第5話 人生は二度終わる
乗るつもりだった新幹線には結構ギリギリになってしまったので、少し遅らせて結局高坂と一緒に帰ることにした。高坂からの申し出だったが、俺も少し嬉しかった。
「リョウくん、冬のイベントも来るんでしょ?」
「え? あ、……まあ、多分……」
ツバサさんに訊かれて、つい歯切れの悪い返答をした。嘘はつきたくないけれども、出来ればもう関わり合いになりたくない……失礼ながら。それくらいには嫌なというか、怖い思いをさせられた。
ツバサさんのマンションで着替えるときも「そのまま帰ればいいのに。あげるよ、その服。私より似合ってたし」なんて言っていた。
「結構です」
当たり前だ。肚を据えてからは結構楽しんで(?)いた気もするが、今日のこれはあくまで非日常。超が付くほどイレギュラーの出来事だ。ツバサさんの服も今日の自分も、横浜に連れて帰る気は毛頭ない。
「そっかそっか。じゃあ次は隼人と一緒に来るといいよ。ちゃんと部屋、掃除しておくから」
「え? 俺も来るのか、姉ちゃん?」
「それは隼人氏の御心次第でござるよ」
……どうにも掴めない人のままだったツバサさんとはマンションで別れ、高坂と京都タワービルでラーメンを食べて、新幹線に乗った。二人掛けの隣の席で、昨夜に続いてアニメの話で盛り上がった。
「高坂がこんなに話せるとは思わなかった」
「俺はお前ともずっと話したかったけどな。クラスでちゃんと喋ってないのは三橋くらいだ」
うわ、眩しい。こんな至近距離でリア充のオーラを出さないでくれ。
俺だけじゃなく陰キャオタクの多くが、他人に自分のパーソナルスペースを侵されることを恐れる。だが不思議と高坂に踏み入られても嫌な感じはしなかった。陽キャの輝きで照らされても眩しいだけで、苦痛じゃない。昨日と今日でコイツが俺を尊重してくれる「いい奴」だと知ったからだろう。しかし……。
「だから、二学期から普通に話し掛けてくれよ」
「う……。いや、まあ、……善処はする」
「休みに遊んだりしようぜ。ゲームも結構やるぞ、俺」
不覚にも少し感動した。本当に高坂はいい奴だ。しかし、だからこそ、距離を置くべきだ。あくまで俺は陰キャ。分を弁えなければならない。同じクラスの住人だが、住んでいる水深がまるで違うのだ。
高坂が少し考える顔をしてから口を開いた。
「……ちょっと言うの迷ってたんだけどさ。三橋、お前、前髪切ったらどうだ?」
……うっ。
反射的に俺は自分の前髪を手で押さえた。これは中学までのトラウマから俺自身を守る、大事な大事な鎧だ。
「女顔だって気にしてるのは分かったけどさ。印象変わると思うな。もちろんいい意味で」
「いや前髪は……、前髪だけは……」
ぶつぶつと小声で言っていたら、高坂は「無理にとは言わないよ」と笑った。
「考えてみてくれ」
「……検討は、する」
新横浜に着いたあと、一緒に乗ったJRの中で俺は高坂とLINEの交換をした。二人とも横浜駅だったが、俺は相鉄線で高坂はみなとみらい線。「じゃあまた学校で」と言って、JRの改札で別れた。
前髪の件はその後夏休みが明けるまで、けっこう悩んだ。色々なものを天秤にかけて、高校に同じ中学出身がいなかったことが、最後の決め手になった。
あとにして思えば。
度々思い返していた京都でのことが、俺という人間に何かしらの化学変化をもたらしたのだと思う。
人間の化学変化は一人では起こり得ない。高坂もまた変化をしていたということに、俺はすぐ気付くことになる。
「雰囲気変わったね、三橋くん。彼女できた?」
二学期。登校して席に着くなり、隣の席の女子にそう話し掛けられた。宮原さん。一学期に話したことは……正直記憶にはない。
「……いや。そんなことはないけど」
「えーっ、そう? けっこうモテそうだよね」
