第290話 日ノ本の、戦う空に”誉”あれ




 さて、技術者にも勝負時という物がある。

 例えばそう、史実ではかつて国家の命運を担った、少なくともそう期待された航空機用レシプロエンジンがあった。

 その名は、

 

 《b》”誉”《/b》

 

 開発コード:NK9。別名”ハ45”。

 空冷星形18気筒エンジンで2000馬力級とされているが、実際には1800馬力級であった。

 ただし、この言い方は公平ではない。

 実際、”誉”が2000馬力に届かなかったのはスパークプラグや電線を始めた電装系や不純物が多くオクタン価の低い燃料、潤滑油などの品質の悪さが原因とされており、史実の大日本帝国の状況を如実に物語っていた。

 実際、戦後にアメリカが電装系を一新して、質の良い潤滑油とハイオク燃料を使いテストしたところ、実際に2000馬力以上の出力を発揮し、高度6,000mで687km/hの速度を発揮したという記録が残っている。

 

 むしろ、”誉”の弱点は「小型軽量コンパクトでありながら高出力」を求め過ぎた結果、あまりにも”繊細な設計”になってしまった点にあるように思われる。

 当時、エンジンの直径を極端に小さくし空気抵抗を減らすことが速度上昇のカギとされていた。

 だが、実際には元々直径が大きい空冷エンジンはプロペラ後流の性質と相まって、直径が大きくなってもさほど「飛行機全体の空気抵抗」には影響がないことが戦後の研究でわかったのだ。

 むしろ、空冷とは読んで字のごとく”空気でエンジンを冷やす”のでエンジンへの空気抵抗が小さくなるということは、当然、冷却効率の低下を意味する。

 だが、”誉”は設計を突き詰め過ぎて信頼性設計や冗長性設計を行う余地がなく、全体的に高度な製造技術を要する余裕のない設計になっていた。

 また、生産効率や品質管理の考えも不十分だったと言える。

 結論から言えば、

 

 ”エアレーサーのエンジンとしてなら良いのだが、軍用の大量生産品としては……”

 

 というエンジンになってしまった。また出力特性がややピーキーだったという証言もある。

 そして、そのツケ・・は戦況の悪化による熟練工の徴兵や爆撃による生産拠点の喪失などでの工員や製造設備の不足、また使用できる素材の品質低下などが重なり”不良品”が大量発生するという形で支払われる事になった。

 実際、戦争末期になればなるほど、出力も稼働率も凄まじい勢いで低下していいくことになる。

 

 他にも空間的余裕が物理的になかったためにエンジン熱で電線被膜が溶けて絶縁不良を起こして故障するなんてことも珍しくなかったらしい。

 

 


***




 とまあ、ここまでは史実の”誉”の話。

 そして、この世界の中島飛行機エンジン開発部、特に自ら陣頭指揮をとった”中島 和久平”も主任開発者の”中川 正一”もその辺のことを弁えていた。

 まず、彼らは「空気抵抗を一度棚上げし、2000馬力級エンジンに必要な直径、その最適解」を求めた。

 結果として導き出されたのが、”直径50インチ(1270㎜)”、オリジナルの”誉”と比べて直径が9㎝ほども大きく、同級のエンジンである米R-2800”ダブルワスプに比べて7㎝、BMW801より2㎝ほど直径の小さいエンジンとされた。

 その分、排気量も増えて史実の35.8l→39.38lに拡大されている。

 

 また、史実の大日本帝国より皇国の工業水準は上であり、例えば厚さ1㎜・間隔3㎜つまりピッチ4㎜)、高さ70㎜のアルミ合金製放熱フィンがブルノ―方式鋳造で大量生産できたということからもそれが伺える。

 しかも、それだけではエンジン冷却に足らぬとBMW801のようにエンジン本体とオイルクーラー用の強制冷却シロッコファンが装着が最初から前提とされていた。

 また軸受けは裏金付きのケルメット合金であり、また直径制限によるトレードオフもなかったためにクランクピンも一部に油冷機構を持つ強度十分な太い物が採用されることとなった。

