第10話 0.01㎜ですか……
「五稜さん、お菓子も買っておくか?」
「いいんですか?」
何を見ているのか察したオレが尋ねると五稜さんは意外と言いたげに瞼をパチパチと瞬かせた。
「まぁ、お菓子くらいならな」
「ち、因みにおいくらまでですか?」
「そうだな……五百円とか?」
お菓子と言っても好きなだけ買われたらそこそこの額になるので、予算を確認してくれるのは嬉しい。
とりあえずワンコインを予算として提案すると、五稜さんは花を咲かせるように笑顔になった。
「まるで遠足ですね!」
「うん? ああ、そうかもな」
確かに遠足みたいか。
限られた予算の中でお菓子を買うのって。でも学校行事の遠足って三百円とかじゃなかったか? オレの頃はそれくらいだった覚えがある。
「早速見に行きます!」
ワクワクを抑えられない様子で、五稜さんはお菓子売り場へと駆けていく。
「おい、そんな走ったりなんかしたら――」
お腹の赤ちゃんが――と言いかけたが、寸前のところで口を閉じた。
こんな場所で声に出して言うことじゃないし、五条さんの見た目で妊娠してるなんて周囲が知ればなんと思うだろうか。少し考えるだけでも怖くなる。
知らない人ばかりだが、五稜さんが妊娠していることを知っている人は少ないほうがいいに決まってる。
「……何がそんなに楽しいんだろうな」
溜め息と共に頭を掻いて、彼女の後を追う。
「スーパーの中を走ったりするなよ、他の人にぶつかる」
既に食い入るように棚を物色している、見た目よりも精神年齢が幼げの五稜さんの頭にオレは軽くチョップを叩きこむ。
「あうち……大林さん痛いです」
痛くなるほど力は入れてないが、薄っすら涙目でオレを見上げてくる姿は、まさに小動物のようだ。
あ、よくよく考えるとこれがファーストタッチか?
「そんなに強くしてないだろ。他の人の迷惑もそうだが……もうキミだけの身体じゃないんだから、突発的な行動は控えた方がいいぞ」
後半部分は周囲を気にした大分小声で伝える。すると五稜さんはハッと表情を引き締めた。
ベッドにいきなりダイブしたり、五稜さんには妊婦としての自覚が足りない。
見てるこっちがハラハラしてくる。
「そ、そうでした……今後は注意します」
「わかればいい。それで何か欲しい物は見つかったか?」
「沢山種類がありますから、この中から食べたい物を絞るのは難しそうです」
難しい顔をして、五稜さんは並ぶお菓子たちを見つめる。
「そっか」
ジーっとお菓子を見つめ、気になった物なのか手に取っては悩んで棚に戻し、他のを手に取ってはまた戻すを繰り返し始める。
すっかりお菓子選びに夢中になった五稜さんの会話が一旦途切れる。
こうして見ていると、実年齢よりも精神年齢がやや幼く思える。
それから五分くらい、五稜さんはお菓子とやり取りを繰り返していたが、結局一つもカゴの中に入って来なかった。
「五稜さんや、まだかかりそうか?」
「まだまだ検討中です」
声をかけるが、オレの方に顔を向けることなく、淡々と告げられる。
まさか夜ご飯の材料の品定めよりも時間がかかるとは思わなかった。この様子だとまだまだかかりそうだしな。
「それならちょっと別の売り場見てくるけど、いいか?」
「どうぞ、わたしはもうしばらくここにいます」
「そっか、ごゆっくり」
これ以上は声をかけるのも申し訳ない気持ちになるので、その場を立ち去った。
特に見たい物があるわけじゃないが、あのままただ待ってるのも暇なので、適当に日用品売り場に足を運ぶ。
「トイレットペーパーとティッシュは前に買ったからまだ備蓄があるはず、ラップとキッチンペーパーもあって……そう言えば歯ブラシって残ってたか?」
家に何が残っていて、何が不足しているのかを思い出してみる。
その中で不安を覚えたのが歯ブラシだ。
以前に買い置きしたのはいつだったろうか?
