。
「……卑怯だぞ、高坂……」
もうダメだ。これはただの負け惜しみだと、自分で認めてしまった。
「駆け引きと言ってくれ。それだけ本気なんだと」
……たぶん好き、とか言っていたくせに。何が本気だ、チクショウ。
「……で。改めて告白の返事を聞いてもいいか?」
組んだ指に顎を乗せてニコニコと笑っている高坂を前に、俺は悩んだ。長くもない一生で、一番悩んだだろう。それで、出した答えだ。
「……保留」
「それは、お試し期間を設ける、ってことでいいのか?」
何だこのポジティブ脳。高坂はスマホを置いて、例のダンボールに俺が戻していた女物の服を取り出した。「楽しみができた」と心底嬉しそうに笑う。……あのスマホを奪って、コーヒーに水没させる。ダメだ。なんで飲み干したんだ、俺。
「……地元以外で、頼む……」
「いつにするか、初デート。いや二回目か。早いほうがいいな」
楽しそうにスマホのカレンダーを眺める高坂に、俺は思いつく限りの呪いの言葉をぶつけた。……脳内で。
三日後の日曜。場所は新宿。朝一〇時に高坂の家に寄って、着替えてから出掛ける。そう決まった。決めたのは当然高坂だ。
「持って帰るか、この服?」
「こんなの家で着れるわけないだろ!」
「モーニングコール要るか?」
「いらんわ!」
そんなやり取りをして、俺はようやく高坂の家を出た。
「そういえば日曜の朝なんて、両親は平気なのか?」
帰り道でLINEをしたら、父親の赴任先の北海道に両親とも行ってしまっているとのことだった。事実上の一人暮らしだと。ついでに変なウサギが親指を立てているスタンプも来た。……いちいち腹が立つ。
家に着いたら母親に「珍しいじゃない、こんな時間まで」と言われた。
「お兄ちゃん、彼女でも出来たのー? そんなわけないか」
憎まれ口ばかり叩く妹の莉里に「彼氏なら出来たぞ」と言ってやろうかと思ったがやめた。言えるわけがない。
翌朝。初日よりさらに重い足を引き摺って登校した。今日から通常通りの授業で、それもまた憂鬱だった。
「おはよ、三橋くん」と隣の宮原さんに挨拶されて、同じように返した。クラスメイトとして認識されたようだった。
予鈴ギリギリに来た高坂はいつもと変わらない。
「学校では今まで通りに接してくれ。頼む」
そんな俺の言葉を忠実に守ってくれているようだった。
……友達が出来たと思ったんだがな。昨日までは。昨日の一件がなければ秘密を握られているとはいえ、ここから良好な人間関係が築けたんじゃないかと思う。高坂経由で杉戸辺りとも、もっと話せたかもしれない。しかしもはや全てはif、架空の話だ。
高坂は俺から見て右斜め前方の席。机五つほどの距離に座っている。その背中を俺はほぼ一日中、カビの生えそうな湿った目で眺めていた。
格好いいんだ、やっぱり。外見だけじゃなく動きも、話し方も。それがどう間違って俺に、俺なんかに告白するなんて事象が発生したんだ。……いくら考えても釈然としない。
そして放課後。
「なあ」
これから帰り支度を始めようかというときに、同じクラスの越生が話し掛けてきた。よくつるんでいる名栗と一緒だった。嫌な感じだ。遠い記憶にある嫌いな奴らのニヤケ顔と同じ顔だった。
「お前、高坂が好きなん?」
……はあ!?
「今日ずっと、高坂見てたろ」
……そんなにあからさまだったか? 心当たりがあるところがまた何というか、筆舌に尽くしがたいというか。
「いや……そんなことは」
モゴモゴと陰キャらしく、俺は反論とも言えない反論をした。大体の場合この手のヤツらはここでつけ上がる。この二人も例に漏れなかった。
「よく見ると女みたいな顔してるもんな」
「けっこう可愛いじゃん」
「なんだよ名栗、お前もそっちかよ」
……越生と名栗は俺を怒らせようとしている。怒らせて、またあげつらって、しばらく笑うためのネタにする気だ。こういった出来事は中学までで、膨満感を覚えるほど経験済みだった。
「いや、そういうわけじゃ」
何だかんだで、対策としてはこういう煮え切らない、さも陰キャらしい反応がいい。コイツらの想定内に留まることで「つまらない奴」と認識される。そうすればすぐに飽きられる。……のだが。
「なんか中身も女みたいだな」と越生が笑った。
「……」
俺は黙った。黙って越生の顔を見上げた。これは陰キャのマニュアルの外の行動だ。
今日の俺はとにかく虫の居どころが悪い。そしてこいつは、見事に虫の居場所を探し当てて踏みつけた。
殴るか、十倍殴り返されても。そう考えて俺は立ち上がった。そのとき、ガタンと大きな音が教室に響き渡った。越生と名栗が驚いて振り返る。この二人は背を向けていたが、高坂の机が派手に倒れるところを俺はしっかりと見ていた。
「何やってんのタカト!?」
「……足が絡まった。長いからかな」
確かに高坂の足は日本人の平均より明らかに長い。でもそうはならないだろ。
「もー、心臓止まったじゃん。大丈夫?」
文字通り胸を撫で下ろした杉戸に高坂は「悪い、悪い」と謝罪し、ガタガタと机を起こした。
「三橋、話し中だったか? ゲーセン行くんだろ? この前の決着つけようぜ」
「あれタカト、マックはー? ポテパはー?」
「悪い千波。三橋と約束してたの忘れてた。俺が負けててリベンジなんだ。ポテトは明日奢るから。今日金使うからSだけど」
「Sじゃパーティになんないじゃん」
ああなるほど。ポテパはポテトパーティの略なのか。
「でもリベンジじゃしょうがないね。頑張れ」
杉戸は高坂の肩をトン、と叩いた。そして「ハッシーも負けんなよー」と声を張った。適当な応援だな。……ちょっと嬉しいけど。
「お前らも行くのか?」
歩み寄ってきた高坂に声を掛けられた越生と名栗は、いかにも小悪党の体でそそくさと姿を消した。
「行こうぜ」と高坂が俺のカバンを取り上げて出てしまったので、俺もついて行かざるを得ない。慌てて教室を出る瞬間、視界の端で杉戸の口が「へえー」と動いた気がした。
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