第293話 (赤色感染症に)病める大国の内部分裂
アメリカ合衆国大統領、フランシス・テオドール・ルーズベルトは1942年も残り1ヵ月となったその日、怒りで顔を
彼の手元には二つの報告書があった。
一つは、日英が共同出資でフランスよりマダガスカル島を購入する事と、そこを軍事拠点化するという旨の報告。
もう一つは、ドイツがビャチゴルスクを陥落させ、更にカスピ海方面へ進出しているという報告だった。
この二つが何に直結するかは考えるまでもない。レンドリースの”ペルシャ湾ルート”だ。
マダガスカル島が基地化されたところで、日英が通商破壊を仕掛けてくるとは米国もルーズベルトも考えてはいない。
その気があるなら、とっくにイランに展開する(権益を持つ油田警備の)英軍か、あるいはシリア東部に展開する日本軍が仕掛けてきてるだろう。
だが、未だにその兆候はない。
ただ、”監視”されているだけだ。
そして、マダガスカル島に軍事拠点化すれば必ず日英の一般的な意味での哨戒網は構築されるし、監視の目は増える。
それが嫌なら日英の哨戒網を迂回するしかないが、それだとただでさえ長い航路が余計に伸びる。
結局は、マダガスカル島東岸を掠める様な公海上、つまり今までと同じ航路を通るしかないだろう。
(クッ……やはり、マダガスカルを早急に支配下に置くべきだったか?)
しかし、それが不可能であることはルーズベルトも承知していた。
北アイルランドの買取と基地化で、明確な敵対ではないが英国との関係は緊張状態が高まっている。
そして、アフリカ東岸は英国人の天下だ。
その状態でマダガスカルに手を出す……その案件を議会に納得させる根拠がなかった。
実際、共和党をはじめ民主党の中でもレンドリースに懐疑的な勢力が超党派で徐々に出だしている。
レンドリースに反対する根拠は、
・米国の中立法を侵害している
・リスクに見合った効果がない
・コストパフォーマンスが悪い(コストに見合った効果がない)
・ソ連への支援に使う金額を、福祉などに宛がい米国市民(納税者、有権者)に還元すべき
・あるいはせめて米軍の充実に使うべき
だ。腹立たしいことに正論であり、如何にマスコミを操作しようと皮肉なことにこのような主張は特に保守層に評判が良い。
『ドイツは危険な敵であり、アメリカは野心に溢れた覇権的帝国主義者を、民主主義の守り手として打倒せねばならない』
という主張も、
『ソ連は民主主義国家ではない。ソ連を支援しても民主主義の防衛にはならないし、アメリカには亡命してきた王家すらある。それらを同時に支援するというのであれば自己矛盾ではないのか? そもそも、ドイツと敵対する理由がどこにある?』
と返される。
本当にマスコミの全てが汚染されていたら、議会の罵り合いじみたディベートも封殺できたのだが、少数勢力とはいえ独立系メディアは存在しており、またレンドリース反対派と結託したこともあり徐々にではあるが国民の間にも「レンドリース不要論・不必要論」が浸透し始めていた。
そして、ドイツがユダヤ人達を強制収容所に閉じ込め弾圧しているという事実、またドイツから脱出してきたユダヤ人の証言などからアメリカ国内のユダヤロビーを味方につけることは成功したが、あの小賢しい日本人が「ミントブルー宣言」などという仰々しいスタイルでアメリカでは当たり前の「信仰の自由」を宣言したこと、更にはソ連が行ったとされる聖職者の弾圧の内情が「その被害者たるロシア正教聖職者の証言」という形で流れ、保守系の福音派からも「ソ連への支援はいかがなものか?」という声が出てくる始末だ。
法曹界も宗教界も……この時期のアメリカは多くの政府機関、アメリカ国内の民間シンクタンク、民間平和団体、宗教関連団体、出版社などが赤色勢力に乗っ取られてソ連の手先となっていたが、コミンテルンがとことん利用した”個人主義的な自由”こそが、今度は「ソ連支援を疑問視する個人の発言」を許したという訳である。
実際、アメリカのピューリタン、いや福音派は世界のプロテスタントの中では非主流派、むしろ異端であり、正教徒たちに特に思い入れがある訳ではない。