初めて言われた。もちろん生まれてこのかた女子にモテたこともない。ただ座っているだけで、そのあとも数人の女子から「おはよ」と挨拶された。透明じゃなくなった透明人間の気分だった。
予鈴の少し前に高坂が教室に入ってきて、俺を見つけると嬉しそうに笑った。
「久しぶり、三橋。髪切ったんだな」
「あー、……高坂。相当悩んだけど、な」
「でもやっぱ、そっちのほうがいいな」
軽く手を振って自分の席に戻った高坂に、杉戸という女子が話し掛けた。
「おひさ、タカト。あれ、前からハッシーと話してたっけ?」
「まあな、普通に」と高坂はお茶を濁した。杉戸千波。少々派手めな、高坂と仲の良い女子だ。ちなみに俺が以前から会話を交わしている、ごく少数のクラスメイトの一人でもある。コミニュケーションの化身のような人物だ。
「あ、切ったんだ、髪。ハッシー。めっちゃウザかったもんね」
「……はは」
確かにウザかったけれども、そんなにハッキリ言わなくても。俺がなんて返事をするか考えているうちに杉戸は踵を返し、すぐに仲の良い女子のほうに混ざった。
予鈴が鳴る。皆自分の席に戻る。その後、小さな事件が起きた。
「あれー、タカト。彼女出来たのー?」
隣の杉戸が高坂のスマホを覗き込んで、クラス全員に聞こえるほどの声を上げた。「えーっ!」と、女子たちの悲鳴に近い叫びが教室の空気を揺らした。
「そんなんじゃないよ」
「ウソだあ。彼女じゃない女の子、普通壁紙にしないよ」
「違うっての」とスマホを片付けた高坂の視線が、一瞬だけ俺のほうに泳いできた。
……まさか、高坂……。
始業式とホームルームだけの初日を終えて、高坂や杉戸らリア充グループは早々に姿を消した。カラオケとか何とか。
特につるむ相手もいない俺は、このあとゲーセンに行くか本屋に行くか考えながらノロノロと帰り支度をしていた。
「よ」
そう声を掛けてきたのは熊谷碧。オタクを公表している珍しい女子だ。そういやコイツがいたか。
「なーんかさっぱりしてるから、二学期デビューしたのかと思ったけど、違うんだ」
「髪切ったくらいで陰キャが治ると思うか?」
「思わないね。天性の素質だし」
熊谷の台詞に二人で笑った。すっかり忘れていたが、熊谷は女友達と呼べないこともない相手だ。忘れていたが。
「ね三橋。このあと一仁と本屋行くけど、ついて来てもいいよ」
「恩着せがましいな。いいよ、行こうか」
桶川一仁は一年のときのクラスメイトで、高校で唯一といっていい、俺の友人だ。熊谷はその彼女で、一仁を通じて話すようになった。残念ながら二年で俺と熊谷がC組、一仁はE組と分かれてしまった。一仁は今も友人だが陰キャ仲間ではない。断じてない。彼女持ちの陰キャなど誰が認めても俺が認めない。
「おー、リョウ。一ヶ月振り」
「だな」
熊谷と向かった昇降口で一仁と合流して、横浜駅地下街の本屋を目指すことにした。ついでに西口のマックでも行こうかと話していたとき。俺のスマホから聴き慣れない音がした。LINEの通知音だった。俺がLINEの交換をした相手はただ一人、高坂だけだ。家族とは未だ何故か電話番号でメールをしている。
高坂からは「スマン」と一言。続いて何だか分からない、謝罪している変なウサギのスタンプ。続けて、画像が一枚。……鴨川デルタの亀の上で、ピースを作った俺の写真。続けてさらに、もう一文。
「大丈夫。お前ってバレてない」
……いや、全然だいじょばない。いや大丈夫じゃない。なぜなら。
「あれ、三橋。高坂とLINEしてんだ。意外……あれ? えっ?」
そんなふうに熊谷が画面を覗き込んでいて、反対側からは一仁が……。
「え、この写真、リョウなん!?」
思えば俺も迂闊だった。だから高坂だけが悪いとは言わない。一つ、言えるのは。
「もうダメだ」
改めて、地元横浜で、俺の人生が二度目の終焉を迎えたということだけだった。
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