第268話 悲哀のトルコ行進曲 ~とある国父の苦悩と憂鬱~




 現状は、トルコにとって非常に不満があるものだった。

 端的に言えば、第二次世界大戦と呼ばれるようになったこの戦乱において、周辺国が急速に日本皇国との関係を強化、あるいは深化させて行く現状が、大変に面白くなかった。

 トルコは日本皇国を単純な友好国とみなしていない。

 特異な価値観と、それに裏打ちされた民族や文化に対する(欧米人に比べれば遥かにマシな)公平性や客観性がある。

 条約を交わせば、こちらが反故にしない限りは律儀に守り、逆に反故にすれば即座に条約を破棄する潔さがある。

 玉虫色と呼ばれることもあるが、その実、主張はよく見れば首尾一貫している。

 わかりにくくもあるが、譲れない一線は逆に分かりやすい。

 

 政治的奇貨にして奇跡、そして切り札になり得る存在……

 どうやら、周辺国もそれに気づきつつあるようなのだ。

 

 どこの世界に、「独立国にすることを前提に、他国の元植民地を受け持つ」国があるのか?

 他国の戦後復興と国家再建まで「支配しないことを前提に」戦争計画に組み込む国など、一体いくつあるだろう?

 

 最初に気に食わなかったのはリビアだ。

 王族の娘を使い、日本人の婿取りをさせることで、アラブ世界、あるいはイスラム圏では重視される”血のつながり”を作った。

 最初は無警戒ノーマークだった。

 皇族の血をひかぬ、平民の子であったからだ。

 だが、ある時期から、その日本人婿を”ジハード聖戦士の生まれ変わり”と喧伝し始めたのだ。

 トルコは、その婿を深く調べなかったことを深く後悔した。

 

 なぜならその男、”ヘイシロー・シモサ(アラビア語発音)”は、「銃一つを武器に個人で最も多くの侵略者イタリア人を屠った男」であり、誰も疑いようのない”ムジャーヒディーン(イスラム戦士)”の資質を備えた”بطلbatal”、即ち”英雄”だった。

 これはトルコにとって大変よろしくない。

 アラブ世界において”英雄batal”とは場合により王族よりも深い尊敬を受けるのだ。

 例えば、異民族でありながら受け入れられた”砂漠のロレンス”がその好例だろう。

 

 そして、ヘイシロー・シモサはロレンスよりもさらに”本物(分かりやすい)の英雄”であった。

 彼の唱えたとされる聖句、”アッラーに捧げる戦士の誓い”は、今やリビア軍の出陣の際、士気高揚の宣誓に使われているという

 

 ”بسم الله العظيم أعط مطرقة لكل ظلم.(偉大なるアッラーの名に懸けて、全ての不義に鉄槌を)”

 

 لله أكبرAllāhu akbarという祈りで締めくくられる老人への労りから始まり、アッラーへの誓いで締めくくられるこの聖句は、なるほどよく戦士が守るべき者、守るためにすべきことを凝縮していた。

 

 そして、それを最初に唱えた男が娘婿として王族の末席に座るという。

 しかも、既に娘は孕み、婚約の儀は行われたが婚姻の儀はまだ行われていない。

 なぜか?

 戦争が終わってないからだ。

 戦士は戦場にて輝く者だ。

 だから、戦争が終わるまで夫とはならず、戦い抜いた果ての終戦と共に、その凱旋と共に晴れて夫となるという……

 

「ふざけるなっ……!!」

 

 あまりにも出来過ぎだろう。

 例え、ヘイシロー・シモサが戦死しても、物語は終わらない。

 末姫は、既に英雄の子を孕んでいるのだ。いや、末姫だけではなく、その取り巻きも子を宿した者が何人もいるという。

 サヌーシー教団は、明らかに”英雄の血を絶やさない為”の安全策をとった。

 生まれた子の一人でも成人できれば、それが”英雄の担い手”となる。

 砂漠の民の生死感はシビアだ。死が身近にあるから必然的にそうなる。

 

 そして、死んでも英雄は英雄だ。

 死してなお尊敬を集め、時にはそれが信仰として昇華される場合もある。

 

 

 

***




 さて、それが何故そんなにもトルコにとり都合がよろしくないのか?

