第269話 トルコからの使者とクレタ島の”もう一人の王” ~その申し出、ありがたくもあり、ありがたくもなし~




「つまり幣原さん、トルコはイタリア人捕虜15万を一時的に預かる準備があると言ってます。そして、アルバニア問題が発生した場合、クレタ島に避難してらっしゃるゾグー国王陛下の”公式に”後ろ盾になっても良いと」




 さて、とりあえず解説が必要だろう。

 実はつい先日まで、クレタ島には二人の国王がいた。

 一人は言うまでもなくギリシャ王国国王グレゴリウスⅡ世陛下だ。

 今はもう家族共々、アテネに移り住んでいる。

 ちなみに国会議事堂に使われていた王宮は、再び王宮に仕立て直されることになった。かなり明確な”史実との分岐点・・・・・・・”だ。

 逆に新たに王国議事堂が建設されることになり、つい先日までイタリアの占領下におかれ、議会は解散されたままなのでそこで始まる王立議会をもってギリシャ王国の再生を宣言することになるようだ。

 

 さてもう一人の王が、アルバニア王”アフマド・ゾグー”だ。

 史実ではゾグーI世と書かれる事があるが、この世界線ではアルバニア王国・・初代・・国王であり、未だ世襲できるか不安定という意味を込めて単純にゾグー国王と呼ばれることが多い。

 

 そう、イタリアのアルバニア侵攻でギリシャに亡命し、グレゴリウスⅡ世と共にクレタ島に渡り、今でも政治的厄介さからマルタ島に残ってる国王だ。

 何が厄介かと言えば、まずこの国王、トルコとのつながりが強い。

 ゾグー国王の家柄は、オスマン帝国時代のマティ総督を世襲で務めた家系、つまり元はトルコの豪族だ。

 内政的には旧態依然の氏族社会が残り、南北で社会構造まで違っていたアルバニアを、”アルバニア人というアイデンティティの確立とアルバニアというナショナリズムで国家としての自意識を形成”した。

 20年代に一度首相になるも、一度蜂起で国を追われ、今度はゾグーを追い出した勢力がソ連と接近することを警戒したユーゴスラヴィアの支援で軍を編成して武力闘争で政権奪還、アルバニアのトップに返り咲くと同時に世界恐慌の真っただ中の1928年にアルバニア初代国王に即位する。

 

 それから10年ほどの1939年にイタリアの侵攻を受けて国を叩きだされるのだから、中々に波乱に満ちた人生を送っているが、実は侵攻前にイタリアのファシスト政権に積極的に接触を図っていたのはゾグー自身なので、ある種、彼自身が侵攻を受けた元凶ともいえる。

 なんとなくだが……人を見る目はなさそうだ。

 

 元々、国民からは微妙な評価の国王なのに、史実では逃げ込み先のギリシャまで陥落し、最終的にエジプトに亡命することになる。

 そして、二度の亡命という醜態でアルバニア人の支持を失い、戦後、勝者たる連合軍に王として返り咲けるよう工作を行うもすべて失敗、失意の中で生涯を終え、アルバニアはその後、共産圏の国家となる。

 

 

 

***

 

 

 

 しかし、これもバタフライエフェクトというのだろうか?

 クレタ島に史実同様にギリシャ国王同様に押し込まれたとはいえ、クレタ島防衛戦の成功によりギリシャの完全な陥落はこの世界線では起こりえず、少なくとも史実よりはアルバニア国王としての復権の道筋が残っているようだった。

 

 だが、ここで大きな問題がある。

 ゾグー王は、「日本皇国の覚えがめでたくない国王」だったのだ。具体的に言えば「皇室外交リストに記載されていない・・・・・・・・国王」だった。

 彼が国王になった時機を見て欲しいのだが……1928年と言えば、この世界線でも昭和3年、つまり年若い昭和天皇が即位したばかりの時期だ。

 また、即位してすぐの王、出来てすぐの王朝に皇室外交を呼びかけるほど日本皇国、特に外務省と宮内も軽率ではない。

 

 ギリシャ王国を例に出すとわかりやすいが……確かに1924年から35年までの王不在のギリシャ第二共和制の時代を挟むが、王国としては日本皇国建国前の1832年から存在しているのだ。

