第18話 助けてよぉ……
「もう少し食べれないか?」
深夜零時、一口で食べられる小さなおにぎりを作って、ベッドに横たわる五稜さんにオレは問いかけた。
今は二つほどのおにぎりを食べたところだが、本当に小さなおにぎりなので、通常の一口分程度の量だ。
つわり中は夜の間に胃の中のものが消化されて空になると、朝起きた時のむかむか感が強くなるらしい。なのでそれを少しでも軽減するために、夜の間もこまめに食べさせるようにしている。
「はい。もう少し食べられます」
「よかった……最近ますます辛そうだから、食べれる時に少しでも食べとおこうな」
五稜さんのつわりが始まってから更に三週間が過ぎ、一般的にピークとされる時期に入っている。
この時期になると一日のほとんどを辛そうに過ごしており、そんな彼女を見ると胸が締め付けられるような気持ちになる。
まだ女子高生で、身体だってオレよりも小さにのに……代われるのなら代わってあげたい。
「はい。でも大林さん、わたしのことばっかり気にせずにちゃんと休んでください。わたしは家にいるんですから、いつでも眠れますけど、大林さんはそうじゃないんですから」
「オレのことは気にしないでいい。健康だけが取り柄みたいなもんだし、講義の合間に仮眠はとってる」
心配させないためにオレは笑ってそう答えた。
実際は配達のアルバイトをやってたりもするので、仮眠をとる時、とらない時があるわけだが、正直に答えて心配させる必要はない。
「五稜さんは自分と赤ちゃんのことだけ考えてくれればいいから」
「大林さんは本当に優しいですね」
「だからそんなことないって。こんなの普通だ」
「いいえ、実はわたし妊婦さん同士で情報交換できるコミュニティーに入ったんですけど、大林さんのことを投稿するととても羨ましがられるんですよ」
投稿ってことはチャットみたいなものか?
オレがいない間は偶にお袋が見に来るようになったが、ずっとといるわけじゃないので、一人の時はそういうので暇を潰しながら情報を集めているのだろう。
「なんて投稿してるんだ? わたしの赤ちゃんの父親は強姦魔ですとかか?」
そんな投稿してないと思うが、本気半分冗談半分で聞いてみる。
「そんなことしません……大林さんがしてくれたことを投稿してるだけです。夜に起きておにぎりを作ってくれたり、日中にいない間にも困らないようにサンドイッチを作り置きしてから出かけてくれるとか、気持ち悪い時は背中をさすってくれたり、ちょっと体調がいい時は膝枕で甘やかしてくれるって」
「なんだ、そんなことか」
そんな当たり前のことを何で投稿なんてしてるんだ?
それで羨ましがられる? なんで?
「そんなことじゃないんですよ。よそのお宅では旦那さんの理解が無くて、家事とか普通にやらされたりとか、体調が悪くて夜中に起きても迷惑がられて別々に寝るようになったとか、優しくなんてされないって人が意外に多いんです」
「それは……クズだな」
自分で妊娠させておいて、辛さを共有することもなく妊婦さんだけに押し付けるなんて。
もちろん男側は仕事なんかで忙しいのはわかるが、妊婦さんはそれ以上に辛い思いをしてるはずだ。そんなの見ればわかるだろ。ホントに辛いときはベッドから起き上がることもできないのに。
なのにそんな仕打ちあんまりだ。
「そうですよ。だから大林さんは優しいんです」
「それはオレが優しいんじゃなくて、当たり前のことすらできなくなった男が増えただけのことじゃないか?」
「かもしれません。でも、そんな中でも大林さんは優しくしてくれるんですから、優しいんですよ」
そこまで言ってもらえるとは、何とも小恥ずかしいといいうか、くすぐったいというか、悪い気はしないな。
「だからわたしは幸せものなんだって感じます。ホントに大林さんでよかったです」
「…………」
そんな風に幸せそうに微笑まれても困る。
だってキミはオレに襲われて赤ちゃんを妊娠してしまったわけだろ?
本当ならまだ普通の高校生として青春を送っていたはずだ。
それなのに十七歳って若さでオレには想像もできないくらいしんどい思いをして、年明けには出産だって控えている。
まさに命をかけて次の命を産まなきゃならない。
相手が好きな人だったら、そうする意味があるのはわかる。でもオレの赤ちゃんでどうしてそう思えるんだ?
