第242話 中東や中近東に深入りする以上、決して避けては通れぬ案件
さて、石射猪之助という外交官を紹介しよう。
日本皇国には珍しく、”良識的な”平和主義者だ。
この場合の良識的とは、「とりあえずアカを殲滅すれば世の中丸く収まるし、世界は回る」と考える元外交官で、今は閣下とか最近は猊下と呼ばれてるのとか、あるいは人権原理主義とも言いたくなる筋金入りの”戦争犯罪撲滅過激派”の調査団長とかだ。
ああ、あと可笑しなくらいに英国に馴染んでいるというか……英国面を耽溺している外交古狸とかもいたな。
まあ、石射はそのような”曲者”とは別枠の、どちらかと言えば外相の野村時三郎や某サヌーシーな国王に気に入られ片腕になりつつある(えっ?)武者小路などの正統派(???)の系譜に属する外交官だ。
まあ、軍の高官に平然と嚙みついたり、平和主義者なのに鉄火場慣れしているなど、”普通の外交官か?”と問われると、素直に頷けない部分も確かにある。
そんな石射が外交特使兼政務アドバイザーとして派遣されたのは、フランスから顔面に投げつけられたシリアだった。
まあ、石射としては文句はない。
中東の植民地(旧仏委任統治領)が平和裏に独立国としてスタートを切る……そのサポートを行うのであれば、外交官冥利に尽きる話でもあるし、個人的な趣味や趣向にも合致した。
しかし、シリア新政府の立ち上げにあたって、ある問題が浮上したのだ。
「”クルド人問題”か……」
中東、中近東に深くかかわろうとするなら決して避けては通れぬ問題だった。
この地域の主要人口は、アラブ人、トルコ人、ペルシャ人であり、クルド人はその次に人口が多いとされるので、決して少数民族という訳ではないのだが……問題なのは、前者三種の人種・民族から共通して”異端・異分子・異民族”扱いされているという事だろう。
まず重要なのは、現在、「クルド人の国家」という物が存在していない事を挙げておきたい。
もうそれだけで、クルド人の立場の弱さという物が推測できる。
問題なのは現在どころか、歴史上クルド人(クルディスタン)の国家という物が存在しないことだ。
言い方を変えれば、「国を持たない民族の最大手」という言い方もできる。
こうなってくると、なぜ”異端・異分子・異民族”扱いされているか見えてくると思う。
アラブ人は中近東からアフリカにかけて非常に多く、トルコ人もオスマン帝国が滅びても現在進行形でトルコという国家がある以上、問題はない。
ペルシャ人国家の代表格は、ホットスポットになりつつあるイランだ。
そして、これらの国家に跨る地域にクルド人は国家を持たず、独自のコミュニティを形成し、存在している。
先に言っておくが、彼らは「好きで国家を持たない」訳ではない。
上記の地域は、遥か太古から群雄割拠の地であり、また石油が出てからという物、あるいはオスマン帝国が衰退してからという物、欧米からの浸食が激しい地域でもある。
しかしである。
アラブ人やトルコ人やペルシャ人にしてみれば、自分たちの文化に馴染まず、また「自ら国を持とうとしない」”怠惰なクルド人”は、自分達の国家に寄生されているように感じてるのは、残念ながら事実である。
誤解と偏見、あるいは三民族を狭量と切って捨てるのは簡単だ。だが、現実はそう簡単ではないのだ。
クルド人が本当に少数民族ならば、こうもややこしい話にはならなかったのだが……
日本に置き換えて見よう。
文化風習が違い、独自のコミュニティを優先し日本文化に積極的に馴染もうとせず、それでいて全人口の1割に達する”異民族”が国内に居住していたとしたら……まあ、そう言う事である。
感情は、個人であれ国民全体であれ、理屈だけで語るべきものでは無い。
実際、トルコ人作家”イスマイル・ベシクチ”は、
『クルディスタンとは国でもなければ植民地でもなく、この地上から消え去ることを要求されている「民族」である』
とまで記している。
日本にとってクルド人という言葉が聞かれるようになったのは割と近年であり、それはフセイン政権時代のイラクが「クルド人に対して毒ガス攻撃を行った」といういわゆる”ハラブジャ事件”を境にしてだと思う。
しかし、当時はイラン・イラク戦争においてスンニ派諸国、欧米諸国などの多くがイラク側を支持していたことから、ほぼ黙殺される状況になったという経緯があるのだが……この時、特にクルド人が居住してる諸国の反応は、徹底的な”
この意味を考えると、この問題がいかに根深いか見えてくる。
***
とはいえ、対処療法的な解決策は既に用意されていた。
シリアの独立と共に、
”東シリアクルド人自治区の併設”
を提案しているのだ。
その理由は、
「トルコにイラク、きな臭くなってきているイラン王国との”緩衝地帯(バッファーゾーン)”の設営か……」
シリア北東部は角のように突き出しており、そこはイラン、イラク、トルコと国境を接してる緊張感のある地域だ。
そこに”クルド人自治区”を作ろうというのである。
無論、それは同時にその三国から迫害されたクルド人の”駆け込み寺”になりうるという側面もある。
日本皇国としては、「クルド人の隔離政策」は後に軋轢を生むのが目に見えているので望まないが、かと言って「民族分離」は安定化に必須と考えていた。
だが、独立を強く望むシリア人(シリア系アラブ人)にクルド人自治区の必要性を正論で解いても芳しい反応が返ってこないのもまた事実。
だからこそ、「シリアにも利のある提案」を行わねばならなかったのだ。
それが例え”方便”であってもだ。
現代の日本人には理解しづらいかもしれないが、シリアやレバノンは、本来は「典型的なアラブ商人の国家」だ。
自分たちに利益の出る交渉なら、とりあえず乗ってくる。
こうして、石射猪之助の長い戦いは始まったのだ……
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「ってな感じで石射サン、苦労してるんだろうなぁ」
シリア北東部”ハサカ”
古来よりクルド人居住者の多い地域である。
そこに置かれた皇国陸軍遣シリア駐留軍、北部方面軍司令部で、”宮崎繫太郎”皇国陸軍少将はそう同情する。
よく似た名前の人物は、史実のインパール作戦で苦労する羽目になったが、今生では天国と地獄ほどの環境差が在れど、何となく苦労人気質が滲んでいた。”同(職業)病相憐れむ”だろうか?
