第279話 豹戦車の生誕と虎戦車の胎動
1942年秋、史実の数ヶ月遅れでクラスノダールはドイツ南方軍集団の手により陥落した。
遅れたが、むしろそれは万全の準備ができたという意味において、ドイツ側に有利に働いたようだ。
史実以上にレニングラードから始まる大ダメージを受けたソ連の戦略方針転換、”ヴォルガ川祖国大防衛線”の構築により、大規模な戦力がヴォルガ川流域へ移動したために大きな波乱なくクラスノダールは落ちたのだった。
ソ連にとってはモスクワ以西は「ドイツが攻め疲れた後の逆襲で、いずれ取り戻せばよい」土地という風に考え直したようだ。
奇妙な史実との符号の一致である。
とはいえ、戦況は史実と大きく乖離している為、この流れは必ずしもソ連の大逆転を保証するものではない。
ただ、ドイツも人的資源以外は余力があるとはいえ、史実より早く本格稼働を始めたペルシャ湾→カスピ海→ヴォルガ川のルートと距離は長いが相変わらず健在な太平洋ルートで運び込まれる潤沢な米国レンドリース品がある以上、油断はできないだろう。
そして、激動の1942年も残すところ2ヵ月を切ったこの日、ベルリンの郊外にある車両試験場に1両の戦車が姿を表していた。
「ようやく完成体と呼べるものが出来上がったか……」
少し感慨深げに見学に来たヒトラーが呟けば、
「ええ。ようやく、ようやくIV号戦車の後継に相応しい戦車が完成しました」
V号戦車”パンター”
主砲:KWK42/75mm70口径長砲(1軸ガンスタビライザー搭載、強化型砲塔駆動装置)
副武装:MG42/7.92㎜機銃(主砲同軸)、MG42/7.92㎜機銃(砲塔上面)、Sマイン/発煙弾投射可能近接防御火器(砲塔内蔵式)
装甲:ザウコップ式防盾150㎜、砲塔正面120㎜(傾斜装甲)、砲塔側面/後面60㎜(傾斜装甲)、車体正面80㎜(傾斜)
エンジン:マイバッハHL230P45/水冷V型12気筒ガソリンエンジン(700馬力、自動消火装置搭載)
操向・変速機:ヘンシェルL600C/”OLVAR”OG40-12-16(改良型メリットブラウン方式。セミオートマチック前進8速/、2通り旋回半径、超信地旋回可能)
照準器;ステレオ式測距器+SZF1/2軸ジャイロ安定式照準器
サスペンション:ダブルトーションバー
履帯幅:660㎜
重量:47t(戦闘重量)
最高速度:55㎞/h
特記装備:軽量均質圧延鋼装甲板、全溶接シュマールトゥルム型砲塔、潜望鏡式車長用パノラマミックサイト、全車無線機標準搭載、車内用消火装置、車体側面シュルツェンの標準搭載、渡河用シュノーケルキット対応など
そう、数々の試験と改良、機械的な熟成を経て次世代の……おそらくは、終戦まで活躍し続けるだろう”鋼鉄の猛獣”が完成したのだ。
さて、もうお気づきの方もいるだろう。
まず、エンジンとトランスミッション関係は、統合されたVI号戦車向けに開発された物を移植した。
そして、砲塔や車体だが……明らかにその形状は史実のV号戦車の最終型”パンターF型”だ。
そう、あの結局量産されなかった仇花、F型だ。あるいはその後継であるE-50の方が近いだろうか?
