第261話 外交消耗戦と幣原さん、国王陛下+黄金甲冑=英雄王?




 さて、閑話休題。

 時は”オペレーション・イオス”の発動前まで遡る……

 

 

 

 ポーランド侵攻から3年、日本本格参戦から2年の月日が流れたこの時期、日本皇国外務省内ではまことしやかに

 

 ”外交消耗戦”

 

 と現状を呼び恐れていた。

 まあ、当然である。

 開戦以来、一体いくつの元植民地の独立支援を行っているのかという話だ。

 ・仏領インドシナのベトナム(王国に復帰予定)

 ・蘭領東インドの東半分(コーヒー農園などのODAにより経済基盤・住人の生活基盤の再編と自治、ゆくゆくは独立国化へ)

 ・リビア三国同盟の建国支援(外交官の武者小路がキレナイカ王国国王の政策アドバイザー扱い。”宰相”という陰口も……)

 ・シリアとレバノンの建国支援(おいたわしや石射特使)

 

 そして、派遣国にのめりこんで本国に帰ってこない面々……

 ・吉田欧州統括(外相の野村と並ぶ外務省二枚看板。チャーチルの・・・・・・右腕)

 ・大島特使(親善特使と囁かれるドイツのスポークスマン)

 

 こともあろうか外交官という枠組みを外れた、あるいは道を外しかけてる者……

 ・フォン・クルス(元来栖任三郎。現サンクトペテルブルグ総督、サンクトペテルブルグ正教枢機卿、他にもオプションが付く予定)

 ・杉浦多国籍戦争犯罪調査団長(実質的に外務省職員ではなくなっている。今やバックは国連)

 

 外交というのは他の仕事と同じように地味で地道な作業の積み重ね。大使(特使)というのは対象国に派遣されるトップであり、それを大使館で領事館で本国で支える無数の外交官が必要になる。

 これに加えドイツに占領され再独立を果たした国への外交チャンネルの再構築、トルコなどの元々の友好国への対応、米ソとその取り巻きなど実質的な敵性国家への対応、そして今や唯一残ったと言って良い明確な”敵国”枠であるイタリアと、そのイタリアにクレタ島を除く国土の大半を占領された友好国のギリシャへの対応……

 

 

 

 当初、人格者でもある栗林忠相大将が(クレタ島に遷都=王家が疎開して直ぐにクレタ島防衛線があった為に)在ギリシャ武官としても兼任し、特使業務の一部を代行していたが……やはり相手は王族、またギリシャ奪還作戦に準備段階から業務リソースを裂かねばならず、本国へ”政治アドバイザーもできる専属の特使”の早急な派遣を要請してきた。

 

 当然、外務省はそれに応じるしかない。

 平時なら前任のギリシャ大使でも良いが、戦時ともなればそうもいかない。

 だが、問題はとにかくやたらと面倒ごとが付きやすい王族だ。しかもギリシャ本土奪還なんて厄介ごともオプションでくっつくのである。

 前任者では、能力も経験も資質も不足しており、戦争に対応できる人材ではなかった。(だからこそ、栗林が兼任していたのだが)

 だからこそ、人選に気を遣わねばならないのだが……上記のような理由で、既に外務省の外交リソースは限界点に近づいていた。

 本国詰めならまだしも、海外に出ずっぱりで王族に対する対応をわきまえてる人材など……それが居たのだ。但し、現役職員ではなかったが。

 

 

***


 

 昭和の御世の日本皇国では爵位など名誉称号程度に形骸化して久しい(貴族院も既に廃止されていた)が、家督として男爵の地位を持ち、第一次世界大戦後の20年代には外務大臣を経験し、同時に10年ほど前の時の内閣で総理大臣代行まで務めた傑物。

 今は高齢を理由に事実上、政界を引退していたが……

 

 その男の名は、”幣原しではら 喜十郎きじゅろう

 

 史実では、外務大臣時代の国際協調重視の「幣原外交」で知られた人物で、終戦直後の困難な時期の内閣総理大臣でもある。

 1942年9月で満70歳、老人と呼んでもおかしくない年齢だが、もはやなりふり構わず「立ってるものは親でも使え」方針の皇国外務省は、現役復帰の懇願をしたのだ。

 その熱心さ……というより、必死さに最初は「老体に出る幕はない」と断っていた幣原は、ついに心動かされることになる。

 もしかしたら、しつこさに折れただけでもしれないが。

 今生では愛妻家と知られる幣原は、老いてなお美しさと品の良さを失わない1周り年下の妻にそのことを相談すると……

 

「あら♪ 人生の最後にエーゲ海に長期旅行なんて素敵じゃありませんか」


 それが最後の一押しとなり、特使としてのギリシャ派遣を受け入れた。

 子は立派に成人し、自分は既に引退した身。憂いも引き継ぐべき仕事もないことも幸いした。

 


















************************************















 とまあ、ここで終われば奇麗なのだが、毎度のことながらこの世界線、そうは問屋が降ろさらない。

 とある転生者、それも”かなり高位の人物”がこんな事を言いだしたのだ。あえて名も身分も出さないが……

 

「”偉大なる王の凱旋”を飾るのはどうすべきか……」


 散々、頭を悩ませた挙句、

 

「ギリシャと言えば、”黄道十二宮の黄金闘衣ゴールド・クロス”か?」


 いや、ホントどうしてそうなった?

 そしてこの御仁、無駄に金も地位もコネも行動力も揃っていた。

 いや、まさか本当にゴールド・クロスをリアルで作ったわけでは無いが、素材にこの時代の最先端軽量素材の一つである超々ジュラルミンを選択し、その極薄板材をパレードアーマー……実際に着用して動ける超軽量フルプレート・メイルを制作。

 そして表面は、金沢の金箔師たちの尽力で黄金に輝く事になった。無駄に新古のハイテクと職人芸の見事な融合だった。

 

 なんかどことなくデザインが、どこぞの”英雄王”っぽかったのはお約束。乖離剣エアを同時作成しなかったのは、最後の良心だと信じたい。

 使用用途(=プロパガンダ用の舞台装置)から考えれば、この選択肢もあながち間違ってないかもしれないが……これを献上品と持たされた幣原は、実に微妙な表情だったという。

 

 

 

***




『民の前に立つ王として戦場へ赴き、都へ凱旋を飾るならば、他のいかなる装飾や衣装よりも鎧こそが相応しいと考え、贈らせて頂きます』


 送り主(つまり、ギリシャ国王に物を贈れる身分という事になる)からの親書の読み上げと共に開帳された精緻な造りの”黄金に輝く甲冑”に、意外なことにギリシャ国王”グレゴリウスⅡ世”は目を輝かせて、

 

「おおっ! これぞ”英雄の為の戦装束”!! まさに我に相応しい!!」


 と大いに喜んだらしい。

 ついでにこの黄金甲冑に合わせるべく国章をあしらったマントが直ちに発注された。

 本人曰く、

 

「朕は、”国を背負う覚悟”を見せねばならぬのだ。この黄金甲冑に恥じぬだけの」


 とのことだ。

 いい話っぽいが、純粋に国籍・人種・民族・時代に関係なく漢なら死ぬまで健在的に、あるいは潜在的に持つ”中二スピリッツ”が著しく刺激されただけかもしれない。

 

 

 

 

 政治的準備は整った。

 だが、何やら現場は中々に大変なことになっているようである。















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