 

 さて、燃料供給装置であるがマルチポイントインジェクション方式(1気筒それぞれに燃料噴射装置が付くタイプ)を採用した金星60番台に比べ、”誉”は前後の9気筒ずつに1基の燃料噴射装置を備えたシングルポイントインジェクション方式、”中島式低圧燃料噴射方式”(シリンダー内への直接噴射ではなく、キャブレターを負圧式からダイヤフラムポンプを使わない低圧燃料噴射式のフロートレス気化器を採用した型)となっており、開発時期から考えれば技術的退行を起こしたと思われるかもしれない。

 だが、これにはいくつかの理由がある。

 一つはシングルポイントインジェクション方式としたことで既に完成の領域にあった中島のキャブレター技術の延長線上にあるシステムで、マルチポイントインジェクション方式より安く早く生産でき、既存の技術を使うため安定性と信頼性が高いというメリットがあった。

 加えて、どうも転生者混入の疑いが強い中島の技術陣は、BMW801が歯車とリレーで構築した”コマンドゲレート”を”パラメトロン型エンジン集中統制装置”で再現しようとしたのだ。

 コマンドゲレートとは、燃料の流量、プロペラピッチ、過給機のセッティング、空燃比や点火時期などをスロットルレバーの操作で自動調節しようという先進的なシステムで、このパラメトロン型エンジン集中統制装置と組み合わせるのに、演算負荷(必要パラメータ)が少ないシングルポイントインジェクション方式の方が都合が良いという側面があった。

 

 過給機はマーリンエンジンのライセンス生産で技術・生産が確立されたオーソドックスな2段スーパーチャージャーであり、これを高高度対応も視野に入れ3速化して採用。加えて、サーモスタット制御の水-メタノール噴射式冷却措置付きインタークーラーが組み合わされる。

 また、振動によるエンジン・機体の金属疲労を軽減する為の二次振動抑制装置の”ダイナミック・バランサー”も標準搭載だ。

 

 他にも史実の”誉”で構造的急所や弱点とされていたコンロッド軸受、ピストンリング、バルブカム、バルブスプリングなどの部分が修正されていた。

 もっともこれらの部品の問題は、技術力や加工精度云々以前の問題で、銅やら何やらの使用材料制限に起因する物が多い。そういう意味では、よほど希少金属でない限り、一般的な素材なら特に使用制限のない日本皇国では、問題の半分以上は最初から解決されているような物だった。

 これに加えて、発電機、プラグ、電線類などの電装品関係は電気・電子分野の先進国である英国準拠、また樺太油田などの小規模ながらも産油国の誇りと威信にかけて100オクタンのハイオク航空ガソリンと、鉱物(ナフテン)系の高品質な潤滑油を使う事を前提に設計され、実際にそうなるように生産体制が組まれている。

 

 また、余裕のある設計は容積に比例した重量増大を招いたが、逆に配線の取り回しやオイルポンプの配管の無理を無くし、またオリジナルよりも大容量の空冷式オイルクーラーの採用などにも繋がっている。

 他にもオリジナルと同じクロームモリブデン鋼製のクランクケースとクランクシャフト、耐熱性に優れた金属ナトリウム封入の中空バルブ採用など、

 

 『史実の”誉”の短所を丁寧に潰し、長所を伸ばす』

 

 やり方、あるいは設計方針により、離陸出力2200馬力、水-メタノール噴射で高度8,000mで2480馬力を発生する傑作エンジンが誕生したのだ。

 細かく言えば、推力ロケット式排気管は、ステンレス鋼素材に変更されていたりと、細かい改良にも余念がない。

 結果としてこのスペックは単純出力だけ見ても、結局試作のみで量産されなかった”誉四二型”や”誉”の後継として開発されていた幻のエンジン”三菱ハ43-Ⅱ”にほぼ匹敵する。

 

 


***




 実を言うと、ブースト圧などを上げてエンジンの極限状態を引き出そうと思えば、ベンチテストの状態で今生の”誉”は2400馬力を記録したらしい。

 だが、その状態では各部の負荷が大きく、信頼性や耐久性、安定性を保つために2200馬力に抑えたというデチューンした経緯がある。

 また、ピークパワーを下げた出力特性としたら、結果としてパワーバンドが広くなった副次効果もあったようだ。

 

 その繋がりで、”誉”の隠れた長所を一つ上げていこう。

 実はこの時代の航空機用レシプロエンジンが、半ば「使い捨て」だったのを皆さんはご存知だろうか?

