第8話 その九尾名前が呼べぬ
茹だる夏の陽気が本格化してきた、初夏の終わり。
僕はその間に翔から言われた疑問について、ずっと考えていた。
正直な話あまりこれといった理由はない。だが、何故か今更名前で呼ぶことに対しての気恥ずかしさのようなものが邪魔しているだけだ。
そこまではわかっているが、ただ1つの疑問が僕の中で蠢いていた。
「ただ名前を呼ぶだけに、気恥ずかしさを感じているのは何故だ……?」
翔を呼び始めた時も、フウの名前を呼んだ時も、そんなものは感じなかった。ただ、あいつの名前をいざ呼んでみようとすると、何故か言葉に詰まってしまう自分に違和感しか覚えなかった。
自分一人では分からないことが多すぎて、フウに少し相談したら何やらニヤニヤとした顔して、「遂にコンにも春だな〜。」といいながら、肩を叩かれた。
それが余りにも腹が立ったので、もう二度と相談しないと僕は決めた。きっと、翔に相談してもバカにされそうなので絶対にしない。大体なんだ春って、今は夏だ。
「おきつね様〜朝ですよ〜!ご飯も出来ましたので、起きてくださ〜い!」
「ああ、わかった。直ぐに行く。」
あいつは、あの後も特に気にすること無く僕と接してくれている。なんなら、その話を聞いた直後に僕に、
「私は気にしてないですし、呼びやすいように呼んでくださいね?」
と、僕に言った。
だが正直な話、人間にはあまり拘りがないのかもしれないが、僕達あやかしが相手を名前で呼ぶというのは、信頼や友好、そして認めた相手への敬意を表す意味も込められている。
おいそれとすぐ呼ぶフウはさせておき、僕は名前で呼ぶ相手をしっかり見定めて呼んでいるつもりだった。
だが、あの輪の中であいつだけ名前で呼ばないというのも、まるであいつだけ信用してないように言っているみたいで、それに関しての罪悪感のようなものが心の中で渦巻いていた。
信用をしてないわけでは断じてない。だが、呼ぶタイミングを見失ったとかいう言い訳をしている自分と、まるで呼べない特別な理由がある様に思われている事が何よりも嫌だった。
「僕はなんでこんなことをこんなにも……」
「?今何か言いましたか?」
「…なんでもない。」
そんな他愛のは無い話をしながら、僕達は黙々と食事を取っていた。
今日はあの二人は来ておらず、久しぶりの2人なのだ。
フウは何やら呼び出されたらしくどこかに行ってしまい、ここ数日顔を見ていない。
翔は、フウに出された課題である妖力の本質を知る修行中に何やら自分を呼ぶ声が聞こえるとか、言い出したが、今はフウもいないので、ここに来る事がなかった。
「あの二人がいないと、とても静かですねぇ……」
「そうだな。」
「あ、デザートありますけど食べますか?」
「食べる。」
僕はあいつと目を合わせる事無く、端的に答えていた。不自然と思われるかもしれないが、翔の疑問が頭を回りに回って遂に顔を見るのも難しくなりだしたからだ。
そう思いながら、顔を見ることなく受け答えを続けていると、あいつは何故か不満げな声を漏らした。
「……おきつね様、なんで私の顔見て話してくれないんですか?私もしかしてなにかしてしまいましたか…?」
「……気のせいだ。」
「嘘です!それならこっちみて言ってください!ほら!お〜き〜つ〜ね〜さ〜ま〜!!」
あいつは僕の顔を持って無理やり自分の方へ向けようとしてくる。僕は必死に抵抗しながら、声を少し荒らげた。
「おい、やめろ!離せ!」
「嫌です、やめません。こっちみてください!」
「やめろって言ってるだろう!ほんとにお前は僕に対しての遠慮ってものがどんどんなくなってきてるぞ!!」
「忘れたのか?!僕はここの神様だぞ!!」
「それなら、そんなに素っ気ない態度をする理由を教えてください!!」
そこまで言うと、向けようとしていた手を離してどこか寂しげな顔をして、俯き気味呟いた。
「私は、おきつね様ともっと仲良く話したいです……」
こいつのこの顔は狡い。僕はこの顔を見てしまうと、なにかすごい悪いことをしてしまっているような罪悪感がきてしまう。
「別に嫌いな訳じゃない。その…この前の事が気がかりなだけだ。」
僕がそう言うと、あいつはぽかんとした顔を浮かべていた。そして少し考え込んだかと思うと、あっけらかんとした顔をして僕の方を向いた。
「私、何も気にしてないですよ?おきつね様が名前を呼ぶという事をとても重要視してることはわかってます。」
「フウ様や、翔くんが名前で呼ばれるのはきっとおきつね様の中で彼らの認識が変わる出来事があったからだと思ってます。」
「私は正直な話、自分でもおきつね様からの認識が変わるような出来事を起こせたとは思ってませんので、名前で呼ばれなくて当然だと納得してます。だから……」
「今は呼ばれなくても、いつか呼ばせてやるんだ!って思ってるぐらいです。」
そう言ってにこやかに笑った。
思えば久しぶりに顔を見たような気もする。日数にすればそれは2~3日ぐらいだが、もっと長い間顔を見てないような気がするぐらいにあいつの笑顔は眩しく見えた。その笑顔が、僕のモヤモヤを全て持ち去って言った。
「お前は、狡いな……」
「?今なにか言いましたか?」
「いや、なんでもない。」
僕は振り向いて、あいつの目をもう一度見た。
「おい人間、僕に名前で呼ばれたかったら、せいぜい僕にお前がいなければダメだと思わせ続けるんだな。」
相変わらず僕はこんな言い方しか出来ないが、どうやら伝わったのか、あいつはにこやかに笑っていた。
「はい!任せてください!」
─────────────────────
最近、ずっと同じ夢を見る。
真っ暗の中で誰かが呼んでいる。
『……ちゃん。……ちゃん。』
「またこの夢かよ……」
翔は本質を見る修行を通して、この夢にずっと悩まされていた。
自分がなにかに呼ばれているのは分かるのに、一体なぜ呼ばれているのか、誰に呼ばれているのかが全く分からない。
翔はいつものように自分が呼ぶ方へと進んでいく。
「おい、誰だよ!俺を呼ぶのは!!」
『翔…ちゃん…。翔…ちゃん……』
呼ばれてる方向はわかっているのに、声が近くなると途端に前に進めなくなる。どれだけもがいても、どれだけ走っても、その声の主に辿り着かない。
「なんなんだよこれ……」
翔はついに痺れを切らしたのか叫び出した。
「お前は、誰なんだよ!なんで俺の事を呼ぶ!なんで俺の事知ってんだ!!お前はなんなんだ!!」
そう叫ぶと、今までの夢とは違うただ名前を呼ぶだけでは無い、明確な返答が返ってきた。
『私は…あなた…。あなたは…私…。』
『早く…私を呼んで……』
『私の…名前は──』
ここまで聞いて、翔は目を覚ました。
辺りを見回しても、いつもの自分の寝室だった。
「なんなんだよこの夢は……」
翔は頭を抱えてうずくまった。
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