「まぁ、買っておいて無駄ってことはないし、買っておくか」
今日から五稜さんも一緒に住むわけだし、新しいのを買っておいてもいいかもしれない。
一応葵がウチに泊まることもあるので予備はあると思うが、オレは青、葵がピンクと色で使うのを分けている。つまり家にはその二色しか置いてないということだ。
さすがに今後も葵がウチに泊まるってことは……あるかもしれないが、今までのような頻度はないだろう。もし泊まった時に、葵の色を五稜さんが使っていたら間違う原因になる。
「黄色、緑、赤、白か……」
いつも購入している極細の歯ブラシが陳列している棚で、オレたちが使っていない色で置いてある物を確認する。
「五稜さんって何色が好きだ?」
やっぱり白だろうか?
今日の服装は白いワンピースだ。
一番いいのは本人に確認して買うことだが、ただいま絶賛お菓子に魅了中で邪魔するのは申し訳ない。だからと言って買うお菓子を決めた後にまた戻ってくるのも面倒だ。
「とりあえず今回は白にしておくか」
もし嫌なら次は違う色を買えばいい。
オレは青と白を二本ずつ、迷ったがピンクも一応一本買っておくことにした。
それから他にも何か必要な物はあったか? と家に不足している確認するために辺りの棚を見渡していると、とある物が視界に入った。
それは生活用品売り場の一角。
恋人や夫婦の営みの際によく使われる物だった。
妊娠しないための必需品、コンドーム――つまりは避妊具だ。
もちろん避妊率一〇〇%ではないが、高い避妊効果のある一品。
「これは……」
オレは思わずそれを手に取ってしまった。
恋人が出来たら購入しようと夢見ていたアイテムだ。
正直もう遅いって気もするが、これを予め財布の中にでも入れて常備してたら、今回のようなことは未然に防げていたのかもしれない。
酔っていた状態だったわけだから、果たして使用したかは疑問が残るが……それでも持っていれば――思わずそう後悔してしまう。
「……今更だよな……」
別に購入を考えているわけじゃないが、ついそんな言葉が自然と漏れた。
それに今後五稜さんと暮らすからって、セックスをするとは限らない。
お互いに恋愛感情があるわけではなく、あくまで責任をとってほしい立場と責任をとる立場、それがオレたちの関係だ。言ってしまえばまだそんな関係でしかない。
オレにとっては今日が初対面にも等しい相手だ。もちろん滅茶苦茶可愛いとは思うし、やれるチャンスがあるならやりたいとも思う。
それはあくまでオレの考えであって、五稜さんがそうかはわからない。
もう経験があって、妊娠もしてて、今更だろ――なんてことは言えるはずがない。
「でも、万一そんな展開があったとしたら?」
理解はしているが、それでももしかしたらの展開を考えてしまう。
若い男女が同じ部屋で、同じベッドで寝るわけだから当然そんな展開が訪れても不思議じゃない!
……いや、葵は別だぞ、幼馴染みなだけだ。
「妊娠してるからつけないで……っては男のエゴだよな」
コンドームは性感染症の予防にもなる。もちろん童貞……のオレには無縁だが、気にする子は気にするものだと思う。
「そう言えば五稜さんって初めてだったのか?」
今まで気にする余裕がなかったというか、知りたくなかったから目を背けていたが、ついにオレはそのことについても考えてしまった。
もし初めてが酔っ払いに襲われてだったら最悪の初体験だ。
いや、今時の子は早ければ小学生で経験する子もいるらしいし、きっと五稜さんだって……って、オレ自身二十歳まで童貞だったんだ。ついでに言えば葵も。
サァーと血の気が引いて体温が低下する感覚に襲われる。
改めて思う。もしあの子の赤ちゃんの父親がオレだったなら、とんでもないクソ野郎だって。
とても後悔しても後悔しきれない。
あの子になんて謝ればいいのか、その言葉すら浮かばない。
「0.01㎜ですか……」
その声は唐突に耳に届いた。
驚いて声がした右隣を見ると、少し困ったような表情で五稜さんはオレが持つコンドームの箱を凝視していた。
「こんなに薄い物なんですね、コンドームって」
あははは――とどんな反応をすればいいのか、困惑気味でオレはいたたまれなくなった。
「ち、違う! これは別に買うつもりがあるとか、五稜さんに使うつもりがあるとか、そういうんじゃなくて!」
「あぁ、朝顔さんと使うんですか?」
ややホッとした様子でとんでもないことを言ってきた。
「いや、あいつとも使う予定はないぞ」
「え? じゃ他の人?」
「……他の人とも使う予定はない」
「……なら、どうしてそんなもの持ってるんですか?」
そりゃ全部否定すれば当然そう疑問に思うだろう。
加えてオレならこの見栄っ張りの強がり野郎とも思うかもしれない。
「……もし財布にでも入れてたら、キミを……妊娠させるようなことはなかったと思って、今更後悔してたところだ」
「…………」
下手に言いつくろっても仕方がないから、正直に答えた。
「どんな言葉で謝罪すればいいのかわからない。どんな謝意を示せばいいのかわからない。オレはキミの人生を滅茶苦茶にした」
こんなスーパーのコンドームが置いてある棚の前で言うことじゃないのはわかってる。でも、気付いたら懺悔するように言葉が出てきてしまった。
「深く考えすぎです。今日お会いした時に言った通り、責任をとってくれればわたしはそれで構いません」
責任をとって一緒に赤ちゃんを育てる。
夫婦でも恋人でもないオレたちが。
それは本当に成り立つことなのだろうか?