IV号戦車の改良で時間を稼ぎ、V号戦車とVI号戦車の開発計画を統合し開発が先行していたVI号戦車のエンジンと駆動系を移植、リソースを集中させることで開発期間の短縮に成功した。
総重量は、この世界線では生産されなかった”ティーガーI”より10tも軽いのだ。
ティーガーIの駆動系に起因する故障の多くの原因は、その重量による過大な負荷だったとされる。そんな中で10t、2割も軽いというのは決して無視できる数字ではない。
そして、なんとこの史実のF型準拠のV号コンセプトデザインを行ったのは、ヒトラー総統閣下自身だ。
いや、史実でも数々の戦車開発に口を挟んで混乱させたのは割と有名な話だが、今生ではまったく話が違う。
何度が触れたかも知れないが、そもそもこの世界線のヒトラーは戦車兵、砲手としての実績があった。
元々は砲兵として第一次世界大戦に参戦していたヒトラーだが、ドイツでも大戦末期に戦車が開発された時、その腕前から砲手として抜擢された。
世界最初の戦車vs戦車戦において、英国のマークAホイペット中戦車を撃破せしめた、「ドイツで最初に戦車で戦車を撃破した一人」として、その界隈では知る人ぞ知るのがヒトラーだった。
実はヒトラーが、史実以上にスムーズに”総統閣下”になれた理由の一つは、それなりの知名度、特に軍部にあったためとされる。
更に言えば、それがヒトラーが戦車開発に口出ししても、陸軍が特に不快に感じない根本的な部分でもあった。
例えば、機甲総監のグデーリアンにとって、ヒトラーは大先輩であり、普段は決して口に出さないが「戦車乗りの英雄」だと思っていた。
そして、ヒトラーが戦車開発に口出ししたのは、当然今回が初めてではない。
そもそも、この世界線においてⅢ号戦車とIV号戦車に最初から長砲身戦車砲を載せられるよう発展的余裕を持たせた設計にするよう指示したのはヒトラー自身だ。
当時はまだ、ノウハウ習得も兼ねてドイツが対装甲用の長砲身砲開発に難儀していた時期(だから初期のIV号戦車には短砲身が搭載されていた)であるにも関わらず、長砲身搭載の指示を出していたのだ。
ついでに言えば、野砲た対戦車自走砲などの対戦車用の長砲身砲を可能な限り設計を共通させ、共通の砲弾を使えるように指示したのもヒトラーだった。
当然である。転生者でもあるヒトラーは、T-34戦車の登場を確実視しており、”T-34ショック”を未然に防ぐ為にあらゆる手を打つことに躊躇しなかった。
正直、史実では煽りではなく紙装甲の戦車しか作ってなかった日本が、「史実の初期型T-34より重装甲の戦車」を持ち出してくるのは完全に予想外だったが、それすらも「(T-34対策の経験を積む)良い機会」だと割り切り、バルバロッサ作戦発動前の北アフリカ戦線にイタリア支援の名目で戦車兵たちを送り続けた。
同時に長砲身砲搭載のIV号戦車の開発を急がせ、史実と異なり「初期型のT-34より僅かに勝る防御力とアウトレンジで撃破できる火力」を持つIV号戦車の大量配備を間に合わせた。
この実績が陸軍人、特に戦車にまつわる人間たちの信頼を超えた信奉を生んだのだ。
つまり、「やはり総統閣下は、戦車戦の神様だ」と。
本当に余談だが、総統閣下も今回のテスト参加の服装は、年季の入った私物のパンツァーヤッケ(パンツァージャケット=戦車搭乗員服)だ。
実際、ドイツの再軍備の頃に仕立てたもので、これを着て自ら戦車を操縦してテストしたこともあったせいか、中々に様になっている。
滲み出る第一次世界大戦を生き抜いた古強者、古参戦車兵の貫禄……もしかしたら、こういう部分も人気の秘密なのかもしれない。
だから、V号戦車とVI号戦車の開発計画統合も大きな不満も混乱もなかったし、計画自体もスムーズに行った。
何しろ「作るべき戦車」をこれ以上ないほど正確に明確に総統閣下は示したのだ!
