第291話 戦争後半を彩るドイツの小火器と、そして遥かなるクバーニ




 1942年の秋から冬にかけて、ドイツの南方軍集団の大攻勢、”ブラウ作戦”を前倒しした形で始まった”42年秋季大攻勢”は、可能ならば陥落させたかったサラトフには手が届かなかった(攻勢を見送った)が、防御の堅いスターリングラードもサラトフも狙わず、モスクワ攻撃は空爆どまり。

 レニングラードはとっくに陥落させているので、まだ余力があった。

 また、今生のヒトラーが南方軍集団や北方軍集団を軽んじてないのもまた大きかったのだ。

 

 実際、新兵器も大物は滅多にない物の続々と投入されていた。

 有名どころを列記しておこう。

 

 ・StG42突撃小銃

 ・MG42汎用機関銃

 ・FG42軽機関銃(空挺機関銃→分隊支援機関銃。史実G型ないし後期型)

 ・Gew43半自動狙撃銃(先行量産品。ZF39規格4倍スコープ標準搭載)


 StG42はAG43の回にも出てきたが、まんま史実のStG44突撃小銃だ。Kar98K小銃を生産中止にしてまでリソースを注ぎ、全力生産に移行している。

 そして、”ヒトラーのチェーンソー”とあだ名されたMG42汎用機関銃も史実以上に順調に量産され、前線へ投入されている。


 史実と異なるのはFG42軽機関銃で、当初は史実通りに空挺用機関銃として空軍省より開発要求が出されたが、41年のマルタ島での大損害と作戦の失敗で空挺作戦全般が大幅に見直された結果、FG42開発計画は一度、白紙に戻った。

 しかし、戦場からZB26/27/30軽機関銃の有用性が認識されたことで陸軍省が計画を引継ぎ、開発途中だったFG42を叩き台に「分隊用の軽量機関銃」として再開発するに至った。

 その結果、生まれたのが史実のG型、いわゆる後期型のFG42だった。

 史実のFG42Gとの最大の相違点は、ZB26軽機関銃系列と同じ弾倉を使用可能という事だろう。

 

 Gew43は史実と少々開発経緯が異なり、フォルマーM35A自動小銃が史実と違って開発中止にならず、その開発を引継ぎ7.92㎜×57弾を使用する半自動狙撃銃として完成させたのが、Gew43だ。

 途切れない開発の割には生産開始が史実と大きく変わらないように見えるのは、実は史実のGew43(W)準拠の物なら実は1941年に試作半自動狙撃銃”G41(w)”として完成していた。

 しかし、以下の欠点が指摘されたのだ。

  ・全体的な性能や耐久性は不十分であり、過度の動作不良や破損が発生した。射撃負荷が過大であることが原因で排莢不良が頻発する。

  ・標準的な砂塵下での試験では手動により容易に操作できたが、自動装填射撃の信頼性は低い。

 また、「ボルトキャリアーを開いて後退位置で固定すれば、Kar98用の装弾クリップを使って5発ずつ、あるいは手で1発ずつ、弾薬を弾倉へ直接押し入れることができる」という”過剰に凝った”メカニズムも複雑化を招き強度不足に起因する動作不良や故障原因になるとされたのだ。

 そこで作動方式を複雑なガストラップ方式からオーソドックスなロングストロークピストン式に改め、ボルトキャリアーを開いての給弾も実用的にあまり意味はない(むしろスコープ標準搭載が決まった為に邪魔)とされ、ZH29半移動小銃の10連発弾倉を標準として設計しなおされる事になった(つまりZB26系やFG42と弾倉を共用できる)。

 これらの改修により登場したこの世界線の”Gew43”はどことなく、史実の戦後米軍の半自動狙撃銃”M21”に似ていた。ちなみに役割も選抜狙撃手マークスマン向けなので被っていると言えた。

 興味深いのは、同時期にサンクトペテルブルグで開発されていた半自動狙撃銃がZH29をベースにバイポット付きのロングヘヴィバレルとピストルグリップとストレートストックを組み合わせた”ドラグノフ狙撃銃”に似た物であり、二つの半狙撃銃の印象は違えど弾倉は共用だったことだ。

 加えて、そもそもZB26系機関銃とZH29小銃のマガジンリップは共通なので、任務によっては他に20連発、25連発、30連発のマガジンが柔軟に使い分けられていたようだ。

 

 まあ、他にも個人携行用装備として既に大量生産体制に入ったドイツ版バズーカの”パンツァー・シュレック”や手榴弾感覚で使えるパンツァー・ファウスト”が続々と南方戦線へと運び込まれていた。

 面白いのは、本来なら対戦車ライフルとして開発されていた”PzB38/39”が”PzB/B.NSR.41(史実の”PzB M.SS.41)”同様に、8倍のスコープを搭載し長距離狙撃銃として活路を見出したようだ。

 ちなみにMP40短機関銃は、装甲車両乗員などの自衛用や屋内近接戦闘(ドイツでもCQBの概念が生まれていた)の使い勝手の良さから生産継続が決定され、またStG42に置換されるKar98kは、同盟国やあるいは非正規軍組織などに流れ戦力増強に妻がることとなった。


 

 

***

 

 

 

 何度も言うが、モスクワ、レニングラード、スターリングラード、ムルマンスクへの無駄な消耗戦を仕掛けることもなく、ドイツ本国が空爆に晒され生産が滞ることもなく、また無理してコーカサスの油田地帯を狙う必要もない。

 

 ドイツ本国、いやヒトラー総統は黒海方面の南部の価値や意味を見誤る事は無い。

 予備兵力を充当に使い南方軍集団には過不足ない兵力があった。

 