 付け加えるなら1924年の共和化運動で追放された国王が当時即位したばかりのグレゴリウスⅡ世だったが、35年に返り咲くまでの間も、亡命先に英国を選んだのが功を奏して皇室外交は継続されていたのだ。

 それが結果として、ギリシャ王国の本土奪還に繋がっている。

 そして、某チャーノじゃあるまいし、引退していたとはいえ海千山千の古い時代の外交狸の生き残りである幣原がその背景に気がつかない訳はなかった。

 

「久しぶりだね東郷君」


 現在、駐トルコ大使であるはずなのに突然姿を現した後輩、東郷重徳に幣原は柔和な笑みで、

 

「久しぶりの再会だというのに、少々俗っぽいというか穏やかではないね」


 幣原はスッと目から笑みを消し、

 

「トルコの狙いは、アルバニア国王を介しての皇室外交への復権かい?」


 しかし、現役の外交官である東郷は肩をすぼめて、

 

「俗っぽいのは仕方ありませんよ。我々が携わっているのは現世政治だ。まあ、トルコの狙いは”それも含まれる”という感じです」


 幣原はふぅと小さくため息を突き、

 

「”パシャ・・・”殿は、アルバニアを傀儡にでもしたいのかね?」


 あえて他意(おそらくは警戒心)を含めて古い呼び方をする幣原に


「後ろ盾に立候補したというだけですよ。それに今はパシャではなく”トルコの国父アタテュリュク”です」




(そういえば、最後にあったのは20年も前……”アルメニア人に対する報告書”を持参した時だったか)


 前に少し触れたとおり”トルコによる第一次世界大戦中のアルメニア人虐殺に関するレポート”を特使としてトルコに持参したのが幣原だった。

 


「随分と仰々しくなったものだね。まあ、トルコの申し出と要求は察したよ。確かに助かる話ではある。だが、この案件を決定する権限は、私にはないよ?」


「知っております。本国には、既に起案書を回しておりますよ。了承された場合を考え、現場責任者である”バロン・シデハラ”に話を通しておこうと思いましてトルコから赴きました」


「君のそういう抜け目の無いところは嫌いじゃないよ。外交官には必要な資質だ」



 

 東郷重徳……史実において東郷という外交官は、外務大臣まで勤め上げ、日米開戦に反対した人物であり、対米協調派だった。

 ただ、この世界線では東郷は外務省内で”米国シンパ”と見做され、また鍔迫り合いのような派閥闘争にも嫌気がさしたために早々に省内の出世レースから外れ海外勤務で外交官としてのキャリアを終えようとしていた。

 実はドイツ大使を務めていた時代もあり、大きな意味で来栖や大島の先輩ドイツ大使でもある。

 そう言う相手だからこそ、外務省で返り咲くなどの野心を持って接触してきたわけではないことは幣原も理解していたが……

 

「まあ、君の案が通るなら協力はしよう」


「例えば?」


「グレゴリウスⅡ世陛下には、”アルバニア王国・・が対共産主義国家ユーゴスラヴィア防波堤・・・”に使える旨を報告しよう。前後からトルコとその影響国・・・にギリシャは挟まれてしまうことになるが、当面は皇国軍が駐留することで、緩和剤にはなるだろう。それにギリシャにもトルコにも我が国は二国間条約を結んでいる。こういう時の為の二国間条約だろう?」


 堂々と”皇国がバランサーになれば問題ない”と言い切る幣原に、真の老獪さというものを感じた東郷は、

 

「……幣原さん、やっぱり現役復帰して正解ですよ。その能力、引退して眠らせてしまうのは国家の損失です」


「もう老いて朽ちるのを待つばかりのこの身に、何を期待しているのかい?」


 そう笑う幣原だったが、やはりその笑みは狸っぽいと東郷は思った。

 

 


***




 アルバニアに展開していたイタリア軍から、秘密裏に”降伏嘆願・・・・”が届いたのは、それからしばらく……ギリシャ国王グレゴリウスⅡ世により”ギリシャ全土の国土回復終了レコンキスタ宣言”が出された直後の事だった。

 

 













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