第2部
第7話 初夏の嗜み
湿った空気に、蝉の声。あいつが来て2度目の夏を迎えた。
「暑い…」
僕は、呻き声を上げながら布団の上で寝そべっていた。夏は暑いからあまり好きじゃない。もちろん冬も寒いので好きじゃない。好きなのは秋ぐらいなものだ。食べ物が美味いからだけど。
「おきつね様〜暑いのは分かりますけど、だらけすぎでは??たまには外に出て運動しないと!」
「そうだせコン!そんな寝てばっかだと、一瞬で俺がお前を追い抜くかもな〜何しろ今日も鍛えてもらいに来たんだから!」
うるさいふたりが寝室の前で僕を呼ぶ。
「うるさいぞお前たち。まず人間、こんな暑い中運動なんてしたら僕は死んでしまうから絶対に嫌だ。次に翔、やっと妖力を感じ取れるとようになった程度の青二才が、僕に勝つなんて夢のまた夢だから諦めろ。」
そう言ってやると、翔は怒ったのか寝室の戸を開けて、身を乗り出す。
「なんだと?!やってみないとわかんねぇだろうが!!」
「精々フウが作った呪符を使わなくても、妖力を扱えるようになってから言うんだな。」
「てめぇ…言わせておけば…!」
「まぁまぁ、翔くんそんな怒んないで?じゃあおきつね様、私はご飯の準備してきますね。」
「お前はコンを甘やかしすぎだって──」
そんなことを言いながら、2人は寝室の前から消えていった。あの二人は幼馴染みと言っていたが、やはり仲がいい。
「……?」
一瞬感じた不快感に首を傾げ、もう一度寝床にうずくまって惰眠を貪っていた。
─────────────────────
「コンが寝床から出てこない?」
凛は、食べ物を持ってきたフウに今のコンの現状を話した。
「そうなんです。毎日寝床にひきこもって、出てくるのはご飯の時か日が沈んでからなんです。」
フウは頭を掻きながら苦笑いをうかべた。
「あ〜この時期は多分毎年そんなもんだあいつは。」
「凛ちゃん確かここに来たのは去年夏の終わりだろ?」
「暑いからって言って、あいつは絶対にこの時期は出てこねぇからほっとけほっとけ。」
凛は、少し悩ましげな顔を浮かべながらも、頷いた。しかし、まだ心配なのかコンのいる方をチラチラと見ながら様子を伺っている。
「おいフウ!ぜんっぜん出来ないんだけど、これでほんとに合ってんのか??」
翔はと言うと、坐禅を組むように座り、頭にはフウが作った呪符を張っている。
「いいから喋らず集中しとけ。その呪符はお前の中にある妖力を、より循環させるためのやつだ。」
「目を閉じて、自分の中にある妖力を感じるだけじゃなく、形や色、自分の妖力の本質を知るんだ。それが出来なきゃ使う時のイメージがつかねぇからな。」
「なんだよ…本質って…」と、ブツブツ文句を言いながらも、目を閉じて自分の中にある妖力を知るための集中に入った。
「あ、そうだ。」と、フウは手を叩き凛に向き直る。
「凛ちゃんや翔がいるから、人間の食べ物の種類を増やしたんだけどさ、このそうめん?ってやつは美味いのか?」
「この時期に食べると最高だって聞いたんだけど……」
「そうめんですか…。美味しいですけど、フウ様が気に入るかどうかは──」
そこまで言葉を発した凛だったが、何かを思いついたのか手を叩いた。
「そうだ!流しそうめん!流しそうめんをしましょう!この時期にピッタリだもの!これならおきつね様も気に入るかも……」
1人で盛りあがっていた凛だったが、フウは首を傾げていた。
「流し…そうめん…?なんだそれ、そんなもんがあるのか?どういう食べ物なんだ?」
凛は少し自慢げに鼻を鳴らしながら、指を立てた。
「それはできてからのお楽しみです。とりあえず、竹が必要なので翔くんと2人で取りに行ってくれませんか?」
「私はそれ以外の準備をしますので……」
そう言って凛は、いたずらを思い付いたような笑みを浮かべた。
─────────────────────
あいつはご飯ができたと呼ばれていつもの居間に来た。
「なぜ誰もいない…」
何故か誰もいなかった。おかしい、確かにあいつは僕にご飯だと呼んだはずだ。
いないことに首を傾げていると、外から何やら楽しそうな声が聞こえる。
声の聞こえる方に向かってみると、翔とフウもいて何かを食べている。
「あ、おきつね様!今日のご飯は流しそうめんです!」
「流しそうめん…?」
僕は聞いた事のない食べ物に首を傾げていたが、何やら翔やフウが竹を半分に切ったものを、斜めに流れるように組み立て、そこから水を流しているものに箸を立てていた。
そして箸をそこから動かしたかと思うと、白い麺のようなものを、掬って器につけて食べていた。
「お、コン来たか!これめちゃくちゃうめぇぞ!自分で掬って食べるって言うので、倍美味い。」
フウが楽しげな声で僕を呼ぶ。