 トルコは、これまで「地中海随一の親日国」という看板を掲げてきた。

 実際、地中海沿岸諸国の中で最も日本皇国と外交関係が長いのはオスマン帝国時代も含めたトルコだ。

 日本は普通にそれを内諾していたし、それによる国益の享受もあった。

 ”あの英国”と対等に付き合える同盟国、オスマン帝国が破れた第一次世界大戦の勝利者側、日清・日露戦争で連戦連勝の日本皇国の友好国というのは、それだけで日本人が想像もできないほど、特に周辺国に対してステータスとアドヴァンテージを齎すのだ。

 

 しかし、その安泰だったはずのポジションが最近になって急速に揺らいできた。

 先ずは前述の通りリビア。

 石油を餌に日本皇国を誑し込もうとしたが、それは少々甘かったようだ。

 日本は樺太油田を持つ産油国でもあり、自国の消費分くらいは自給自足で賄える。

 それどころか、”リビアの石油はリビア人の民族資産”である事を念頭に、官民一体の”アラブ石油開発機構”を設立し、「国家樹立とその後の支援に対する手間賃として、石油の一部を配当として受け取る」という形にしてしまったのだ。

 これは欧米人により搾取されることに慣れていたリビアのアラブ人にとって青天の霹靂であると同時に、完全にアテが外れた事になる。

 だが、彼らは諦めなかった。

 前述の通りリビアの一角を占めるキレナイカ王国が前述の通り日本人の”英雄”を、末姫を使って婿として取り込むことに成功。

 また、末姫でなくなんらかの形でつながりのあるサヌーシー教団の娘たちを同時に嫁がせ、脇を固めるさせると同時に孕ませ、高確率で”英雄の後継者”を産ませるように配慮する。

 さっきも言ったが、一人でも無事成人でき、なおかつそれが男児であれば、英雄の一門は安泰であろう。

 そしておそらく、凱旋できれば戦場でつけてきた”箔”を生かして、軍の要職につけるに違いない。

 裏切る可能性のない有能な軍人というのは、王族にとって喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 

 しかも、この一連の流れをコーディネートしたのは、日本外交官でありながら外交だけでなく政務アドバイザーもしているという、その為最近は”キレナイカ王国の宰相”とも呼ばれるあの男・・・であるというのだ。

 気がつけば、ここまで御膳立てができていた。

 

 

 

 認めなければならない。

 リビアは今や、”地中海随一の日本皇国の友好国”というトルコの地位を脅かす存在になったと。

 それだけではない。

 リビアの成功を見て、かつての領土、今や隣国であるシリアやレバノンもその地位を間違いなく狙っている。

 フランスに委任統治領として大人しく支配されていると思いきや、独立の機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

 だから、ドイツとの敗戦でフランスが没落したとみるや、ああも早く行動を起こせたのだろう。

 フランスが、日本にシリアとレバノンを「独立支援」名目に投げ渡したのは、偶然であるわけはない。

 そして、彼らは「リビアのフォローされた小さなミス」を参考に、石油を呼び込む餌ではなく、日本人が納得しやすい「共同開発」を持ち掛け、独立支援の対価を”油田開発で得た石油で支払う”という彼らにとり実に都合の良い方法で決着させたのだ。

 

 独立支援と共同開発という名目がある以上、日本にはシリアとレバノンに対する保護義務が生じる。

 そして彼らは新兵器実験部隊を含む10万の皇国軍兵力を”治安出動”名目で常駐させることに成功したのだ。

 トルコがやりたくても「治安が安定し過ぎている(皇国にそう見做されている)が故に」できない方法だった。

 

 

 

(そして、何より腹立たしいのは……)

 

 因縁深いギリシャの台頭。

 英国人だけなら、おそらくあの本土を追われた国王は、最終的にエジプトあたりに亡命と称して逃げ延びた事だろう。

 だが、

 

