第6話 あの日の写真と変なウサギ

 横浜駅西口のマックに入って、熊谷と一仁は横並びでハンバーガーのセット。俺はコーラと山盛りのポテトと共に熊谷の正面に座った。いや座らされた。ポテトは何故か二人の奢りだ。取り調べ室のカツ丼みたいなものなんだろうと思った。

「この場所はアニメの聖地で名高い、京都の鴨川デルタ。間違いない?」

「はい、間違いないです」

「で、この女性はアナタ。三橋稜くんで間違いない?」

「……」

「黙秘は不利になるだけだよ」

「……はい。間違いありません」

「その辺にしてやって、碧ちゃん」

 熊谷の尋問を見かねた一仁が口を挟んだ。助かった……いや助かってない。一仁の目は熊谷以上に輝いていた。

「すげーじゃん、リョウ。こんな特技があったんだな」

「特技ってわけじゃないんだ……」

 いや特技なのか? 自分でもよく分からなくなってきた。テーブルの上に置いたスマホにはあの写真が開いたまま。時間が経ってバックライトが消えると、熊谷が画面を指でトントン叩いてまた写真を表示させる。それを少なくとも二十回は繰り返していた。地味に効く嫌がらせだ。

「撮ったのが高坂なら、なに、夏休みに二人で京都デートしてたってこと?」

 デートってなんだコラ。

「そうじゃない。これには色々事情があって……」

 仕方なく俺は、二人にあの日のことを掻い摘んで説明した。ツバサさんの家に高坂と泊まったことは濁して、女装コスプレのことと、それが高坂にバレたこと。翌日着る服がなくて、ツバサさんの服を一日借りていたということをだ。

「つまり……一日中、女の子の格好で高坂とデートしてたってことだね。ヒューッ」

「だから、何でそうなる!?」

 ダメだ。頭が痛くなってきた。ツバサさんもそうだったが熊谷もこういう話になると手に負えないのか。女性だからか? そう断じれるほど、残念ながら俺は女性の生態に詳しくない。

「ともかく、この写真は見なかったことにしてくれ! 頼む」

 俺は二人に向けて手を合わせた。

「まーそのほうがいいよね。クラスの女の子たちに知られたら、三橋は極刑だろうし」と熊谷。さらっと恐ろしいことを言ってくれる。

「高坂の名誉のためにも、黙ってたほうがいいだろうね。オーケイ、俺たち三人の秘密ということにしよう」

 ……良かった。持つべきものは友達、と思うのは少々早かった。

「だが条件がある」と声が揃った。……嫌な予感。それは大体の場合に的中する。

「すげー、すげー!」

「まんま綾瀬アヤだね! 凄いよ三橋!」

 人から貰ったり、こっそり自撮りしたりした俺の女装コスプレのデータフォルダを、全て開示させられた。

 褒められるのは悪い気がしないが……、自ら底なしの沼にはまっていっているような感覚で、俺は黙々とポテトを食べ続けた。



 家に帰るなりベッドに倒れ込み、しばらくそのまま制服でゴロゴロと転がっていた。疲れた。とにかく疲れた。もう学校には二度と行きたくない。今日が終業式、いや卒業式でもいいくらいだった。

 やがてゴロゴロするのにも飽きて、スマホを立ち上げた。高坂のLINEから例の写真を呼び出す。ピースサインを作って、無邪気に笑っている、俺。間違いなく俺だが、俺とは思えない。女装レイヤーのときとも違う。普段の俺にはあり得ない、警戒心の全くない笑顔のせいだ。

「よく撮れてる」

 事情を知らない杉戸が見れば、確かに彼氏が撮った、彼女の写真にしか見えないだろう。写真から、愛情を込めてスマホを構える彼氏の姿が透けて見えてきそうな一枚だ。実際は男が撮った男の写真なんだが。

「……可愛いな、俺」

 いやなに言ってんだ。

 俺は反射的にスマホの画面を消して部屋の中を見回した。両親は仕事で、妹は塾だ。ボーダーコリーのマイケルはリビングで寝ていた。部屋には俺しかいない。

 もう一度スマホを点ける。データフォルダのコスプレ写真を流し見て、小さく溜め息を吐いた。……そうだ。

 自分が可愛いなどという思い違いをしたから、こんなややこしい事態になった。……実際に可愛いんだが、それはいま問題じゃない。

 陰キャで、コミュ障で、アニメとゲームくらいしか趣味のない根暗なオタク。それが本来の俺だ。幼稚園の頃から中学を出るまで外見のことで揶揄われ続けて、こうなった。いや、自分でこうなろうと決めて作り上げた俺だ。いまの俺に不満も後悔もない。

「やめるか、コスプレ」

 あの日の俺は京都に置いてきた。なら女装レイヤーの俺も一緒に置いてきたことにすればいい。

 もう一度前髪も伸ばして、気配を消して生きていれば、さほど時間を要さず皆俺のことを忘れてくれる。たぶん高坂も。一仁と熊谷もそのうち察して、そっとしておいてくれるだろう。何ならしばらく学校を休む手もある。親に心配をかけてしまうから、それは最後の手段だが……。

 突然、手の中でスマホが振動して耳慣れない通知音が鳴った。LINEだ。高坂から。

 ひどく億劫な気持ちでLINEのアイコンに触れた。アプリの中で開いたままだった例の写真が表示される。天真爛漫な笑顔。頬を伝う感触で、俺は、自分が泣いていることを知った。

 何だこれ?

 ……何だ、これ。

 気持ち悪いヤツだな、俺は。女装した自分の写真で泣く奴がいるか? どういう感情なんだ?

 自分の気持ち悪さに本気で戸惑っていたら、今度は電話の着信音が鳴ってスマホを落っことした。高坂からのLINE通話だ。慌てて起き上がってスマホを拾い上げ、通話アイコンを押した。

「おー三橋。いま何してた?」

 まさか自分の写真で泣いていたとは言えない。「特に。家でゴロゴロしてた」と、これも嘘じゃない。実際ゴロゴロしていた。

「三橋の家、どこだっけ?」と、また唐突な質問だ。

「……西横浜」

「まあまあ近いか。これからウチまで来れるか? 馬車道だ。駅まで迎えに行くから」

 声だけで分かる。高坂の様子がおかしい。

「どうした急に」と訊いたら、少し黙った。そして言いにくそうに、奥歯に何か詰まっているような声を出した。

「いや、姉ちゃんからお前に荷物が届いててさ。品名に親展、忘れ物って書いてあって、まだ開けてない」

 ……何だその嫌な感じしかしない荷物は。

「ちょっと待ってくれ、高坂」

 スマホのマイクを指で押さえて、考えた。何故かは分からない。分からないが、とんでもなく大きな、人生の分岐点に立っている気がする。

 断るべきだ。何か理由をつけて、高坂にもその得体の知れない荷物にも、今は会わないほうがいい。マイクから指を離して、スマホを耳に当てた。……電話が切れていた。

 すぐにまたLINEが鳴った。立て続けに三回。

「ごめん、エレベーター乗ったら切れた」

「駅に着いたら連絡くれ」

 ……よろしく、と文字のついた変なウサギのスタンプ。腹の立つ顔だ。何だよこの変なウサギ。

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