***
もっともヒトラー本人にしてみれば、長砲身IV号戦車は所詮、「対処療法的な間に合わせの戦車」であり、本命であるV号戦車までの時間稼ぎが出来れば良いとさえ考えていた。
しかし、結果は知っての通り、ヒトラーの予想を上回る大善戦、負けなし全戦全勝だ。
これがいつまでも続くとは考えるほどおめでたい頭をヒトラーはしてなかったが、少しは余裕が出来たと安堵したのは事実だ。
だからこそ、史実では出来なかったV号戦車F型を前倒しで生産できると踏んだのだ。
ヒトラーは、どれほど勝とうが米ソが舐めプできるような相手じゃないことを、誰よりも痛いほど知っていた。
だからこそ、微塵も油断する気はなかったのだ。
とはいえ、完全にF型かと言えばそういうわけでもなく、エンジンと駆動系は前述の通りVI号戦車の流用だし、主砲はKWK44/1ではなくオリジナルのV号戦車と同じマズルブレーキ付きのKWK42だ。
また、これらのコンポーネント変更に加えシュルツェンの標準搭載などでオリジナルより2tほど重量が増えている。
もっとも、これが性能低下につながるかと言われれば、そうなってはいないのでヒトラー的には及第点以上の合格点だ。
(おそらくV号の本格量産が始まる43年の戦場で、この戦車と正面から撃ちあえる戦車はそう多くないはずだ)
とはいえ、皆無という訳ではない。
例えば、ソ連のT-34/85も同時期に出てくるだろうし、むしろその対抗手段がV号戦車なのだ。
どうやらT-34/85の登場に間に合いそうなことに逆に安堵するも、
(しかし、「お前のようなT-34が居てたまるか」と言いたくなるな)
現在、V号戦車と比較テストを行っているのは、サンクトペテルブルグで一足早く本格的な量産が始まっている”KSP-34/42”。
サンクトペテルブルグの残っていた製造設備と既存のコンポーネントを組み合わせただけの戦車の筈だが、腕の立つ戦車教導隊に操られるそれは、機械的熟成が済んでいるとは言えないV号戦車を相手に、「性能はカタログスペックで決まるもんじゃないのさ」と言いたげなスコアを叩きだしていた。
(確かトランスミッションは、前世のV号戦車の改良型だったか……)
そして、見せつけるは元々はソ連戦車とは思えぬ小回り、フットワークの良さだ。
基本、ソ連戦車は駆動系の設計があまり上手くなく”直線番長”のきらいがある。
「ややオーバースペックの可能性があるが、次世代ソ連戦車を想定した”仮想敵”としてサンクトペテルブルグの戦車は申し分ないな」
実際は、来年から同時期に量産される”ウクライナ製のT-34/85”の方が仮想敵に向いているのであるが、今、手元にないのであれば意味はない。
「技術的なマイルストーンとしてもですな。例えば、2軸ジャイロ安定式照準器や1軸ガンスタビライザーは、KSP-34/42がなければ、これほど早期の完成は望めなかったでしょう」
そう同意するグデーリアン。
実際、KSP-34/42の照準器自体はIV号戦車の長砲身型と同じだが、それを改造して2軸ジャイロ安定式にしてある。
それを参照して開発が進められたのが、SZF1照準器だ。
V号戦車のユニークな点は、従来は照準器に組み込まれていた測距機能を別体化し、より照準精度を高めようとしている点にあった。
するとヒトラーは苦笑し、
「KSP-34/42相手に慣れていれば、さぞかし次世代赤色戦車は楽に感じるだろう」
この発言は、的中することになる。
カタログスペック上の砲力や速力は同等であっても装甲がやや薄く、小回りが効かず命中精度も悪い”KSP-34/42の
そして、総統閣下はまたしても戦車乗りたちの信奉者を増やすことになるのだが……まあ、それは来年の話である。
そして、”ドイツの総統”が重戦車のVI号戦車”ティーガー”に執着せず、より実用的なV号戦車”パンター”に注力し前倒しでF型じみたそれを完成させたことその物が、存外に歴史の分岐点の一つなのかもしれない。
まあ、もっとも
当然である。
兵器というのは、開発が始まったその瞬間から、陳腐化が始まるものだ。
「グデーリアン君、V号戦車のとりあえずの完成は見た。だからこそ、”新たなVI号戦車”に開発リソースを集中させよう」
「おおっ! ついに”ティーガー計画”を!!」
ヒトラーは頷き、
「できれば44年後半、遅くとも45年前半には生産を開始したい」
”ティーガー計画”、別名”E-60”計画。
史実のティーガーIと大差ない重量にも関わらず、
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