 

 この時期のジェットエンジンの耐久性が低く、長くて稼働時間は40~50時間、短ければ15時間以下でしかなかったというのは割と有名な話だと思う。

 しかし、レシプロエンジンも現代のジェットエンジンと比べると長いとは言えなかった。

 

 液冷エンジンの例で恐縮だが、皇国でもお馴染みのマーリンエンジンの平均稼働時間は300時間前後、米国のV1710系のアリソンエンジンに至ってはその150時間程度でしかなかったという記録が残っている。

 

 というのもそれだけエンジンの極限性能を引き出そうとした結果、現代の車で例えるならレッドゾーンのオーバーレブでずっとエンジンを回してる感覚に近い。そうなってしまえば過負荷でエンジンにガタが早く来るのも当然……そういうセッティングが主流だった。

 

 対して今生の”誉”は、あえて-200馬力の余力を持たせるデチューンすることで、最高出力ピークパワーより安全性、信頼性、耐久性を取ったのだ。

 実はこれ、「戦後の日本車が壊れにくかった理由」と同じだったりする。

 おかげで”誉”の耐久稼働時間は500時間を軽く超え、一説には1000時間に到達しているらしい。


 そして、中島和久平は試作”誉”が”48時間連続運転試験”を無事クリアした時にニヤリと笑い、


「このエンジンの成功は約束された」


 と腕を組んで呟いたらしい。

 

 

 

***




 まだ、先の話になるが……この初期型の”誉”でさえ十分な成功とされ、空軍、海軍の多くの航空機に搭載されることになるが、やがてジェットエンジンに開発リソースを集中させる為にエンジンを含むレシプロ航空機部門を三菱が各社に売却したことにより、”誉”は更なる発展をみせ、『皇国最後の空冷星形航空機用レシプロエンジン』として有終の美を飾るスペックを叩きだすことになるのだった。

 

 


誉一一型(ハ45-11)

 ・空冷星形18気筒エンジン

 ・排気量:39.38l

 ・過給機:2段3速式スーパーチャージャー+水-メタノール噴射装置付きインタークーラー

 ・燃料系:中島式低圧燃料噴射方式(シングルポイント・インジェクション方式)

 ・制御系:パラメトロン型エンジン集中統制演算処理装置

 ・出力:2200馬力(離陸)、2480馬力(水-メタノール噴射装置使用時。高度8,000m。使用制限時間30分)

 ・直径:1270㎜

 ・全長:1850㎜

 ・乾燥重量:960kg

 ・


 史実の”誉”より一回り大きく重く、同格のR-2800より一回り小さく軽い。

 この時代、世界最高峰の星形18気筒エンジンかどうかは議論の余地があるが、トップクラスのエンジンであることは間違いない。

 存外、この”誉”の開発と大量生産の成否こそが、存外に日本皇国と大日本帝国の分岐点の一つなのかもしれない……

 

 また、史実の”誉”と比べて特筆すべきは高高度対応能力の高さで、エンジン統制装置と3速化された2段式スーパーチャージャーの恩恵もあり、水-メタノール噴射装置を使わない状態でも高度11,000m付近で1500馬力近くを発生しており、この時代の空冷星形エンジンの中では高高度の希薄な大気の中での馬力低下が最も少ない部類であり、大きな出力低下はあるが通常の100オクタン燃料でも高度15,000mまで動作確認が取れていたのだ。

 

 ある意味、高高度に泣かされた大日本帝国の怨念やアンチテーゼが詰まったようなエンジンと言えるかもしれない。

 

 















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