 また、レニングラード改めサンクトペテルブルグで製造され送られてくる兵器も心強かった。

 地上兵器に限っても、自走式ロケット砲(いわゆる”カチューシャ”)に、各種迫撃砲などがそうだ。

 どちらかと言えば、ドイツの正規兵器体系の穴埋めや補填を行う装備が主流だったが、これがあるとないとじゃ大違いというのが、数多くの戦場を駆け抜けてきた古参の将兵の意見だった。

 あと地味にサンクトペテルブルグ産の戦闘糧食が、最近は妙に兵たちに人気らしい。

 

 他にも前述の旧チェコより前述のZB26系の機関銃などの小火器や車両、旧オーストリアよりマンリッヒャーM1895の流れをくむボルトアクション方式の狙撃銃がといった具合に各地から続々と補給物資が届いていた。

 

 そして誇ってよいのは、同盟国や友好国などを合計すれば史実の数倍の生産能力もさることながら、それを滞らせないドイツの兵站能力の高さだ。

 史実に比べて遥かに高い生産能力や史実でも高い前線基地や野戦飛行場の構築能力の高さもだが、渡洋能力はほぼないがこと地続きの陸地に限っては早期の重機開発とモータリゼーションの実現、国策とした鉄道技術の進歩やトート機関の尽力などで、ユーラシア大陸西部という局地的にではあるが米軍並みの兵站補給能力ロジスティクスを実現しているのは驚嘆して良いだろう。

 

 

 



















************************************















 だが、順調過ぎるのも考えもので、戦力は現状では足りてるとはいえ、戦域が大きく広がり、同時に投入される戦力も増えた為に南方軍集団、ボック元帥とその幕僚だけでは手が足りなくなってしまったのだ。

 正直に言えば、正規軍だけでなく主に後方支援を担当する黒海沿岸の同盟国部隊ウクライナ、ルーマニア、ブルガリアの部隊まで入れれば200万人を優に超える南方軍集団を現状の司令部で切り盛りするには限界が来ていた。


 そこで、ドイツ国防軍最高司令部(OKW)とドイツ陸軍総司令部(OKH)が話し合い、旧ソ連領の黒海沿岸からカスピ海にかけての地方、いわゆる”クバーニ・・・・”を

 

 《b》”クバーニ(クバン)方面軍”《/b》

 

 として、南方軍集団とは連動しながらも独立した指揮系統を持つもう一つの軍集団の創出をヒトラーに提案した。

 これをヒトラーは二つ返事で了承する。

 そのレスポンスに驚く中央の参謀たちに、

 

「実は私からも提案しようと思っていたのだよ」


 と手書きの紙片を机から取り出した。

 まだ原案作成中のそれは、”クバーニ独立軍創設計画”と銘打たれていた。

 

 それを読むように促された高級参謀は、今度は別の意味で驚いた。


「方面軍司令官”ヴァンフリート・リスト”元帥……ですか?」


 リスト元帥と言えば、「マジノ線突破の立役者」であり、ルーマニア陸軍近代化の功績やブルガリアの味方への引き込み交渉の功労者でもあった。

 しかし、史実同様にリスト元帥のナチ嫌いは有名であり、ヒトラーの前でもそれを隠そうとしなかった。

 そして、それが煙たがられていた上に、それが引き金になって今年(42年)7月に左遷され後方に下げられたという話が広がっていたのだが……

 

「よろしいので?」


 高官の一人がそうヒトラーに聞くと、


「静養の効果があり、体調が無事回復してるようでな。医師からの許可も出てるし、本人も復帰を望んでいるので丁度良いだろう」


「はっ?」


「ん?」


 しばしの沈黙……するとヒトラーは何かを悟ったように、

 

「ああ。例の噂か……リスト元帥を私の命令で後方に下げたのは事実だ。フランスからの激務が祟ったのか、定期健康診断であまり芳しくない数字が出ていたのでな」


「はい……?」




 考えても見て欲しいのだが、シカゴ学派疑惑がある合理主義者のこの男ヒトラーが、たかが・・・公然と”ナチを批判した程度”で有能な将軍を左遷やら罷免やらするわきゃない。

 というより、ヒトラー自信もナチ党やらナチズムを「便利な政治の道具」としてしか思っておらず、好き嫌いなど最初から考慮の対象外だ。

 むしろ最近はその先鋭化した思想がそろそろ邪魔になってきたから、スラブ人に関するあれこれ等当初あったはずの文言を削除し、ハイドリヒやNSRとつるんで弱毒化に勤しんでるほどだ。

 いや、もはや一部を除いて大分、形骸化できたと考えて良い。

 

 余談だが、ヒトラーがナチズム原理主義者じみた……ドイツに”政治亡命”してきたミットフォード男爵家の三女と四女に距離を置き、世話役のリッペンドロップに丸投げしてるのだ。

 リッペンドロップ本人としては、爵位は低いが英国王室と所縁のある姉妹(家系)と繋がりを持てて、虚栄心と自尊心を大いに満足させているようだが……まあ、適材適所というところだろう。

 

「夏から強制的に入院・静養させていたのだが、まさか”元帥が体調悪化で後方送り”とは言えまい? 士気に関わる」


 逆に噂話も、事実を誤魔化すためには役に立つのでさして実害がないことも相まって、ヒトラーは放置していたのだ。

 

「NSR管轄の第1コサック騎兵団(パンヴィッツ将軍麾下のコサック混成軍)やドン・コサック騎兵団(クラスノフなどの白系ドン・コサック軍)は、流石にウクライナ・ベラルーシなどの主要地域の治安活動から外せないが……そろそろクバーニ・コサックを中心に第2コサック騎兵団を編成する頃合いかもしれんな」

 

 ヒトラーは少し逡巡してから、

 

「43年は、防戦の機会が増えるだろう。そのための下準備は怠るべきではない」


















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