第282話 勧誘 ~アオスタ公と”リベリツォーネ・イタリアーノ”~




「お初にお目にかかりますな、アオスタ公爵殿下。男爵の身分で謁見とは我ながら僭越だとは思いますが」


「良い。今の私は虜囚であることは誰よりも心得ている。それより、治療にまずは感謝を」


 ”アルヴァトーレ・ディ・サヴォイア=アオスタ”は正直、戸惑っていた。

 1931年に父が亡くなり、公爵位を継いで、40年にイタリア領東アフリカ帝国の副王という地位に召し上げられたと思ったら翌年には英国人に蹂躙され、そのままタンガニーカ(タンザニア)の捕虜収容所に放り込まれた。

 

 かと思ったら今年、今度はリビアを征服したらしい日本人に引き渡され、引き渡されるなり軍病院に担ぎ込まれ……どうやら、自分はマラリアに罹患していたらしいことが判明した。

 道理で最近、体調がすぐれなかったはずだ。

 

 そして、集中治療室に搬送され、完治するまでの長期入院と相成った。

 やけにイタリア語に堪能な医師によれば、割と危険な状態だったらしい。

 そして、お墨付きが出たと思ったら、今度は爵位を持つ日本外交官と対面というよくわからない状況になっていた。

 

「殿下、まずは現状をお知らせします。驚かずにお聞きください」

 

 そう切り出された内容は、アオスタ公にとり信じ難い内容だったのだ。

 

 


***

 

 


「な、なんということをっ!? 命をかけて戦った将兵をなんと心得るっ!!」


 イタリアの捕虜に対する扱い、引き取り拒否を知ったアオスタ公は実にイタリア男らしい直情径行の激昂をみせた。

 このアオスタ公、史実では志願年齢に達してない16歳の時に、イタリア王に頼み込んで第一次世界大戦に参戦するという”熱い漢”なのだ。

 一兵卒とはいかないが、御曹司(公爵家嫡男)としては異例に低い伍長という下士官の最下層から軍隊生活をはじめ、終戦時にはその成果から中尉に昇進していたという武勇伝を持つ。

 実際、父親の死去で爵位を継ぐまでは、砲兵連隊の連隊長を務めていたくらいだ。

 

 次期公爵の身でありながら下士官として入隊し、終戦まで戦い抜いたアオスタ公は、なるほど確かに血縁がある王子と国民人気を二分するというのも頷ける。

 そして彼は、貴族としては例外的に長い軍隊生活、それも若くして前線に立った身であればこそ、”戦友”という物の意味をよく理解していた。

 同じ死線を潜り抜けた者同士の結びつきは強い。

 例えば、兵士は戦地に辿り着く前は「国の為」「家族のため」「恋人の為」というような戦う理由をあげるが、戦地に着き実戦を経験すると

 

 『戦友の為に戦う』

 

 という意見が多数を占めるようになるという。

 それが戦場心理であり、”連帯”という物だった。

 

「捕虜たちには、既にこの事実を伝えました。今は殿下同様に憤慨しておりますが……我々が心配しているのは、怒りはいつまでも続かないことを知っているからです。人間は移り気なもので、熱はいつか冷めます。その時、考えられるのは本国に戻れぬ諦観による絶望、あるいは自暴自棄です。暴動を起こされたら我々は、力をもって鎮圧するしかなくなる」


「それも道理だな……では、君はそれを私に伝え、何をさせたい?」


「まず、殿下にはイタリア人捕虜たちの精神的支柱になっていただきたい。国民人気のある殿下なら可能だと我々は考えています」


「それは了承しよう、敗残の将である私にそこまでのカリスマがあるかはわからぬが、できるだけはやってみよう。だが、それだけではないのだろう?」


「話が早くて助かります」


 ”ニチャア”


 幣原特使は往年の”肉食獣の笑み”を浮かべ、

 

「殿下には、可能ならばイタリア人捕虜を率いて”イタリア解放軍Liberazione Italiano(仮称)”を組織し、その頭目に座って頂きたいのです」




***




「男爵、君はイタリア人同士で殺しあえと言うのかね?」


 しかし、幣原はしれっと


「いいえ。自衛くらいはやっていただきたいですが、積極的に戦っていただかなくても結構」


Che Cosaなんだって?」


「殿下、これは貴方に義勇軍を率いてもらうというお頼みではなく、”イタリア本土への捕虜の帰還事業・・・・・・・”のリーダーを務めて欲しいというご依頼なのですよ」


「……男爵、どういう意味かね? 詳しく話したまえ」


 幣原は一呼吸置くと、

 