「フランス人のみならず、イギリス人も本当に余計なことばかりしてくれるっ……!!」


 クレタ島のケツ持ちを、よりによって日本に丸投げしたのだ。

 そして、クレタ島の防衛責任者は堅守の名将”ジェネラル・クリバヤシ”と彼の率いる精鋭。

 タラント沖で海軍が壊滅したイタリア人や、ジブラルタルやスエズをイギリス人に塞がれ、船を持ち込めなかったドイツ人がどうにかできる相手ではなかった。

 案の定、大惨敗を喫して、クレタ島は”ギリシャという国家としての機能”を残し、今や皇国軍の大軍勢で本土奪還を急速に進めている。

 日本人の手を借りて凱旋したあのいけ好かない国王は、さぞかしご満悦だろう。

 共産主義者が多少は暴れているようだが、ソ連があの様ではまともに支援も受けられないだろう。

 

(鎮圧されるのも時間の問題。どう長引いても今年中には終わる)

 

 多分、日本人の事だからまったく気にしてないだろうが……今回の作戦、ギリシャ国王の王権の担保に、日本皇国が付いたと国際的に喧伝したに等しいのだ。

 言い方を変えよう。元々、歴史的背景から国内の支持基盤が強いとは言えなかったギリシャ王室に、誰にでも明確な力を持つ、”ギリシャに友好的な強国の支持基盤”が付いたのだ。

 誰に目にも、「国王が盟友・・たる日本皇国の軍を連れて来た」ようにしか見えない……なんというわかりやすい権勢!!

 更に腹立たしいことに、彼らには諸事情・・・によりトルコが放棄せざるえなかった強い外交チャンネル”皇室外交”を維持している。

 軍事作戦としては日英同盟に基づいてだろうが、大義名分には必ず「友好関係にある王室の救難・救援」が入るはずだ。

 

(それにあの黄金甲冑はなんだ!? わざとらしすぎるだろうっ!!)


 ”やんごとなき御方”本人ではなく、その親族から贈られたという名目の戦装束……しかも、それを運んできたのは特使として派遣される爵位持ちの外交官だというのだ。

 

(しかも、よりによってあの”バロン・シデハラ”とは……これは何の因果だ?)

 

 いくら何でも、過剰演出だった。

 

(全土を”日本皇国軍と共に・・国土回復レコンキスタ”したと必ず出しゃばってくるだろうな……)


 実際、その兆候はもうあるのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 今のトルコには外交的泣き所ウィークポイントがある。

 国際的に「ソ連に近い」と思われているのだ。

 オスマン帝国が歴史用語になった後のトルコは、レーニンがロシア革命を起こした時に、「帝国主義政府との戦いと共闘することを約束」した見返りに支援を受け取って・・・・・おり、また1931年にはモスクワ条約に署名、その後に国境線を確定するためにカルス条約にも続いて署名した。

 

 無論、トルコを共産主義化するつもりなど毛頭ない。

 トルコは、ソ連を利用しているだけのつもりだが……時期が悪かった。

 皇室外交の消失とレーニンへの”お為ごかし・・・・・”が重なったのだ。

 お陰で友好国なのは変わらないが、少なからず”距離感”が遠くなってしまったのは事実だ。

 日本皇国の現在の印象は、

 

 ”トルコは日本の友好国だが、同時にソ連の友好国でもある”

 

 だ。無論、トルコとてその評価を知らないわけでは無い。

 そして、38年の”日本皇国の共産主義者に対する告発と断罪”で、更に微妙な空気になってしまった。

 加えて近年、次々と明るみになるソ連の戦争犯罪だ。

 友好関係は維持しているし、友好国の看板に文句は付けられていないが……という感じだ。

 

 

 