「ありがとうございます」
「なんで五稜さんが礼なんて。恨み言や呪いの言葉をかけられるならまだしも礼なんて――」
「わたしのために悩んでくれて、後悔してくれて、わたしはそのことが嬉しいです。施設で育つと偶に考えるんです。どうしてわたしは生まれてきちゃったのかって、どうして親に捨てられたのかって、なら最初から産まなきゃよかったのにって」
五稜さんは笑う。悲し気に、精一杯にこやかに。
「でも、そんなわたしのために苦悩してもらえると、少しは生まれてきてよかったと思えます」
産まれてすぐに赤ちゃんポストに捨てられ、親の顔一切知らない五稜さんの考えの根源はそこにあるのだろう。
だがら、高校生という若さであっても赤ちゃんを産みたいという強い意思がある。それが例え望んだ結果ではないとしても、自分を捨てた親とは同じになりたくないという強い信念が。
「そしてこの子を産むことで、わたしはわたしが産まれた意味を自分で作るんです!」
その考えがけして正しいとは思わない。寧ろ歪んでると思う。でも、それを止める資格はオレにはなくて……悲し気に微笑む、不憫な彼女を支えてあげたい、そう静かに思った。
「って、こんなスーパーで言うことじゃありませんね……よかった、周りには誰もいないので聞かれたりはしてません」
「……そうだな。こんな所で話すことじゃない」
二人で小さく笑い、オレは手に持っているコンドームを棚に戻そうとすると――
「買わないんですか?」
――と五稜さんが首を傾げた。
「えっと……」
それはどう解釈すればいいのかわからず、オレは手を止める。
「あ……いえ、今すぐに必要ってことはないかもしれませんけど、もしかしたら必要になるかもしれないじゃないですか? 次に後悔しないためにも失敗から学んでおくのは大事だと思います」
だからそれはどう解釈すればいいんだ!
五稜さんに使っていいってことなのか? それとも他の人を考慮してのことなのか?
「……じゃ、念のため」
必要になるかは本当にわからない。でも、五稜さんに言われるがまま、オレはコンドームの箱をカゴにいれた。
「はい。それでいいと思います!」
女子高生にコンドーム購入を推奨される大学生ってなんだ?
「そうだ。買うお菓子は決まったのか?」
「ふふふ、これでバッチリです!」
いつまでも同じことで悩んでもしかたないので、オレは話題を変えるためにも尋ねると、五稜さんは満面の笑みを浮かべて、オレに小さなカゴを突き出してきた。
それはお菓子売り場の駄菓子コーナーに置かれているカゴだ。
中には小さな駄菓子がゴロゴロと入っている。
「予算五百円でこれだけ買えます!」
「駄菓子か……」
「予算内なら問題ないですよね?」
少し不安げな瞳で確認してくる。
もちろん一個にしなさい――なんて言うつもりはないので、頷く。
「ああ、予算内なら問題ない」
「やった! これならちまちま長く楽しめます!」
予算五百円の駄菓子でこんなに喜んでくれるなら、この出費はけして痛くないよな。
「じゃ、買うか」
「はい!」
オレたちはそれぞれカゴを持って、レジに向かった。
買い物を終えたオレたちは、来た時と同じように十五分かけて、二人で暮らすには狭いアパートに帰った。
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