確かにあの白い麺はツルツルとしていて、この暑い日には食べやすくとても美味そうだ。
僕は日陰から外に少しだけ手を出した。うん、暑い。僕は手を引っ込めて、あいつに言った。
「確かに美味そうだが、僕はこんな暑い日に外に出たくない。おい人間、それ僕に掬ってここまで持ってきてくれ。僕はここで食べる。」
そう僕が言うとあいつは自分の顔の前で、指を使ってバツ印を作った。
「これは流しそうめんなので、自分で掬って食べないと意味がありませんのでダメでーす♪」
「なっ?!お、お前いつからそんな口を僕に──」
僕がそこまで言うと、翔は僕に向かって笑い声混じりに僕を揶揄った。
「おいおいコン、もしかして箸使うの下手なのか??」
「そーいやこの前も俺からだし巻き取られてたもんな〜。俺の隣でそうめん取れなくなりそうだから、そこで食べるって言ってるんだな?」
「おいおい。する前から負けること考えてるのかよ〜」
翔はそんな言っちゃいけないことを言ってしまった。
「 …僕が…負ける…?翔ごときに…?」
「お前ごときに負けるわけがないだろう!!おい人間!早く箸と器を渡せ!」
「お前に負けるものなどひとつもないわ!見ていろ?僕に全て取られて泣き喚くなよ?!」
そう言いながら、僕は外に出て、あいつから箸と器を貰った。
あいつはどこか嬉しそうな顔をして、箸と器を僕に渡す。
「おいおいめっちゃムキになってんじゃねぇかコン。人間相手に何やってんだ?」
フウは僕に向かって笑い声あげながら言った。
「う、うるさい!たとえこんな些細な事でも、こいつに負けたと思われるのは癪なだけだ!」
「あ、暴れないでください!竹が倒れちゃいます!それじゃ、流していきますからね〜!」
そう言って、あいつはそうめんを流し出す。
「おい、貴様押すんじゃない!前に立とうとするな!」
「お前も押してんじゃねぇか!あ!妖術使いやがったな!それはずるだろ?!」
「フッ、使えるものを使って何が悪い。お前もこんな風に自在に扱えるようになればいいだけだ!」
「お前らこんなことごときでムキになんなよ……」
コンと翔が言い合いながら食べている声や、フウの呆れた声に掻き消えてたが、凛はどこか安堵した表情をしていた。そして1人聞こえることなく呟く。
「私の作戦勝ちですね♪」
そう言って、凛はいたずらっぽく笑った。
─────────────────────
あれからひとしきり食べ終えて、今は全員で茶を飲んでいた。
「なぁ、コン。お前確か使う妖術の本質って《炎》だろ?なんで今日水を塞き止めたり、麺を宙に浮かしたりできたんだ?」
翔が、今日のそうめんの一件について聞いてくる。僕は、茶を飲みながら翔の質問に答える。
「あれは妖術ではなく、妖力のみを使ったものだからだ。」
「確かに僕が使う妖術の本質は《炎》だ。 だが、妖力と妖術では根本が違う。」
「簡単に説明すれば、妖力は無色でなんの特徴もないものだが、逆を返せば何色になれるということだ。それに色をつけて扱う事を妖術と呼ぶ。」
「妖術を使うのは、本質さえ知ればあまり難しいものでは無いが、妖力のみを使うのは緻密なコントロールが必要になる。色の無いものを自分の思い描くように使うわけだからな。かなりの修行が必要だ。」
そこまで言うと、翔は何やら凄いものを見るような目を向けながら、フウに問いかける。
「なぁ、もしかしてコンって結構すごい?」
すると、フウは何を今更と言わんばかりの目を向けた。
「ん?あいつの妖術だけ見れば俺と変わらんが、そこにプラスして妖力の扱いまで入れたら、こいつは化け物だぜ。あんな繊細に普通は使えねぇ。」
「おきつね様ってお強いんですねぇ……」
「あ、おきつね様お茶のおかわり要りますか?」
そう言いながら洗い物を終えたあいつが、新しいお茶と自分の分のお茶を持って、隣にきた。
「いる。あと人間、そっちに茶菓子もあったはずだからそれ取ってきてくれ。」
「はーい!ちょっと待っててください!」
そんなやり取りをしていると、翔がなんだがこちらを見て首を傾げている。
「…なんだ翔、まだ聞きたいことでもあるのか?」
そうやって僕が聞くと、きっと誰もが思っていたが言わなかったであろう疑問を口にした。
「お前さ、俺のことは名前で呼ぶじゃん。」
「そうだな。」
「なんで凛の事は未だに人間って呼んでんの?」
フウが隣で呆れ顔をしながら、手で顔を覆っている。 翔はと言うと、「え、なんか聞いちゃいけなかった?これ」っていいながらオロオロしていた。
そんな中僕はその翔の疑問に答えられずにいた。
僕は何故あいつを名前で呼ばないんだろう。その疑問が僕の頭を埋めつくしていった。
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