 他にもウィークポイントがある。

 世にいう”アルメニア人大虐殺”だ。

 第一次大戦中の1915~1916年にかけて、”死の行進”による強制移住、さらに武装解除させた上で組織的に”駆除”しているのだ。

 詳細は、「アルメニア人虐殺」で検索すればすぐ出てくるのだが……

 他にもアッシリア人やポントス人(ギリシャ系民族)にも似たようなことをやっている。

 無論、トルコにも言い分があるが……だが、最低でも60万人以上、最大で150万人以上を殺害したのは確かだ。

 そして以前、”東慶丸とうけいまる”の話題を出したが……あの時、ちらりと書いたがイズミルから脱出した民にはギリシャ人以外にアルメニア人もいたのだ。

 そして、彼らから「トルコ人によるアルメニア人の組織的な虐殺」を聞いた日本皇国政府は、にわかには信じがたいと思いながら戦後、英国の協力・・・・・を得て密かに調査を開始した。

 そして、虐殺は事実であったと結論付けた。

 しかもタイミングが悪い事に、その調査の最終報告書が出来上がる時には、首謀者と目される三頭政治の”三人のパシャ”はいずれ暗殺(アルメニア人による報復テロ)や戦死で「国外で死んでいた」のだ。

 そして、彼らを追放に追いやった”勝者たるパシャ・・・”に、その言及が及んだ。

 日本皇国は、その醜聞を国際的にばらまき、煽りながら非難するような真似はしなかった。

 それは虐殺の首謀者である”三頭政治のパシャ”を放逐したのが現在のトルコ盟主たる”初代大統領のパシャ・・・”であったり、またボリシェヴィキ革命勢力と繋がりがあったアルメニア人の共産系秘密結社”アルメニア革命連盟”が前出通り報復テロで放逐された側のパシャを暗殺していたことも考慮された。

 何より同盟国が”セポイの乱”をはじめ、世界有数の”やらかし案件”を抱える腹黒国家イギリスだ。トルコだけをやり玉にあげるというのも何か違うという思いもあった。

 なので大事にはしなかったが……

 

『第一次大戦では敵対したが、親愛なるトルコが”ロシア人がチェルケス人に行ったような行為”をしたことが、皇国としては大変遺憾だ。陛下もとても哀しんでおられる』

 

 そして、その時の特使(密使)こそが外務大臣になる直前の外交官、幣原喜十郎だった。

 

 

 

***




 つまり、皇室外交が消滅したのは「トルコが諸所の事情でオスマン帝国ではなくなり、君主が消滅したから」というのが表向きの理由ではあるが、それだけが理由ではなかったという訳だ。

 日本皇国という国家の性質上、基本的には内政不干渉の原則は貫くし、戦後に立ち上がった国際連盟においてその話題を率先して出すことは無かった。だが、”それだけ・・・・”だ。

 自分達が”現代のヴェネツィア呼ばわりされてもおかしくない悪辣な海洋性重商主義国家”という自覚がある日本皇国は、友好的な貿易相手国であるトルコとの関係を自ら悪化させる事は無かったが、例えば日本人自身は”虐殺”という表現は使わなくとも、他国が虐殺という表現を用いても特に止めはしなかった。

 

 ”民族や国家それぞれの主観という物がある”

 

 と発言するだけだった。

 無論、通商関係が破棄されたわけでもなく今でも友好国ではあるが……この世界的な群雄割拠の時代、冷えてきた関係を温めるべくトルコは手を打った。

 スクラップに偽装した元フランス艦を黒海に入れたのは、その一環だ。

 実際、今のソ連にトルコに制裁を加える余力が残っていないことを確認した上での行動だった。

 お陰で対価として日本製の駆逐艦と乗員教育サービスは手に入ったが、逆に言えばそれで清算されてしまった。

 軍の常駐の話は、一切なかった。

 そして、新入り共が事あるごとに「トルコとソ連の近さ・・や、数々の虐殺を起こした野蛮な国家」と日本に吹聴しているのも掴んでいる。

 本気で腹立たしい話である。

 事実無根でないところが、余計にだ。

 

(だが、今回の件は好機でもある……)


 改善を要するほど関係は悪化して無いとはいえ、

 

「私だ。悪いが”東郷特使”に来るように伝えてくれ」


 トルコ共和国初代大統領、”ムハンマド・ケアル・アタテュリュク”、あるいは”ムハンマド・ケアル・パシャ・・・”は苦悩に満ちた小さくため息を突いた。


 

 

 

 

 

 

 

 








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