だが、同じキリスト教として宗教弾圧には過敏になるという物だ。もっとも、過敏になってこの程度なのがアメリカなのだが。
加えて、ユダヤロビーを味方につけたのは、必ずしもメリットばかりではなかった。
実際、史実でもこの時代のアメリカにはヘンリー・フォードを始め、反ユダヤ主義者がごまんといたのがまず一つ。
そして、ルーズベルトが”ユダヤロビーと昵懇”という情報が流されたのと同時に流布されたのは、
”ソ連におけるユダヤ人の迫害の実態調査記録”
だ。史実でも、スターリン自身が
『ユダヤ主義などカニバリズム(=食人俗)の名残にすぎない』、『ボリシェヴィキはポグロムを組織して党内のユダヤ分子を片付ける』と発言しており、また大粛清の折には史実のヒトラーと同じく”ユダヤ人陰謀説”を持ち出し、ユダヤ系政治家だったカーメネフ、ヤキール、ソコリニコフ、ラデック、トロツキーを粛清している。
無論、多くのロシア系ユダヤ人も粛清や強制移住(実質的な追放)の憂き目にあっている。
日本ではあまり知られていないが、スターリンもその後釜のフルシチョフも、実は反ユダヤ主義者だ。
そして、史実同様にそれらは”問題なく実行された”のだ。
***
そして、これらの相反する情報が一斉に流された。
無論、狙っているのはアメリカの世論分断や数々の離間工作。
そして、仕掛けたのはこの容赦のなさとやり口から考えて、英国諜報機関に間違いないだろう。
ドイツに味方してるつもりはないだろうが、少しだけケベック州や北アイルランドの意趣返しをしてるような気がしなくもない。
そして、ソ連の暗部を次々に白日に晒す杉浦千景の「ソ連の戦争犯罪レポート」に、おまけで内容が平和過ぎると評判の大島大使著の数々のドイツ満喫記などが複雑に重なってくる。
アメリカンな赤色汚染マスゴミがいくら騒ごうが否定しようが報道しない自由を発動させようが、国境の向こうからラジオ放送に乗って、あるいは数々の紙媒体で嫌でも流れて来るのだ。
政治的(あるいは物理的にも)力押しのごり押しではあるが、今はまだレンドリースは続けられている。
だが、日に日にレンドリースへの疑問視や不満は積み重なるばかりだ。
実際、最近は「レンドリースを中止して、その金額分減税しろ」なんて国民の声まで上がってくる始末だ。
ルーズベルトから見てもアメリカの国内世論はしっちゃかめっちゃかであり、これでは……
「次の選挙がおぼつかぬか……」
1944年の選挙まで2年を切っているのだ。
「必要なのは、誰の目にも明らかな”勝利”だ」
例えば戦後アメリカは、「(アメリカが認定する)悪に撃ったトマホーク巡航ミサイルの数だけ大統領支持率が上がる」と言われていた時期がある。
そして、この時代のアメリカはもっと顕著で、
”どこかの戦場で勝てば、大統領の支持率は上がる”
のだ。それも面白いくらいに。
アホみたいな話だが、アメリカ人という種族は”正義が勝つ”と普通に信じている。
滅びの美学が大好きな日本人の発想である”勝てば官軍負ければ賊軍”、”勝ったやつが正義を名乗り歴史を作る”とは逆の発想なのだ。
つまり、アメリカにとり勝利こそが正義の証明なのだ。
だからこそ、ルーズベルトには”明確な勝利”が切実に必要だったのだ。
”現在のアメリカの行動こそが正義”である事を国民に知らしめる為に。
だが、なりふり構わず戦争を仕掛ける訳にはいかない。
大義名分がいる。
(ドゴールは協力するとは言っている)
「キング長官、やはりフランス本土上陸は無理か?」
「無謀です、プレジデント」
合衆国艦隊司令長官にしてアメリカ海軍のトップになったアーノルド・キングが応える。
「やはり、攻めるとしたら西アフリカしかないか……キング長官、来年中にモロッコ上陸は可能かね?」
「その規模でしたら、確実に準備は間に合います」
こうして、また歴史は動き出す。
ただしそれは、見た目が史実と似ていようが、中身までそうとは限らない。
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