第3話 洗濯機は止められない

「女の子の家に泊まるってどういうこと!?」

 ツバサさんと話した母親は酷く狼狽していて、高坂にも代わってもらってようやく事なきを得た。しかし「友達いたのね」とは何て言い草だ。……まあ普段の俺を知っていれば誰でもそう言うだろうけど。

 俺の家族構成は両親と小六の妹とボーダーコリーのマイケルで全員。女装コスプレのことは親にも妹にもマイケルにも話していない。当然だ。今後も話す予定はない。

「言えばいいのに」とはツバサさん。他人事だと思って好きに言ってくれる。

「私も観てたけど、凄い輝いてたよ。本当のアイドルみたいで、尊かった……」

「いや、そんな」遠い目をされても。

「隼人もそう思ったでしょ?」

「……そうだな。お世辞なしに、本物の綾瀬アヤそのものだった。それ以上か」とこっちも遠い目。おい、画像フォルダを開くな。

「もうやめてくれ……」

 居心地が悪すぎて、消えて無くなりたい気分だった。どういう状況だ、これ?

 ツバサさんのマンションは二条城の裏側でどの駅からも微妙に遠いということで、早い夕食のあとにタクシーで向かうことになった。大学へは自転車で通っているらしい。

「金ならあるでござる」

 そう胸を張ったツバサさんに連れられて、三人で中華ファミレスに入った。ツバサさんと高坂がやたらめったら注文して、それを三人でシェアした。中学高校とろくに友人を作っていない俺は家族以外でこういったことをするのは初めてで、少し感動した。

「楽しい?」

「……はい。ありがとうございます」

 もしかするとツバサさんはそこまで見抜いていたのかもしれない。少なくとも友達が多いふうには見えないだろう。

 ……とにかく二人ともよく食べるし、よく喋る。ほとんど姉弟で喋っていて、俺はたまに降ってくる質問に答えていただけだ。

 しかし。それにしても。

「リョウくんは女の子になりたいの?」

「いや、そういうわけじゃ」

「女の子と男の子どっちが好き?」

「……普通に女性じゃないですかね……。そういうふうに女子を見たことないんで分かりませんけど」

 どうもツバサさんの質問には偏りがあった。途中で高坂が助け舟というか、「腐ってるんだよ、姉ちゃん」と解説を入れてくれて腑に落ちた。そうか、これが腐女子というやつか。

