第14話 それが父親の責任だ!
「何を見てきたって……」
たぶん親父が言っているのは父親としての自分の背中ってことなんだろうが、正直に言って意識して見たことはこれまで一度もなかった。
そりゃ親父の厳しい姿は何度も見てきた。
でもオレがいつも思うのは、子供相手にこんなに厳しくなりたくない。基本的にはそんなことばかり考えていた。
「わからんって顔だな」
「…………」
この状況で子供に厳しい父親にはなりたくないとは、さすがに言い出せないので答えることができなかった。
「子育てはお前が考えているほど簡単なことじゃない。なにより金がかかる」
「……別に簡単に考えてるわけじゃない。金だって大変だからって理解してるから大学をやめて就職を――」
「それがわかってないと言っているっ。普通に社会に出て就職した際、高卒と大卒、どちらの方が年収を多くもらえるか、わからないわけでもあるまい?」
「それは……大学だけど」
一般的な考えで言えば当然大卒だ。それだけじゃない高卒と大卒だと選べる職種だってかなり変わってくる。
オレが将来的にやりたいと思っている仕事は高卒でもなれるものだが、賃金で考えれば大卒が有利なのは言うまでもない。
「金のかかる子育てをこれからしようというのに、大学をやめて働く? これを馬鹿と言わずどうする!」
「だけど! 学生のままじゃ何も賄えないだろっ」
仮に大学に行きながらアルバイトで凌ごうとして、満足に稼げるとは思えない。
五稜さんと赤ちゃんを養うには大学生の立場は枷にしかならないだろう。
「目先のことだけを考えるな、馬鹿モンがっ! 子供が大きくなれば習い事を始め出費は増える。それこそ大学までと考えたらいくらかかると思ってるんだ、貴様!」
「………………」
大学まで――確かにそこまでのことは全く考えていなかった。
とりあえず出産の費用、それと日々の生活費、親父の言う通り目先のことしか考えていなかった。
「責任をとるってことは、子供を一人前の大人にして初めて果たしたことになる。貴様はそれを理解しておらん!」
もちろんそれが必ずしも一つだけの答えとは思わない。寧ろそんな立派な責任の果たし方をしている人の方が、世の中少ないだろう。
でも、親父は極端な考えを持つ人だ。そして自分の考えは曲げない頑固さもある。
「ならっ、どうしろって言うんだ。大学卒業まではまだ二年近くある。赤ちゃんはオレが卒業するまで五稜さんのお腹の中で待ってなんてくれねぇんだろ」
出産予定日がいつかは知らない。だが、大学を卒業して就職して、ちゃんと稼げるようになるよりも早く生まれるのは間違いないことだ。
その間どうすればいいってんだよ。
「それとも親父は話を聞いたうえで堕ろせって言うつもりか」
それが一番現実的な解決策だとは思う。でも、五稜さんの考えを変えることなんてきっとできない。
出会ってまで一日。それでも五稜さんの意思の強さは理解してるつもりだ。納得はできないが、他人がどうこうできるものじゃないって。
「そうは言わん。だが一番手っ取り早いとは思うがな」
その発言を聞き、お袋と五稜さんが反応する。
「勘違いしないでほしいが、当事者であるあなたと馬鹿息子が覚悟を決めてるなら、脱胎しろとは言わん」
何か言われる前に親父はそう言って制した。それは赤ちゃんを産むことを許したと判断することのできる発言だ。
まさかこんなにあっさり許しが出るとは思わなかった。もちろん問題は他にもあるわけだが、親父から許しを得るのが一番難しいと考えていただけに、ちょっと拍子抜けだ。
「だが、それも責任がとれての話だ」
再び親父の鋭い眼力がオレに向けられる。
「だから、責任はオレが――」
「今のお前にどの程度の責任がとれると言うつもりだ?」
「だからそれは働いて――」
「それでちゃんと子供を大学卒業まで通わせることができるのか? 子供があと一人二人と出来た時はどうだ?」
確かに今は五稜さんとお腹の中の赤ちゃんのことしか考えていない。
現時点でオレは五稜さんに恋愛感情を抱いていないが、今後大好きになって将来的に結婚するようなことがあれば、きっと子供は少なくともあと一人くらいはできるかもしれない。
そうなればより経済力が必要なのは言うまでもない。
「……つまり大学は卒業しろってことだよな」
「その通りだ」
「でも、さっきも言ってるが、オレが卒業するまであと二年ある」
その間に必要になる出産の費用や育児費など、大学生のままのオレではどうしたって準備のできない額になる。ただでさえ一人暮らしでも現状はギリギリの生活だ。もちろんアルバイトを増やしたり、もっと節約を意識すれば余裕は作れる。だが、五稜さんと赤ちゃんの分を考えると無理をしなきゃいけなくなる。その状況で大学に通たってちゃんと卒業できるかはわからない。
それがわからない親父じゃないはずだ。
「貴様が俺に言わなきゃならんのは、大学をやめて就職するではなく、他の言葉のはずだ」
何となくだが、親父の言いたいことが見えてきた気がする。
でも、親父ってそんなに優しい人だったか? そんなに物分かりのいい人だったか?