「まず、前提として来年、具体的な時期はまだ未定ですがイタリア本土攻略戦を予定しております」


 『貴殿の故国を落とす』という割と傍若無人の発言だが、アオスタ公は特に気にした様子はない。

 良くも悪くも、この公爵もまた戦乱絶えた試しなしの欧州の貴族という事なのだろう。

 

「そして、我々が抱え込んでいる数十万人のイタリア軍捕虜……これを何時までも維持できるわけではありません。できれば一刻も早く帰国して頂きたい」


「それも当然だな。確かに地方都市の人口に匹敵する捕虜を養うのは、気安い話ではない」


 実際に数十万のイタリア軍の捕虜を抱えたままイタリア人とイタリア本土で戦争とか、皇国に限らずできればどの国でも避けたい事態ではある。


「ですが、イタリア本国、”ムッソリーニ政権”が捕虜の受け入れを拒否している以上、強硬手段もむをえません。しかし殿下、行軍に捕虜を同行させるなど如何にも外聞が悪いとは思いませんか?」


「なるほど……それで私を含めたイタリア軍捕虜に”義勇軍”の体裁を取らせるわけか。しかも、我々は”切り捨てられた捕虜”という立場がもある。確かに『裏切りの為政者ムッソリーニより祖国を解放する』という大義名分も成り立つか……」


 アオスタ公の言葉に幣原は頷き、

 

「なので、便宜上とりあえず”イタリア解放軍(リベリツォーネ・イタリアーノ)”とさせていただきますが、解放軍は皇国軍われわれの後方に就き、制圧した地区に進駐し、治安維持を担って頂きたい。要所要所には皇国軍の部隊をおきますが、こう言っては何ですが戦略的価値の低い場所への人員配置を行わないだけでも、我々としては助かるのですよ。貴国兵士が使っていた武器も自衛の範疇を超えない軽装備に関してはお返ししますし、移動手段、食料、野営資材などは提供いたしましょう」


 どうやら、アオスタ公は伊達や酔狂で軍人貴族はやっていないようで、


「となると、部隊編成は”郷土部隊方式”の方が良いだろうな。南部から開放するのだろう?」


 と、少し話に前のめりになってくる。

 郷土部隊とは、同じ地域から志願あるいは徴兵された兵士をまとめ、可能なら同じ地域出身の将校に指揮させる編成のやり方だ。

 連帯感を持たせやすいというメリットはあるが、部隊ごとの戦力の均質化という意味ではデメリットがあり、特に志願兵が中心の皇国軍では地域ごとの人口の格差や、あるいは地域ごとの軍志願者の数(実際、仕事が多い都市部よりも仕事が少ない地方の方が人口当たりの志願者は多くなる傾向がある)の格差があり崩壊してしまった制度でもある。

 

「流石に作戦を明言できる立場では無いのですが、おそらくは」


 幣原の返答は、「郷土部隊方式の編成」が可能であることも、「南から攻め上がる」ことの肯定も兼ねていた。


「結構。なら、その申し出を受けよう。確かにそろそろムッソリーニ殿には退陣していただいた方が良い頃合いだ。イタリアは方々に恨みを買いすぎた。これでは”未回収のイタリア”どころの騒ぎではないだろう」


「ご納得いただき幸いです」










 しかしこの後、ギリシャ・アルバニアでのイタリア軍捕虜まで合流し、総勢50万人近い”軍勢”……副王時代より数倍は多い配下を持つことになった”アオスタ公爵司令官”は、その規模の大きさとイタリアの負けっぷりに卒倒しかけたという。

 

 凡そ50万人の軽装歩兵軍団というのは、おそらく軽装部隊としては史上最大規模であり、おそらくこの先も破られることはないだろう。

 無論、陸軍人だけでなく少数ながら海も空もいたし、当然、従軍拒否者も出たので、最終的には30万人を少し超える程度の軍勢に落ち着いたのだが……それでも、多い事には変わりなかった。














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