基本的にシリアに派遣された皇国陸軍と空軍は主に大きく二つの任務群に分かれている。
一つは、純粋な”治安任務群”。
まあ、治安維持や治安回復を目的とした部隊であり、比較的(皇国軍的にはだが)軽装で機動力、展開性に長けた部隊で、作戦一つに対する最大行動単位が精々連隊規模だが、その分部隊数が多く、専門分野の部隊も多い。
憲兵隊や法務士官が重要なポジションを持つが、同時に救助活動や炊き出しなど「自衛隊的側面」が求められているし、それを目的に編成された部隊だった。その為、ダマスカスとアレッポに大きな拠点を築いていた。
こちらの司令官は”根本
もう一つは、”国境警備任務群”。
要するに独立国になろうとしてる真っ最中のシリアやレバノンに手を出してこようとする不心得者を叩きのめすための部隊……という名目、あるいは建前の部隊だ。
まあ、本当の任務はクルド人自治区の”武力的後ろ盾”になることと、そして、越境してくる”不心得者”に対して「三式戦車を中心とした数々の新兵器」の実戦テストを行う事が目的としていた。
もっとも、越境と言ったところでこの時代、この地域での国境線など実に曖昧なのだが。
ちなみに不心得な越境者に関しては、トルコとイラクに関してはさほど心配していない。
日本との関係を悪化させてまで得られる利益が何もないからだ。
無論、クルド人を含むシリア在住の住人からちょっかいをかければその限りではないだろうが、その防止を含めた”武力的後ろ盾”でもあるのだ。
つまり、某ゲーム風に言うなら”八方睨み”で皇国軍は周囲に睨みを利かせているという訳だ。
***
とはいえ実際、本気で越境を試みる武装勢力など滅多に居ない筈だが……8月が目前に迫った本日は、貴重な例外になったようだ。
「”西住少佐”、どうやらお出ましみたいですよ?」
無事に野戦任官で少佐に出世したついでに、戦車戦のエキスパートとして上官の西大佐から推薦。三式戦車のテスト要員としてシリアに派遣され、1個戦車大隊の指揮を任されることになった西住虎次郎は、部下の秋山中尉からそう報告を受ける。
だが、双眼鏡の先にいるのは……
「”
まあ、戦車にデカデカと掲げられた旗は、少なくともシリア・トルコ・レバノン・イラク在住のクルド人には一切非公認の組織、というか米ソがイランでマッチポンプするようになってから唐突に生えてきた、とってつけたような名前から分かるように、まあ主に米ソの意向で生まれた共産系武装民兵組織というところだろう。
ちなみに上記にあげた各国のクルド人、特に自治区が与えられようとしているシリアのクルド人(クルド自治区暫定統治機構)からは、「あれは偽クルド人の武装犯罪組織であり、クルディスタンとは一切無関係」と公式に発表されている。
まあ、米ソによるクルド人のイメージ低下を狙ったネガティブキャンペーンも兼ねているのだろう。
中東が不安定な方が、彼らにとって都合が良いのだから。
故に、「テロ組織として対応」する方針が皇国・シリア・レバノン・クルドの間で固まっていた。
どうでもいいが……「米国戦車によくわからない民兵組織の旗がくっついてる」事に疑問を感じる西住は、きっと転生者でないのだろう。
転生者なら、「まあ、いつもの事か」と流す案件であるのだから。
まあ、それはともかく……ここに、世にも奇妙な(あるいは珍妙な)戦車戦が始まろうとしていた。
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