親父は「子供を一人前の大人にして初めて果たしたことになる」と言っていた。
果たして今のオレは一人目の大人と言えるだろうか?
二十歳にはなったものの、まだ大学に通う学生だ。他にも「ちゃんと子供を大学卒業まで通わせることができるのか?」とも言っている。
たぶんこれはオレに子育ての何たるかを諭すためでもあり、また気付かせるための発言でもあるんだ。
オレの今の立場がまだ親に庇護下にあることを。
「親父」
「なんだ?」
「図々しいとは思うが……これから生まれてくる赤ちゃんにかかる諸々、オレが大学を卒業するまで工面してくれ! 頼む!」
オレは両手をテーブルにつけ、それから叩きつけるようにして頭を下げた。いや、実際にドン! っと強い音がしたから、実際に叩きつけたのだろう。
温くなった緑茶の水溜まりに手と額が浸かっている。
「最初からそう言えこの馬鹿もの」
「え? いいの? あなた?」
親父があっさりと許可したことにお袋は困惑気味だった。
困惑してるのはお袋だけじゃない。オレもたぶん五稜さんも同じ気持ちだ。
「いいのか?」
オレは顔を上げ、お袋と同じように尋ねる。
「貴様はまだ一人前とは言えない。大学卒業までは俺の責任で面倒を見る。息子の尻は父親である俺が拭く。それが父親の責任だ!」
「親父……」
これまでの人生で、一番親父を頼もしく感じた瞬間だった。
「だが、勘違いするな。新しく生まれてくる子供の父親はお前だ。俺が拭くのはあくまでお前の尻だ」
「あ、ああ……どういう意味だ?」
つまり何が言いたいのかわからず首を傾げてしまう。
「貴様が大学を卒業するまで子供の費用は出そう。だが、それは本来貴様が出すべきものだとは理解しているな?」
「ああ、もちろんだ」
「だから、あくまで貸すだけだ。大学を卒業して社会に出て、生活が安定したら返せ」
「借金ってことか?」
「言っておくがこれでも大分恩情をかけてるつもりだ」
「もちろんわかってる。その……おりがとう親父」
いずれ返すにしても、大学を卒業するまでは面倒を見てくれるのなら大助かりだ。
親父から金を借りることができるならば、大学をやめる必要はなくなる。
「え~っと、つまり二人は時期が来たら結婚するってことでいいのよね?」
親父の威圧的だった剣幕がなくなり、お袋は確認のため尋ねてきた。
「結婚は……」
咄嗟には答えることができなかった。
オレと五稜さんの関係が始まったのは、酔っ払って彼女を襲ってしまったからだ。
そこには当然恋愛感情なんて無い。有るのは加害者と被害者という関係のみだ。
そんなオレたちが結婚なんてできるのか、答えることができなかった。
「はい、そうです。わたしが十八歳になったら、大和さんと結婚したいと思ってます」
オレが迷っていると代わりと言うわけではないが、五稜さんが答えてしまった。
それはこの場を切り抜けるためのウソなのか、それとも本気で考えているのか、オレにはわからない。
それを聞いて母さんは複雑そうな顔を見てるもの「そう」と何かを諦めるように呟くと、優しい微笑みを浮かべた。
「五稜六花ちゃんだったわね。これからよろしくお願いね」
「はいっ。よろしくお願いしますっ」
五稜さんも笑みを浮かべて勢いよく頭を下げた。
正直、想像していた結末とは全然違っていた。
親父にはもっと反対されると思っていたし、殴られる覚悟もしてた。
なのに、まさか借金とはいえ当面の資金を援助してもらえるなんて考えもしていなかった。
◇
話し合いが終わり、夜勤明けの親父は仮眠をとると早々に二階に上がった。
リビングではこぼれたお茶の片付けをして、五稜さんとお袋がぎこちなくとも、楽しそうに会話をしている。
