第9話 手羽元カレーです!
「そろそろ晩飯の買い出しにいかないとな」
勉強机とセットの椅子に座っていると夕日が差し込んできて、そろそろ夜ご飯の買い出しに行く頃合いだと思い出す。
大学がある時は大抵その側にある鮮度が自慢の上角という店で色々買うのだが、今日は立ち寄る暇――いや余裕がなかったから買い物はまだしていない。
「五稜さん、何か食べたいものとかあるか?」
「大林さんが作るんですか?」
献立を決めるために尋ねると、五稜さんは目をパチパチと瞬かせた。
なんだ、その反応? もしかして押し付けられると警戒したのだろうか?
「当たり前だろ? さすがにいきなり五稜さんに押し付けたりしないから、安心してくれ」
「作れるんですかっ」
「なんで少し驚き気味なんだ?」
「だって男の人ですし、料理できるイメージが」
「そりゃいつの時代の男だ? 今どき男だって料理くらいするぞ……しないと葵がうるさいしな」
一人暮らしをすることになってからは、葵の指導によって包丁の使い方から研ぎ方、米の洗い方なんかを手取り足取り教わった。
一人暮らしを始めてなかったら、あるいは葵が幼馴染みじゃなかったら、オレはまだ料理ができていなかったかもしれない。
「そ、そうなんですか……素敵だと思います」
驚きつつも羨望に似た眼差しを向けられて、オレは照れてしまう。
「え、あ、そうか? まぁ、そうでもないぞ?」
「いえいえさすがです。これでわたしが料理作れなくても、赤ちゃんを食べさせてあげられますっ!」
「五稜さん……料理できないんだ?」
「はいっ」
そこは元気に答えられてもなぁー。
高校生ってことを考えればできなくても不思議じゃない。オレも高校生までは目玉焼き一つ満足に作ったことがなかった人種だ。
「五稜さんもそのうち作れるようになるから」
高校生はまだ親に世話をしてもらう年齢だ。
児童養護施設がどんな環境かは知らないが、きっと職員が料理も用意しているのだろうから、作れなくても不思議じゃない。
「だといいですけど……」
ボソッとわずかに耳に届いた小さな声。
あまりに小さくで、オレの耳ではハッキリと聞き取れなかった。
ベッドに座る五稜さんを見ると、すぐに笑みを浮かべる。
「それで何か食べたいものあるか?」
女性は妊娠すると味覚や食べれるものがガラッと変わる時期があると聞いたことがある。
葵計算の妊娠六週目がそれに当てはまる時期か、オレはわからないのでさり気なく本人に確認だ。
酸っぱいものとか食べたくなるんだっけ? あ、でもさっき梅昆布茶はダメだったんだよな。
「わたしが食べたいものでいいんですか?」
「ああ、オレに作れるものに限るけど」
一通り葵に仕込まれているから、一般家庭料理くらいなら余裕だ。作ったこともないものでも検索すればレシピは出てくるだろうから、なんとなくは作れるだろう。
「そうですねぇ……因みに大林さんの得意料理ってあるんですか?」
悩む素振りを見せつつ、チラっとオレのことを窺うように視線を受けられる。
「そうだなぁ……」
今度はオレが悩む仕草をする。
得意料理とか意識したことはなかったが、今まで一番作ってきたものと言えばカレーだろうか?
一度に量ができるので、作り置きするにはうってつけ。コストパフォーマンスも悪くない。
他には生姜焼きや鳥の照り焼きなんかもそれなりの頻度だ。
「カレーかな?」
悩んだ末に出したのは結局カレーだった。
「カレーですか、定番ですね。ならカレーがいいです」
「カレーな。了解、じゃ買い物に行ってくる」
オレは勉強机に置いたスマホの財布を手に持ち、椅子から立ち上がってポケットに詰め込んだ。
「あ、わたしも行きます」
「大丈夫か? 安静にしてないで」
「ですから、病気じゃないんですから買い物くらい平気です。それにいずれ動きたくても動けない時期が来るかもしれませんから、少しでも近所のことを知っておきたいんです」
さっきも似たようなやり取りをしたばかりなので、やや呆れ顔を浮かべられてしまう。
もしかしてオレうざがられてる? 過保護か?