「なーんだ。リョウくんもそっち側だと思ったのに。そしたら薄い本のネタになったのになあ」

 ツバサさんは拗ねた顔でジョッキを傾けた。俺と高坂はコーラ。二十歳というツバサさんはずっとビールを飲んでいた。酔っ払っていたのかもしれない。

「その辺にしとけよ、姉ちゃん」

 そう言って高坂がスマホを見た。俺も見た。一九時半過ぎ。ファミレスに入ってから三時間以上経っていた。

「トイレ。ついでにタクシー呼んでくる」

 そう言って高坂が席を立った。この状態のツバサさんと二人は気まずい。「水取ってきます」と立ち上がろうとしたら、テーブルについた手を握られて動けなくなった。

「ね、ね。最後に。隼人のことどう思う?」

「え?」

 腐女子と聞いた上でのこの質問は、嫌な予感しかしない……が。幸い、それは杞憂だった。少なくともこの瞬間は。

「仲良くなれそう? 二学期から、学校で」

「ああ、そういう意味。……そうですね、いい奴ですし、今日話せて良かったです」

 まあ、俺のほうから話し掛けることはないだろうが。底辺の俺が付き纏ったら、高坂の立場に悪い影響が出かねない。卑屈になっているわけじゃなく、客観的な事実だ。

「気にしないよ、隼人は。そんなこと」

 そう笑われて、ドキッとした。考えを口に出した覚えはない。高坂と俺の四歳上のこの女性は、俺の何をどこまで見抜いているのだろう? ……ちょっと怖い。色々な意味で。

「タクシー呼んだ。すぐ来るってさ」

 ハンカチで手を拭きながら高坂が戻った。席には座らず自分とツバサさんの鞄を取る。俺も衣装の入ったスポーツバッグを持って席を立った。

 レジで高坂が支払いをしている横で財布を出したら、ツバサさんに店の外まで引き摺り出された。

 ファミレスからマンションまではタクシーで一五分ほど。降りるときにお金を出そうとしたら「しつこいでござる」と頭を叩かれた。……酔っ払いって。



「ありがとう。汗かいてたから気持ち良かった。あと服も」

 ツバサさんの家。二人の後にシャワーを借りて、俺は高坂の待つリビングに戻った。パンツだけはコンビニで買って、Tシャツは高坂のもの(ドリキャスTシャツだった!)、膝丈のジャージはツバサさんのものを貸してもらった。「男物だから」と高坂。何から何まで本当に申し訳ない。

 ツバサさんが出してくれた客用の布団は一組しかなく、どうしても譲らない高坂がソファーにタオルケットで寝ることになった。

「一緒に寝ればいいのに」とどこまでも腐女子なツバサさんを追い出して、高坂は部屋に鍵を掛けさせた。

「……なんか、悪かったな」

「え? 何が?」

 高坂の謝罪に俺は素で聞き返した。

「こんなことになるなら、三橋を呼び止めるんじゃなかった」

「あー……」

 何だか随分遠い記憶のようだった。女装コスプレのことが高坂にバレたときは人生の終わりだと思った。その後ツバサさんと三人で色々喋って、あの恐怖と絶望感はどこかに隠れてしまっていた。……消えたわけじゃないが。それでようやく気付いた。

「気を遣ってくれたんだな、二人とも」

「そんな良いものじゃないけどな」

 俺と高坂はそれぞれ寝転がって、聴こえるかどうかくらいにボリュームを下げたテレビを眺めながら、時間をかけて結構話をした。

 クラスの連中が男女問わず、結構アニメの話で盛り上がれること。高坂の最推しが俺と同じで綾瀬アヤだということ。

 隠していた俺の女顔に、高坂は早い段階で気付いていたこと。「もったいないって思ってた」とは、……どういう意味だ?

「コスプレのことは誰にも言わない。安心してくれ」

「……画像を消してくれるのか?」

「そのほうが三橋は安心だろうな。……だが断る」

 お約束の言い回しに吹き出してしまい、一番頼みたいことは有耶無耶にされた。

「明日一緒に観光しよう。せっかくだし、多少なら案内もできるから」

 高坂の申し出を断る理由は、この時点での俺にはなかった。

 ……格好いいよなあ、コイツ。高坂。誰とでも、俺とでもこうして話せるし、他人を不快にさせない立ち回りを知っている。顔もいいし、背も高いし、成績も良い上に運動能力も高い。生まれ持った才能かもしれないが、違うかもしれない。そのどちらであっても一六歳でここまで完成するとは、相応の努力があったはずだ。悔しいとすら思わない。

「そろそろ寝るか」と言って高坂が電気を落とした。しかし完全には消さない。

「真っ暗なのダメなんだ、子供の頃から」と、なにやらツボまで押さえている。コイツめ。

 他人の家という緊張感でなかなか寝付けずにいると、すぐに高坂の寝息が聴こえてきた。……なんだろうか。余計に目が冴えてくる。

「……何を考えてんだ、俺は」

 借りた毛布を頭まで被って、睡眠に集中することにした。

 少しして、やっと睡魔が俺のところに眠気を届けにやってきてくれた頃、ドアの向こうでガサガサ音がした。やがて洗濯機が起動する音。ツバサさんはこんな時間に洗濯機を回すのか。近所迷惑じゃなかろうか?

 そういう俺も、脱いだ服を脱衣所に置きっ放しだった。小さく畳みはしたけれど。朝一番に片付けよう。そんなことを考えて、小さく欠伸をした。

 ……俺は、行動する腐女子の本当の恐ろしさをまだ理解していなかった。

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