第285話 ソチ陥落! いや、陥落と言ってよいのかコレ? 余計に話がややこしくなってるんだが……どうしよ?
さて、1942年12月初旬、遂にソ連黒海沿岸の最後の要所、古くから保養地としても知られるソチが陥落する。
いや、この言い方は少し語弊がある。
ドイツ軍の先遣隊が向かった時、ソチ側の代表者が会談に応じ、そして……
「条件を飲んでいただければ、ソチを無血開城いたします」
「……その条件とは?」
「我々、”
「はっ……?」
***
南方軍集団司令官、ボック元帥は困り果てていた。いや、むしろ途方にくれていた。
なんと、自分達が攻め込もうとしていたソチは、既に”クーデター軍”により占拠されていたのだから、無理もない。
内容を聞いた時、その鮮やかさと電光石火っぷりはボックも驚いたほどだ。
事の発端は、ドイツが積極的に世界中に流布していた「サンクトペテルブルグでの信仰の復活(=ミントブルー宣言)」が瞬く間にソ連国内の正教徒、特に共産主義やソ連という体制を良しとしない
史実でもそうだが、ロシアの正教徒は実にしぶとく粘り強く、実は政治局員や共産党員、赤軍の中にも「隠れ信徒」は大勢いたのだ。
そして、そのカタコンペ・ネットワークを通じて計画が練られた。
ソ連西部の暫定国境の近くなら”信仰の自由を求める同志”が手引きして確保した集落に集まり、まとまってドイツ軍が守る野営地に白旗を掲げて近づけばよい。
どうやら、そういった事態の対策マニュアルはドイツ側ではできているようで、必ずしも丁重に扱われるとは言わないが、少なくとも無碍に扱われることはなかった。史実との大きな違いである。
だが、この方法には欠点があった。
いくら最近、蓄積されたダメージで監視の目が緩みがちとはいえ、共産主義者の警戒網をくぐり抜けてドイツ人と接触できる人数が、大体一つの村の人数……一度に数十人、多くても数百がカモフラージュで誤魔化せる限界だった。
だが、集団が大きくなり過ぎ、その手口が使えない”信仰の自由を求めるロシア人集団”が出来上がってしまう事態が発生した。
多いと言ってもたかが数十万、赤軍の正規部隊に囲まれたたらひとたまりもない。
スターリンが、どれほどの人数を虐殺してきたかを、彼らは目の前で見てきたのだ。
そこで彼らは一計を案じた。
ソチの防衛隊の中にも”信仰の自由を求める同志”は居た。
それも複数、中にはそれなりの高官も居たのだ。
そこで彼らは”偽の命令書”……”援軍の到着”と”国内の戦争難民の受け入れと兵力化によるソチ防衛計画”をでっち上げたのだ。
このプランの成功の為、条件が揃っていたことも追い風になった。
まず、クレムリン炎上から始まった政府機能のマヒがまだ完全復旧には至らず、またいくら想定内だったとしても立て続けに、そしてあまりに早いペースでロストフ・ナ・ドヌー、クラスノダール、ノヴォロシスクという大規模拠点が陥落したためにその対応に忙殺されていたこと。
その為、ソチの防衛隊が中央との連絡が途絶えがちで、そうであるが故に偽の命令書に対する十分な精査や確認ができなかったのだ。
更に人間というのは、危機的状況には「希望的観測にすがりたい」という願望がある。
ただでさえ、ヴォルガ川戦線に兵力を集中させるために増援が回ってこず、迫りくるドイツ軍に対して何もかも足りてなかったソチ防衛隊は、その増援を告げる偽命令書の内容に縋ってしまったのだ。
これは仕方のない部分はある。
増援を送って来ないにも関わらず、ソチには「死守命令」が出ていた。
つまり、”ドイツ軍の侵攻を遅延させる為の捨て駒”にされていたのだ。
当然、ソチ防衛隊司令部は援軍要請を行った。「今の兵力では死守も無理」だと。
本来、それは軍上層部から「無視された嘆願」だった。
だが、その返答として届いたのが、この件の偽命令書だったという訳である。
また、国内難民を”臨時の肉壁として使え”という内容もまた、ソ連の現状をよく示しており、リアリティの構築に一役買っていた。
***
そして、”信仰の自由を求める集団”は何食わぬ顔でソチへと入り、そしてドイツ人の接近に伴いクーデターを起こして奇襲でソチ防衛隊を制圧。
その次に、聖職者達が市民に
「ドイツに降伏し、信仰の自由が認められたサンクトペテルブルグへ向かおう」
と市民を説得(扇動)したのだ。
同調する市民には歓迎を、受け入れない市民はソチからの退去を、そして反抗する者は……強制的に反抗できない状況にした。生死を問わずに。
結果として生まれたのが、31万人の亡命希望者という訳である。
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「このような事情がありまして、是非ともフォン・クルス総督閣下には受け入れて頂きたく」
と平身低頭するドイツ南方軍集団の参謀長、モーデル大将。
ああ、フォン・クルスだ。
何やら、ハイドリヒの野郎が「緊急の案件がある」ってんで面会してみたら、同行していた……というかメインゲストだったのが、南方軍集団の参謀長だった件について。無論、初対面だ。
いや、ホントに何事よって感じだからな?