妊婦さんと接したことがないから、どんな風に扱えばいいのかわからない。
「そういうなら構わないが、これから行こうとしてるスーパーは少し距離があるぞ」
「大丈夫です。わたしこれでも体育の成績はいいんですよ」
どこか自慢げに胸を張っているが、オレが心配しているのは体力ではなくお腹の赤ちゃんなんだけどな。
たぶんそれは五稜さんもわかっていると思う。
それでもあえて行くというのだから、本人の意思を尊重しよう。
◇
「大林さん大林さん、今日作るカレーは何カレーですか? 豚ですか? 鳥ですか? それとも魚介?」
歩いて十五分くらいの所にあるスーパーに着き、手ぶらの五稜さんがニコニコしながらカゴを持つオレのことを見上げてきた。
「五稜さんは何カレーがいいんだ?」
「わたしが決めていいんですか?」
「今日はキミのリクエストに応えることにする」
これから一緒に暮らしていくわけだから、好みを知っておくのは必要なことだ。
もちろんその都度知っていくことになるだろうが、こういう時の選択は一番好きなものを咄嗟的に言ってしまうと思う。
「そうですねぇ。定番の豚バラ、でも手羽元っていうのも捨てがたいですよね」
またしても考える素振りをする五稜さんを微笑ましく思いながら、オレは野菜売り場でジャガイモと人参、それに玉ねぎを適当に選んでカゴにいれる。
カレーにいれる野菜はいつもこの三つだけなので迷う必要がない。葵が作るとナスなんかを入れてくるが、カレーはこの三つが至高だ。
「でも歯ごたえを考えればイカなんかもありなんですよね」
どうやら咄嗟に好きなものにはならなかったようで、う~んと悩んでいる様子だ。
「とりあえず魚介と肉売り場見てみるか?」
「そうですね。良さげなのがあればそれに決める感じでいいです」
「目利きに自信あるんだ?」
「いえいえ、目利きなんてできませんよ。決めてはずばり価格です」
「身も蓋もねぇな」
財布に優しい決め方で助かるっちゃ助かるが。
なら魚介って選択肢は無くなったな。一人暮らしするようになって気づいたが、肉よりも魚介の方が高めだったりする。
特にイカやタコなんてビックリする値段だ。
「なら肉売り場だな」
「あれ? 鮮魚の方が手前にあるようですよ?」
今いる野菜売り場の突き当りが鮮魚売り場になっているのに、いきなり肉と言ったことに五稜さんは不思議な様子だ。
「イカとかは高いからな。価格で決めるなら素通りだ」
「な、なるほど、でも見るだけ見ましょう!」
「必要なものは見ないのがうまい買い物の秘訣だぞ」
下手に色々見て回って、食べたくなったら大変だ。
見てしまったことで食べたいという欲求が生まれる。でも財布は厳しいから最終的に我慢することになれば小さなストレスになる。
偶に友人たちと遊ぶためにも、普段の節約は重要だ。
「色々見て回るのが楽しい買い物の秘訣ですよ!」
「それは食事の買い出しでも適応されるのか?」
服やバックなどの買い物なら理解できるが、今はただの夕食の買い出しだ。
楽しむ必要はないし、必要最低限のものだけを買えば十分だ。
でもそれはつまらない男子大学生の感性なのかもしれない。ぴちぴちの女子高生は買い物なら何でも楽しみたい年頃なのだろう。
因みに葵は不要な物は極力買わない主義なので、オレと同じ――いや、オレに買い物を伝授してくれた師匠だ。
「まぁ、見るだけならな」
「はいっ」
何がそんなに嬉しいのか、五稜さんはニコニコだ。
ほとんど初対面だが、この明るさと言うのか前向きさと言えばいいのかわからないが、気まずくならずにいるのは五稜さんのおかげだ。
オレたちは鮮魚コーナーを素通りせずに、足を止めて陳列された魚たちを見下ろした。
「アジがいます」
「一年中いるよな」