「まさか私もこの歳でおばあちゃんになるとは思わなかったわね」
「お義母さん、とてもお若いですね。今おいくつなんですか?」
早速五稜さんはお袋のことをお義母さんと呼び始めていた。
いずれ結婚するならそれが正しいのかもしれないが、本気なのか? 結婚の話って。
「今年で四十一よ。大和を産んだのが二十歳だったから」
「そうなんですか。随分早めだったんですね」
「そうね。でも、六花ちゃんには負けるわね」
「言われてみればそうですね。わたしは十七ですから」
えへへ~――っと無邪気に笑う五稜さんはやっぱり実年齢よりも子供に見えてしまう。
「この分だとひひ孫くらいまでの顔は見れそうね。長生きしないと」
冗談か、それとも本気か、お袋はそう言って笑った。
「それで予定日はいつなのかしら? そもそも今は何週くらいなの?」
「あ、それはまだわかってなくて」
「わかってない? もしかして病院にはまだ?」
「はい。実はまだ」
そうだったのか、五稜さんまだ病院に行ってないのか。
妊娠検査薬で何度か検査したと言っていたし、実物を見せてもらったから、ほぼ妊娠しているのは間違いないだろう。
なら、早めに病院に行っといた方がいいんじゃないか?
「そうなの? 妊娠してるのがわかってるなら、病院は早めに行っといた方がいいわ」
「あ、はい、でも……」
「何か不安事?」
「えっと、そのわたしあまりお金がなくて……病院がいくらかかるか、その……」
「……大和! あなた何してるの? 赤ちゃんの父親でしょ!」
お金が無くて病院に行っていない発言を聞いたお袋が、ギロっとした目でオレの方をみてきた。
言いたいことはわかるけど、オレだって今知ったところでっ!
「いや、オレも今知ったところでだ!」
「父親がどうして知らないのよ!」
「昨日聞かされたばっかりなんだよ、妊娠してることっ!」
「これだから男って……六花ちゃん、お金は出すからすぐに病院に行ってきなさい」
「お義母さん……」
オレに対して厳しくなったくせに五稜さんには妙に優しい言い方だ。
五稜さんは何やら感動したように目を潤ませてお袋を見てるし、お袋はそんな五稜さんに微笑みかけてる。
何やら二人の間に早くも絆のようなものが芽生えているような気がして……息子で父親であるオレへの疎外を感じる。
「この辺の産婦人科ってどこ? 総合病院?」
「総合病院なんて行ったら診察に時間かかるわよ。あんたが生まれた病院があるから、行くならそこにしなさい。個人の小さなところだけど、その分親切よ」
「あぁ、前通る度に言ってたあそこか」
子供の頃にお袋と買い物に行くと、よく「ここがあなたの生まれた病院よ」と言っていた時の記憶が一瞬でフラッシュバックした。
「でも、あんなところで大丈夫か?」
確か住宅街の中でひっそりとやっていたような印象だ。
人柄がよくとも設備等は大丈夫なのか心配になる。
「大丈夫よ。前に山田さんの娘さんがそこで出産したって言ってたけど、機材も新しいものを使ってるって言ってたわ」
それならまぁいいか。
「それじゃ五稜さん、行こうか」
「はいっ、お供します」
「あ、うん、メインはキミなんだけどね」
診察受けるのはキミだからね。
オレがお供する側だから、間違えないで。
先生もビックリしちゃうから、産婦人科で男の受診者とか。
オレが立つと、続いて五稜さんも立ち上がった。
「では行きます!」
そう言って五稜さんは両手で拳を作ると、気合を入れた。
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