まあ、話を聞いてみれば簡単で、サンクトペテルブルグの評判を聞きつけたロシア人が
(それも理由が”信仰の自由”を求めてって……)
「ハイドリヒ長官、別にドイツ本国で信仰の自由がないわけではないないですよね?」
第三者がいるから丁寧に、外向けの言い回しで「サンクトペテルブルグでなくともドイツ本国が受皿でいいんじゃね?」と言ってみる。
いや、それ以前に「サンクトペテルブルグへの
亡命するのはドイツであって、サンクトペテルブルグはドイツに亡命した後の移住先じゃねーの?
いや、ただ単に端折っただけかもしれんし、ツッコむのも野暮ってもんか。
「お忘れのようですが総督閣下、我が国での社会統治システムは”
ああ、大っぴらに信仰の自由は言えないってことね。
さもありなん。
ドイツは”表向き”、ユダヤ人の排除・排斥・弾圧を行ってる事になってるから。
ユダヤ人嫌いの国内世論と、まあ色々な意味を込めた対外政策両方の意味で、その”表向き”は重要だ。
少なくとも、戦後まで隠し通さなければせっかくの”仕込み”が無駄になる。
ちなみにユダヤ人の定義の一つは、特定の民族や血筋を物理的にさすものでは本質的には無く、「ユダヤ教を信じる人々」ってことになる。
つまり、ドイツ(アーリア人)系ユダヤ人ってのは普通に居る。
そういう意味では、信仰の自由は信教の自由と混同されそうだから、それを表立っては言えない。
まあ、厳密に言えば
信仰の自由ってのは、「神を信仰する自由」であり、それに付随する宗教上の祝典、儀式、行事その他の布教などを任意に行うことができる自由だ。
つまり、信仰を捧げる神を”
対して信教の自由は、「信奉する神仏を自由に選べる権利」だ。
ぶっちゃけ、信じる神は何でもいい。悪魔だろうと邪神だろうと、なんならスターリンをご神体にしてもいい。
んで、前世の戦後日本国が憲法で認めていたのは”信教の自由”だ。
だから、何処とは言わんが怪しげな新興宗教は
だが、今生の日本皇国は実質的に、そしてサンクトペテルブルグ(ドイツ)は、信教の自由までは
正直言えば、ドイツが別に正教を弾圧してないからこそ、俺は堂々と「信仰の自由」を標榜できるってわけだ。
はっきり言えば、どんな肩書が付こうが俺は宮仕えの役人だ。ついでに俗物でもある。
だから、住んでる場所の法を捻じ曲げてまで何かを主張するようなリスキーな真似はしない。
そもそも役人が率先して法の順守を破ってどーするって話さ。
”悪法でも法は法”って言葉もあるが、法ってのはまんまその地の規範であり秩序その物だ。本質的には気楽に破っていいようなものじゃない。
もっとも法ってのは、”社会をスムーズに動かすための潤滑油”って側面もあるから、厳密・厳格ばかりでなく時には杓子定規なだけでなく柔軟性や弾性に富んだ運用と適用が求められるのも難しいところだ。
ただし、潤滑油として考えた場合、主観だがオイル硬めなのが日独で、柔らかすぎて恣意的に運用されてるのが米ソだと思う。
まあ、タタール的ルーシがお大事な連中にとっては、「ルールは力のある者の都合によって作られ、都合によって無効とされる」のが当たり前なので、法に対する考え方が違うんだがな。結局、ソ連……いや、ロシアって土地は支配者と被支配民って構図が一番安定するらしい。
まあ、民族性の違いはさておくとして、
「受け入れること自体は吝かじゃないんだが……ちょっと心配事はあるが」
いや、別に嫌って訳でも駄目って訳でもないんだが……というか、軍にとって俺の立ち位置とか認識とかどうなってんだ?
「なんでしょう?」
「ハイドリヒ長官、まず”受け入れて問題ないか”の思想チェックはNSRとかがやってくれるんだろ?」
要するに不穏分子が紛れてないかの炙り出しだ。
「無論」
そこは問題ないとしても、
「モーデル大将、その希望者達は”宗派の違い”をわかっていると思うか?」
「宗派の違い? というと?」
あー、もしかしてモーデルもわかってないのか?
「サンクトペテルブルグの正教は、あくまで独立教会の”サンクトペテルブルグ正教”であって、ロシア正教
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