「あっ、イカです。一杯二五〇円ですよ!」
「このサイズで二百円越えはビビるよな。オレが小学生くらいの頃は、これよりも大きくて一杯百円だった」
五稜さんが指差したイカはかなり小ぶりのヤリイカだった。昔ならこの一.五倍から二倍のサイズくらいだった。
「高めなんですね。わたし知りませんでした」
「高校生ならそんなもんだろ。オレも一人暮らしするまで、食品の値段なんて大して気にしたことなかったしな」
親が何でもやってくれてた頃はなかなか気づかないことだ。
ただイカとかサンマなんかの庶民の味だったものは、旬になるとよく買っていたので、なんとなく覚えている。
「あ、タコもいます……これも高いですね……」
小さなパックにボイルされたタコの脚が三本と頭の切れ端が少し入っただけでなんと約千円。少し前までは半分くらいの値段だった気がするが、大分高くなった印象だ。
世界に寿司文化が広がって、各国の漁獲量が増えたのか、はたまた地球温暖化の影響かはわからないが、いつの間にか高価なものになった。
けして買えないわけではないが、昔の値段を知ってると思わず躊躇してしまう。
「案外魚介より肉の方が安いんだ。だからとりあえず今日は肉な」
「そうですね」
なかなか割高だったので、オレたちは未練を残さずに肉売り場へと移動する。途中、五稜さんの視線が左方向に傾いたので、視線の先を追ってみると、お菓子売り場だった。
小さめの子供なんかと来ると、絶対に引っかかる魔のトラップゾーンだ。
もしかして五稜さんも? と思ったが、足は止まることなく過ぎ去っていった。
「今日は何がお買い得ですかね?」
「豚バラブロックか手羽元が安ければありがたいな」
「定番ですね」
「だよな」
他所の家がどうかは知らないが、ウチは昔からカレーと言えば豚バラブロックか手羽元だった。実家を離れた今でもカレーを作る時は大抵そのどちらかの肉を使う。
オレたちは陳列棚を覗き込むようにして、目当ての肉を探した。
するとすぐに広告の品と売り出している手羽元を発見した。
「大林さん、ありました!」
飛びつくように五稜さんは手羽元八本入りを手に取った。
「広告の品ってことは安売りしてるってことだよな。一応豚バラブロックも見ておくか」
「どちらが安いですかね?」
「そりゃ豚よりは鳥だろ」
もし仮に豚バラブロックも広告の品で安くなっていたとしても、手羽元より安くなっている可能性は低いだろう。
肉の序列はいつだって、牛、豚、鳥の順番だ。
「かもしれませんが確認だけします。大した手間じゃありません」
鶏肉のエリアの隣が豚肉だ。確かに大した手間ではない。もちろん手間を惜しんでの発言ではないので、好きにしてもらって構わない。
オレたちは数歩進んで豚肉を見る。
「あ、豚バラもありました……けど、少しお高いですね」
「そうだな、ってことは――」
「手羽元カレーです!」
「決まりだな」
五稜さんはストックしていた手羽元をカゴの中へと入れた。
カレールーは買い置きがあるので改めて買う必要はない。
これでカレーに必要なものは最低限カゴの中に入っている。
「もう終わりですか?」
案外早く買い物が終わってしまいそうになり、五稜さんが少し残念そうな表情を浮かべる。
これがデパートに買い物に来ていたのなら、物足りないって感じるのはわからなくもないが、ただの夜ご飯の買い出しでそんな顔されても困るな。可愛いけど。
「……何か買いたい物でもあるのか?」
「買いたい物と言いますか……」
チラチラと五稜さんの視線がオレの背後を見ていることに気付く。
その先に何があるのかは、振り返らずとも知っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます