第8話 共同生活です!

「それじゃあたしは帰るけど――変なことするんじゃないわよ」


 程なくして、葵が帰ることになったので、見送りのためにただいま玄関に移動中。

 本当は可能な限りいるつもりだったらしいが、既に五稜さんとの関係はいいとは言えない。五稜さんにストレスを与えないためにも、帰宅してもらった方がいいと判断してのことだ。

 正直言えばオレも不安だし、二人になって何を話したらいいのかわからないから一緒にいて欲しかったが、身持ちの五稜さんに負担をかけ続けるわけにはいかない。

そう配慮して切り出した時、葵は――


『へぇー長年連れ添った幼馴染みは帰らせちゃうんだぁ。ふ~ん、ぽっと出の女子高生は残してぇ』


――と不機嫌なご様子だった。

 でも葵は道理のわからない奴じゃない。

 いくら赤ちゃんがオレの子じゃないかもと疑っていても、妊婦にストレスを与え続けるべきじゃないとはわかっているので、最終的には帰宅することにしてくれた。


「少しは信じてくれませんかねぇ?」

「信用できる状況とでも?」

「それは……できないよなぁ」


 あなたの赤ちゃんを妊娠しました――なんて女子高生が押しかけてきた相手を信用しろって言っても無理かもしれないな。

 仮にこれがオレじゃなく翔太や勇気なら、オレだって信用なんてしないだろう。


「……ウソよ。そんな顔しないで」


 今オレはどんな顔をしているのだろうか? きっと飼い主に見捨てられた犬のような、情けない顔でもしてんのかな。

 視線をやや下げると、気を遣った優しい微笑みを浮かべながら、葵はオレの頬に手を当ててきた。

 少し冷たい。でも落ち着く温もりだ。


「あんたはこれまで童貞を貫いてきた男よ。襲おうと思えばいつだってあたしを襲えたのにずっとしてこなかった。そんなあんたが誰かを襲うなんて……まぁ、ないと思ってるから」

「……信じるなら最後まで信じ切ってくれませんかね、葵さん」


 ちょいちょいオレのことを信じてる発言をしてくれるが、結局最後は濁されてしまう。ってことはやっぱり信じられてないってことだよな。


「信じたい……けど、お酒は人を変えるわ。素面なら最後まで庇えるけど、酔った状況じゃさすがに、ね」

「まぁ、そうだよな」


 その意見にオレも同意する。

 元々オレは夜酔いするタチだったから、絶対にないと言い切ることができない。

 まして今回は記憶が飛ぶほど泥酔してたわけだからな。


「だから! 今は間違ったことはしないって信じてるから帰ることにする」


 素面なら――酒を飲んでいない今ならオレが五稜さんに手を出すことはない。

 葵はオレをそう評価してくれるらしい。


「裏切ったら承知しないから」


 ポンと女性らしい細い指の拳が胸に突き立てられる。


「お前がそう言ってくれるなら、裏切るわけにはいかないな」


 相手は葵に負けない美女だ。でも長年葵に手を出さなかったオレなら耐えることができるはずだ。

 本能は理性で抑えることができるんだ……酒さえ入ってなければ。


「うん。じゃあ」

「ああ、また」


 オレたちは軽く手を振って別れの挨拶を済ませた。

 葵は背を向け、途中何度かこちらを確認するように振り返りながら、ゆっくりと立ち去っていった。

 オレは葵の姿が見えなくなるまで見送り、そっとため息をつく。


「はぁ……んじゃ行きますか」


 葵が帰ればいつも一人の家。

 でも今日から同居人がいる。

 相手は女子高生。しかもお腹にはオレの赤ちゃんがいるらしい。

 それが嘘か本当かはわからないが、今はそのつもりで対応するしかない。


「お帰りなさい。意外に長いお見送りでしたね」


 ドアを閉め、短い廊下を渡って部屋に戻ると、ベッドに腰をかけたままの五稜さんが出迎えてくれた。


「…………」


 いきなりお帰りなさいと言われてしまった。


「なんですか、素っ頓狂な顔してますよ?」

「あ、いや、お帰りなさいって言うから……もう馴染んでるみたいで」

「これからはここがわたしの家ですし、家主さんに礼を尽くすくらいはします」


 ここがわたしの家――それはそうかもしれないけど、女子高生がオレの家をそんな風に言うのは破壊力が!

オレの理性、早くも壊れそうっ!


「共同生活です!」


 嬉しそうな笑みを浮かべて、五稜さんは両手を広げてポーズをとる。

 ばん! と効果音が聞こえてきそうだ。

 美女と共同生活、動揺を悟られないようにオレは適当な話題を振る。


「そうだな……さて、一緒に暮らすにあたってまずはルールだな」

「ルール……一日のエッチの回数……とかですか?」


 ほんのり赤面した五稜さんが恥ずかしそうに上目遣いで訪ねてきた。


「ばっ、別にそんなこと……因みに何回までならオッケーなんだ?」


 そんなこと考えてないと否定しようとしたが、思わず好奇心に負けて、周囲を確認する素振りをしてからひっそりと尋ねる。

 ここはオレの家で葵が帰って二人しかいないとわかってはいるが、後ろめたさからそんな行動をついとってしまった。


「そうですねぇ……三回くらい?」

「三回っ」


 思ったよりやらせてくれるな。

 三回なら朝昼晩ってそれぞれ一回ずつ楽しめ――ってそうじゃないっ!


「って、いやいやしないからなエッチなことなんて」


 したいけどな! セックス!

 けど葵の信用を裏切るわけにはいかない。素面だし!

 少なくとも今は手を出すべきじゃない。


「さすがに冗談ですよ! 今の時期にエッチなことしたら、流産しそうで怖いじゃないですか」


 五稜さんは冗談と笑ってから、お腹を優しく撫でる。

 まだ妊娠してるかなんて見た目ではわからない。でも、そこには確かに新しい命があるのだろう。

 五稜さんの我が子を慈しむ姿に、思わず見惚れてしまう。

 尊いな……うん、とにかく尊い。


「本気で赤ちゃん、産むつもりなんだな」

「はい。普通なら堕すべきなんでしょうが、この子の命はこの一回きりです。わたしの都合で見捨てることなんてできません」


 変わることのない強い意思。

 オレがとるべき責任は、この子と一緒に生まれてくる赤ちゃんを育てること……でも、その赤ちゃんは本当にオレの子なのだろうか?

 葵がいなければ疑うことなく信じてしまったかもしれない。

 もしオレの子じゃないと仮定した場合、なぜ五稜さんはオレのところにきた?

 オレのところに来たように、その人のところに行くことはできたはずだ……ってことはやっぱりオレの子ってことか?

 考えてみてもオレには何一つわからない。


「疑ってるんですね、大林さんもこの子の父親が自分じゃないかもって」


 態度には……出ちまうよな、そりゃ。


「疑ってるわけじゃない、ただわからないだけだ。なんと言っても記憶がない。五稜さんも知っての通りあの日オレは酔いつぶれてた。きっと最低な酔っ払いだったはずだ。そんな状況だから否定しきれないが、肯定もできない」


 やっぱり確証はほしい。

 生まれてくる子に人生を捧げられる覚悟を決められるだけの証拠が。


「だから、DNA鑑定でハッキリさせたいんだけど、やっぱりダメか?」

「嫌です」


 葵の時みたいに感情的ではないが、力強く拒否された。


「注射は嫌いか?」

「この世で一番嫌いです」


 そこまでか……もしその原因が下手くそな医者のせいなら、オレはそいつを許せねぇぞ。

 逆恨み? 結構!


「なら仕方ないな」

「随分あっさり引き下がるんですね? 朝顔さんとは違って」

「キミみたいな可愛い子が相手じゃ強引にって気になれないしな」

「ちょろいですね、大林さん」


 おかしそうに小さく笑う姿は、まるで小動物のように可愛らしい。


「ちょろいとか言うな」

「詐欺に遭いそうで心配になります。閉店商法にも引っかかるみたいですし」


 それは葵だ――と言えない。多分察したとは思うが。


「心配してくれるのか? 今日が初めて……ってわけじゃないんだろうが、ほぼほぼ初対面の相手を」

「はい、この子の大切な父親ですからね、破綻されたら大変です。この子を育てるにはお金が必要です」


 何ともリアルな理由だ。

 そこは嘘でも好きだからと言ってももらいたかった……いや、オレたちの間に恋愛感情なんてないのはわかってるぞ。

 五稜さんは誰が見ても絶対に可愛いが、だからと言ってそれだけでベタ惚れするほどオレはちょろくない!

 そもそも五稜さんの言うことが本当なら、彼女がオレのことを好きになることなんてまずないだろう。

 それでもオレのところに来たのは、赤ちゃんを育てるための苦肉の策……ってところだろうな。


「だから大林さんにはちゃんと責任とってほしいです」


 真面目な表情で真っすぐ見据えられる。

 男の甲斐性を示す場面なんだろうが、オレは明確な返答をすることをためらった。

 さっきは何が何だかわからないうちに責任をとると答えたが、冷静になった今同じように簡単には答えられない。


「とるべきならとるよ」

「…………」


 その返答に五稜さんは静かに目を伏せてから、小さく頷いた。


「そうですか」


 それから俺たちの間に長い沈黙が生まれた。

 四月二八日、泥酔しきったオレはこの子を襲ってしまったのだろうが、その時の記憶は全くないままだ。つまりオレにとっては今日が初対面みたいなものだ。

 そんな子といきなり会話が弾むはずもない。

 葵が相手ならこの沈黙をなんとも思わないだろうが――気まずい。


「そう言えばルールを決めるって話でしたっけ?」

「あ、あぁ、そう言えばそんな話をしようと思ってたんだったけか」


 五稜さんが一日のエッチの回数なんて言うから、すっかり頭からこぼれ落ちてた。


「家事の分担……って思ったんだが、妊娠してる子に家事させるわけにもいかないよな」

「いえいえ、そんなことないですよ。普通に身体動きますし、まだ妊娠してるって実感はほぼほぼありません。家事くらい余裕です」

「いや、でもな」


 お腹の子を考えれば安静にしてもらうのが一番な気がする。

 正確な知識かはわからないが、やっぱり妊娠初期は流産し易い時期だろう。


「別に余命いくばくもない末期ってわけじゃないんですよ。一日ベッドの上になんて寝てられませんから」

「それはそうかもな」


 現に大学まできてオレを見つけ出してるわけだしな。

 動けないってことはないんだろう。


「まぁ、ルールなんて固苦しいのは無しにして、やれることをやれる時にやってくれればいいか」

「そうですね。因みにわたしがお風呂は一緒に入るのか、そういう感じのルールかと思ってました」


 てへぇ――と笑う顔の威力がやばいな。

 今、一瞬心臓が飛び跳ねたぞ!


「キミはオレをなんだと思ってるんだ?」

「う~ん、酔っ払って女子高生を襲う変態さん?」

「…………」


 そう言われると返す言葉がねぇよ。

 もしそれが事実なら、オレはどうしようもないクズなわけだから。


「冗談です。ちゃんと責任とってくれるんですから、大したものです。世の中には妊娠せるだけさせて逃げちゃう人だっているんですよ」


 そう言って五稜さんは笑った。



◇ちょっとあとがき的なもの◇

ポケモンを買ってしまいました

思ったより面白くてこの休みやり込んでしまいました

明日から投稿ペース落ち着かもです、ご了承ください

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