第13話 馬鹿ものがっ!
「思ったよりも近いんです。ご実家」
それが五稜さんを実家に連れて行って、彼女が最初に言ったことだった。
そう、一人暮らししているアパートから、実家までは歩いて五分程度距離しかない。昨日買い物したスーパーよりも近い。
オレの一人暮らしは社会に出るまで練習であり、何かあれば親がすぐに様子を見にこれるようにと、近くにされたのだ。
オレとしてはもう少し離れた所で借りたかったが、家賃は親が出しているので最終的決定権はオレにはなかった。
「慣れない一人暮らしで何かあった時はすぐに手助けできるようにってことらしい。親父は厳しい人だが、過保護でもあるんだ」
一人暮らしを始めてもう二年も経つから、今となっては親が顔を出すことは無くなったけど、最初の頃は毎日のように様子を見にきていた。
でも葵がオレを気にかけて世話をしている様子を目撃されてからは「ごゆっくり」と顔を出さなくなった。
そんなんじゃねぇからなーーと説明しても「はいはい」と嬉しそうな顔をして、まともに話を聞いてくれなかった覚えがある。
「息子思いのいいお父さんなんですね。羨ましいです」
「…………」
そう呟いた五稜さんの横顔はどこか悲しげに見えた。
生まれてすぐに親に捨てられた彼女にとっては、子供を気遣っている親はフィクションと同じなのだろう。
「……じゃ、覚悟はいいか?」
彼女にどんな言葉をかければいいのかわからなかったオレは、気づかないふりをして問いかけた。
五稜さんはオレの方を向いて、微笑む。
「はいっ」
意気込みは変わらず十分にあるようだ。
緊張とか不安はないのだろうか? この子には。
「ただいま」
鍵を使って玄関のドアを開けると同時に声をかけた。
普段よりトーンが低くなったのは、やはり緊張しているからだだろう。
玄関ホールと廊下には誰もいないが、リビングからはテレビの音と人の気配がした。
オレは靴を脱いでホールに上がって、五稜さんにここで待つようにジェスチャーを送ってから、リビングに向かった。
「わっ……びっくりした。帰ってきたなら、声くらい出しなさいよ」
リビングにはテレビを眺めていたお袋が、唐突に開いたドアとオレの姿を見て、驚きの顔をした。
「ちゃんと声がかけたぞ。テレビに夢中になりすぎて聞き逃しただけだろ?」
そんなに大きな声で言ったわけじゃないから、聞こえないのは当たり前だ。
オレは自分は悪くないとおお袋に責任を押し付ける。
まぁ、このくらいのことで悪いも責任もないわけだが。
オレは……これからもっと大きな責任をとらないといけないわけだしな。
「まぁ……そうね。それでどうしたの急? 連絡も無しに来るなんて珍しい。というか大学は? 今日は平日よ」
「講義の時間はまだだから」
高校生までの決まった時間に登校ではないので、大学生の朝はその日によって早かったり遅かったりする。
仮に一限目から講義があったとしても、今日は休んでいたと思うが。
「そう……で、その思いつめた顔は何?」
「…………」
親を前にして、これから話すことの内容を考えれば、どうしても表情が複雑になってしまう。
ただごとじゃないーーオレの顔を見て、お袋は薄々勘づき始めているのかもしれない。
「親父は今日いるか?」
「今日は夜勤明けでさっき帰ってきたから今は上よ。お金のことなら多少なら私が出すわよ。変にお父さんに話してこじれても面倒でしょ」
どうやらお袋はオレが金に困っていると思ったらしい。
確かに一人暮らしの大学生が一番困ることと言えば、生活費かもしれない。
アパートの家賃は親の支払いだとしても、生活費はアルバイトをして自分で稼いでる。
金はいつだって足りてない。
「いや、金じゃなくて……すーはー……紹介した人がいるんだ」
金ではないと首を横に振ってから、一度深呼吸をして、オレはそう切り出した。
「紹介したい人?」
全く予想していなかったのか、お袋はキョトンとした顔で小首を傾げた。
そりゃそうだ。生まれてこれまで彼女が出来なかった息子がいきなり紹介した人がいるなんて言うなんて思わないだろう。
もちろん紹介したい人が必ずしも女性とは限らないだろうが、多くの場合はそう思うに違いない。
◇
「それで話とはなんだ?」
オレはお袋に軽く五稜さんを紹介すると、慌ててお袋は親父を呼びに二階に上がって行った。
それから少しして厳つい顔立ちの親父が下に降りてきて、四人でリビングに入った。
お袋はテレビを消し、四人分のお茶を用意し、親父とお袋、オレと五稜さんで席についたところで、親父が渋い声で用件を聞いてきた。
その一言で場の究極がピシッと張り詰めた気がした。
「……親父、お袋、もう察してると思うが、こちらは今オレがお付き合いさせてもらってる五稜六花さんだ」
実際には付き合っていない。あくまでそういう設定だ。
「初めまして、五稜六花です。大和さんとお付き合いさせてもらってます」
二人の視線を受けながら、五稜さんは特に緊張した様子もなく、自己紹介をして頭を下げた。
「大和に恋人! 二十歳になってもずっと出来なかったこの子に!」
ちゃんと言質をとったことでお袋が「まぁ」と口元に手を当てて驚いた。
両親もオレにこれまで恋人がいないことを知っている。
「わざわざ親に紹介しにくるとは律儀だな。初めまして、大和の父親の大介です」
「母の和佳菜です」
初対面の三人がお互いに名乗り、頭を下げている光景をオレは胃の痛い思いをしながら見守る。
どうやら一時接触は穏便にすみそうだ。
「大和に彼女、しかもこんなに可愛い子! 今日は赤飯かしらね」
何歳になっても女性は色恋話が好きらしく、お袋は顔を上げるなり嬉しそうにそう言った。
対して親父は非常に渋く、そして鋭い目でオレを見ている。
子供に対してこの威圧感。
正義主義の性格だけじゃなくて、この犯人に向けるような目を子供の頃から向けられていたから、オレはこの親父が苦手なんだ。
「でも、葵ちゃんはいいの?」
「朝顔さんの娘はいいのか?」
どうやら二人は同じことを思っていたらしく、同じタイミングで聞いてきた。
「何度も言ってるが、葵とは幼馴染みなだけで恋人でも何でもないから」
「そうなの? でもね……」
お袋は何か言いたそうだったが、チラッと五稜さんをみ見ると口を閉ざした。
言おうとしたことくらい、何となく想像がつく。
五稜さんは気にしてません。あるいは気づいてませんと言わんばかりににっこりと笑った。
「お前たちが何でもないと言うなら親の俺たちが口を出すことじゃないだろう。もう言わん」
逆に親父はあっさりとオレの言う分を飲み込んだ。
その淡白さはありがたいと思うが、同時に冷たくも感じてしまう。
「それで話の本命は何だ? ただ単に彼女の紹介のために平日の朝から実家に訪れたわけじゃあるまい?」
警察の勘か? それとも父親としての勘か? 親父はどっしりとした態度で、聞いてやるからさっさと話せと顎を動かす。
「ああ、本題は別にある……」
心の準備はしてきたつもりだ。でも、いくら準備しても足りるなんてことはなくて、緊張のせいで息がしにくい。視界が歪む。吐き気が込み上げてくる。
それでも言わないわけにはいかない。ここまできて逃げるなんて選択肢はない。
「五稜さんはオレの赤ちゃんを妊娠してるっ」
ただただ要点を簡潔に伝えたつもりだ。
何を言われたのか理解できないのか呆けたお袋と、既に察していたと現実を受け入れるように目を閉じる親父。
別々の二人の反応を見ながら、畳み掛けるようにオレは覚悟を見せる。
「オレは責任をとらなきゃいけない。ついては大学はやめて就職して働こうと考えてる」
「…………」
「…………」
訪れる静寂。
二人の時間は止まってしまったのか、少しの間ピクリとも動かなくなった。
オレと五稜さんは二人の反応を待った。
「……に、ニンシンってあの妊娠? お腹に赤ちゃんができるあの?」
「あ、ああ、その妊娠だ」
他に何かあるのか? とツッコミを入れられる空気ではない。
親父は黙って腕を組んだ。
言葉の意味を吟味するように――。
「お、お父さん! ど、どうしたら! や、大和が他人様の娘さんを妊娠させたってっ!」
同じ話を親父も聞いているんだから、改めてお袋が言う必要はない。ないが、そうしてしまうほど取り乱す案件であるのは、想像するのは容易い。
オレ自身、昨日はかなり驚いたわけだしな。いや、今でだって夢であってほしいと願ってるくらいだ。
「そもそも五稜ちゃん? さん? はいくつなの? まだ高校生くらいに見えるけど」
「今は高二です。今年で十七歳になります」
落ち着きを無くしたお袋の質問に、五稜さんは冷静に答えた。
「高二って……まだ結婚も……大和っ!」
怒鳴られるくらいのことは当然想定済みだ。
「あんたどうするつもり! こんなことしでかしてっ!」
「言った通りだ、責任をとる。大学をやめて就職して、五稜さんとその子を養うつもりだ」
それ以外に道はない。
五稜さんが産むつもりである以上、他にとれる選択肢がない。
彼女を見捨てればオレは警察に突き出されることになる。そうなれば大学は退学になるだろう。どの道、オレに大学を卒業するって選択肢はもうないんだ。
「養うって、そんな簡単にっ! そもそも産むつもりなのっ」
当然そこに疑問を抱くだろう。
お袋はオレに怒りの顔を向けつつも、気にするように五稜さんをチラチラと見ている。
それに対して五稜さんは――
「はい、産みます」
――と簡潔に返した。
オレに言った時と変わらない、強い決意の満ちた声で。
「……その歳で出産、子育てはあなたが考えるほど簡単なことじゃない。子供が生まれれば自分の時間はなくなり、子供のために尽くさなければならなくなる。それに耐えかねて自分の子供を捨てたり、殺したりする親は毎年多くいる」
警察としてそういう事件にもかかわっている親父は、世間がニュースで知るよりもリアルな現場を知っている。
渋い声も合わさって、かなり重みがあるように聞こえる。
「それはわたしの方が身をもって知っていると思います」
「どういう意味だ?」
親父は閉じていた瞼を開け、五稜さんを真っすぐ見据えて問いかけた。
「わたしは生まれてすぐに捨てられましたから」
それから少しの間、五稜さんのこれまでの人生の話になる。
それはオレと葵が聞かされた話と同じ内容だった。
改めて聞くと、やっぱり五稜さんの意思の強さは凄いと思う。
オレたちだけじゃなくて、大人に対しても怯まずに自分の意思をしっかりと伝えることができるのだから。
「だからわたしは絶対にこの子を産みたいんです。わたしはわたしを捨てた親のようにはなりたくありませんっ」
「「…………」」
施設育ち――それは二人が全く想像していなかった生立ちだろう。
そんな子に対してどんな言葉をかければいいのか、咄嗟には考え付かないようだ。
わかる、オレたちもそうだったから。
「………あなたの考えはわかった。賛成反対を言う前に――大和、覚悟はできてるんだろな?」
きたっ。
親父の犯罪者にでも向けるような――いや、凶悪犯に向ける強烈な眼力がオレを射抜く。
覚悟? そんなの――できてるわけねぇだろっ!
バカ正直に言うわけにもいかないなので、オレは「ああ」と頷いた。
「そうか。貴様がこの状況に逃げ出すような腰抜けに育たなかったことだけは、父親として誇りに思おう」
実は今すぐにも逃げ出したいなんて、もう口が裂けてもいえねぇなぁー。
「だが――高校生の娘さんを妊娠させるとは何事かぁっ! この馬鹿息子がっ!」
親父なりにずっと冷静でいてくれたが、ついに我慢の限界に達したらしく、雷でも落とすようにテーブルに拳を叩きつけた。
ドン――と強い音がして、テーブルの湯呑みが跳ねる。そしてなぜかオレのだけ倒れて緑茶がこぼれる。
お袋と五稜さんが驚くが、親父の剣幕に当てられて、身動きできない状況だ。
「親父が怒る気持ちは理解できる。でも、こうなった以上責任を――」
「そもそも貴様が軽々しく責任などほざくな、このたわけが!」
最終的には責任をとるで押し切るしかないと思っていたのに、いきなり責任発言を封じてきやがった。
「責任は貴様のような奴が軽々しく口にできる言葉じゃない、この若造が!」
「お、お父さん、少し落ち着いて、五稜さんも驚いてるから」
お袋が親父を宥めようと手を伸ばすか、親父はそれを振り払う。
「大和、貴様責任をとると簡単に言うが、どう責任をとるつもりか言ってみろ」
「そんなの……だから、大学をやめて就職して、金を稼いで二人を養うつもりだ」
みんなそうしてることだろ?
親父だってそうやってお袋とオレを守ってきてくれたわけだし。
「それで?」
「それでって……」
まるで圧迫面接でも受けてるような気分だ。
親父がどんな回答を求めてるのか、全くわからない。
「その程度の考えでどうやって責任をとるつもりだ、この馬鹿ものがっ!」
再び親父の雷がテーブルに落ちた。
もはやお袋に親父を止めることはできない。いや、最初から止められてなかったが。
「貴様は今まで俺の何をみてきたんだ!」
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