酔っていたとしてもオレは強姦魔だぞ。
五稜さんが特殊な考えを持っていなきゃ、とっくに捕まっていてもおかしくない。
「もう一つ食べさせてもらっていいですか?」
五稜さんが小さく口を開けて催促してきたので、オレは「あぁ」と頷いて、口元までおにぎりを運んだ。
そしてぱくっとオレの指先ごとおにぎりを咥える。
指先に若干唾液が付くが、オレも五稜さんももう気にしなくなった。
「もくもく……美味しいです」
「そっか……よかったな」
ただの塩おにぎりだけどな。
オレはよく食べましたと五稜さんの頭を撫でた。
心地よさげに目を細めて、ニコニコしている姿はまだまだ子供のようだった。
◇
「おえぇぇぇ――」
微かに聞こえてきた嗚咽の声にオレは目を覚ました。
カーテンの外側は暗い。
一体何時だ? と思いながら頭元に置いておいたスマホで時刻を確認すると、まだ一時だった。
おにぎりを食べさせ終わってから一時間も経っていない。
眠る前に隣で寝ていたはずの五稜さんの姿がなくなっている。
身体を起こし廊下の方に視線を向けると、玄関ホールの電気がついていた。
そして先ほど耳に届いた声――どうやらまた吐いているらしい。
「…………」
正直に告白すると、気付かなかったフリをして寝ていたい気持ちはある。少なくとも次の小ご飯までは意識を手放したい。
五稜さんもオレに気遣って、起こさないように一人でベッドを出ていったわけだ。
でも――でも女の子を強引に襲って結果的に妊娠されてしまったオレが、眠いから寝るなんて怠慢許されるはずがない。
本来なら犯罪者として捕まっているはずの身だ。
こんなことが罪滅ぼしになるなんて思っていないが、オレには五稜さんを世話する責任がある。
彼女はオレを優しいなんて言ってくれるが、全然そんなんじゃない。そんなんじゃないんだよ、ホントに。
眠くて重い身体にムチを打って、オレはベッドから降りて五稜さんのいるトイレへと向かった。
オレに声が聞こえないようにと配慮してくれているのか、ドアが閉まっている。
一応ノックしてからドアを開けようとした時だ。
「気持ち悪いよぉ、辛いよぉ、しんどいよぉ……もうイヤだよぉ」
中から嗚咽のようなぐずりのような声が聞こえてきた。
体調は悪そうだが、けして弱音を吐かない五稜さんがトイレで隠れて泣いている。
そのことにオレは動揺してしまった。
つわりが酷くなる前はいつも赤ちゃんが生まれてくるのが楽しみです! と笑っていたけど、今は泣き言を言いたいくらいの状態なんだ。
ずっとそんな五稜さんを見ていたから、隠れて弱気なことを言うなんて思ってもいなかった。
衝撃を受けていると、本人にそんな意思は全くないだろうが、まるで追い打ちでもかけるように――
「助けてよぉ、ナナミ……拓哉さん……」
――誰かの名前をすがるように呟いた。
本当に辛い時、咄嗟に呼ぶのは親などの親しい間柄の人だろう。
ナナミとは女の子の名前だろうか? それとも男? タクヤさんってのは間違いなく男だよな?
その二人が五稜さんにとってどんな相手なのかはわからないが、親しくて特別な相手なのだろう。
少しの間耳を澄ましたが、その二人の名前を繰り返し呼ぶものの、オレの名前を呼ぶことは一度もなかった。
五稜さんはオレと一緒に住んでいて、赤ちゃんだって妊娠している。でも恋人じゃない。あくまでオレたちの関係は襲った側と襲われた側だ。最近少し仲良くなったかな? と感じてはいるけど、その基本的な関係は変わりようがない。
だから……呼んでもらえるはずがない。
そうわかっているが、意外にも寂しくて悔しいと感じてしまう。
辛そうな時はオレを頼ってくれるし甘えてくれるようになったが、本心では……。
そう考えてしまうとドアを叩くことができず、しばらく壁に背中を預けながら低い天井を見上げた。
そして同時にとある可能性が頭に過った。けど、その可能性を否定するようにオレは首を横に振って、考えないようにした。
やがて水を流す音がして、五稜さんが出てきた。
「……大林さん」
「大丈夫?」
「もしかしてまた起こしちゃいましたか?」
廊下で待っていたオレに五稜さんは申し訳なさそうな顔をする。
「だから五稜さんが気にすることじゃないって」
このやり取りは一体何度目になるだろうか?
「でも……ただでさえ大林さんの睡眠時間を奪ってるのに、なのにまた……」
彼女がオレに負い目なんて感じる必要はない。
いつもそう言ってるのに、この子はまた同じように自分を責めようとする。
「五稜さんのために尽くすのは当たり前だろ? オレはその子の父親なんだから」
オレはちゃんと優しい表情を浮かべられているだろうか?
盗み聞きするつもりはなかったが、弱音を吐いているところ、そして誰かにすがるほどに苦しんでいるところを聞いてしまった。
そんな状況に追い込んでしまった自分を、許せそうにない。
「だから……安心してほしい。オレが守るから。キミのこともその子こともオレが」
〝オレが〟と強調したのは、罪を償うための意思表でもあったが、他にも名前を呼んでもらえなかったことに対する嫉妬も半分くらいあるかもしれない。
オレは五稜さんの肩に手を置いてから、優しく、本当に優しく抱きしめた。
妊婦さんに締め付けは良くないと聞いたので、細心の注意を払って。
「……汚れちゃいますよ。それに今は臭いですから」
「気にならない」
「それは気にしてください……大林さんが気にしなくてもわたしは凄く気になります。臭いって思われたくありません」
オレから離れたいのか腕の中で抵抗するように軽く身じろいでいる。
「五稜さんはいつだっていい匂いだ」
「それ吐いた後に言われても嬉しくありませんっ。今口の中凄いですからねっ」
「そうなのか?」
「はいっ、早くうがいしたいくらいです」
「それはごめん」
そりゃそうだ。
オレだって吐いた後はすぐにでもうがいしたいと思う。
すぐに五稜さんから離れてた。
「……抱きしめてくれるのはいいですけど、時と場合を考えてください。今は絶対にダメのタイミングです」
やや怒り気味の表情で、五稜さんは左右の人差し指で小さな×を作った。
怒り方がとても可愛くて、頬が緩んでしまう。
「むっ、反省してませんね?」
「いや、そんなことないぞ。今はダメなタイミングだ」
オレは五稜さんを真似して×を作った。
「……なんだか小バカにされてる気がします」
「そんなことないぞ」
可愛いと思ってるだけで、バカになんてしていない。
「とりあえずうがいさせてください」
「ああ、そうだな」
オレは前と同じように五稜さんに寄り添うようにして、二人で台所へ向かう。
五稜さんはそのままうがいをして、オレは冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、コップに注ぎ、それをうがいし終わった五稜さんに渡した。
嘔吐後は脱水症状を防ぐためにも水分を取らせることを忘れちゃいけない。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。吐いちゃったから、次は少し多く食べような」
「うぅ……また食べなきゃダメですか?」
やや泣きそうな顔で見上げてくる。
心情的には彼女の意思を尊重してあげたいが、ちゃんと栄養を取るのは赤ちゃんを育てるうえでは欠かせないことだ。
吐いたことにより本来得るはずだった栄養が出てしまったわけだから、それを補うためにも少し多目に取ることは重要なことだ。
もちろんそれが五稜さんの負担になることはわかっている。
隠れて辛いと弱音を吐いてしまうくらいだ。
だからって五稜さん自身と赤ちゃんのことを考えればあまり妥協することはできない。
「五稜さん、元気な赤ちゃんを産むんだろ?」
「それは……はい。産みたいです」
「なら、頑張らないと」
「…………はいっ」
赤ちゃんを産むことに強い意思を持っていた五稜さんだ。いくら辛いと思っていても赤ちゃんのためなら頑張ることができるはずと思い、オレはそう鼓舞した。
思惑通り頑張る気になってくれたようだが、吐いた後はしばらく胃の中が不安定な状況で、食べてもすぐに吐いてしまうことも多いらしい。
なので少し時間を空ける必要がある。
「赤ちゃんのために頑張れる五稜さんなら、きっと元気な子が生まれてくるな」
「そうでしょうか……そうだといいです」
オレは五稜さんのお腹に手を当てて、その上から五稜さんも手を当てた。
手を当ててもまだ赤ちゃんの鼓動は感じられないが、それでもこうすることで赤ちゃんに触れられたような気持ちになった。
それからオレたちは一度睡眠を取ってから、三時くらいにまた起きてご飯を食べさせた。
今夜はそれ以上吐くようなことはなく、朝を迎えた。
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