第238話 輝け! 元祖ドロシーちゃん伝説!(先天性の持病さえも武器にする強かさ)





 さて、史実におけるミットフォード男爵(第2代リーズデイル男爵)こと”デイヴィッド・フリーマン=ミットフォード”は、率直に申し上げてかなりダメ人間、駄目貴族だったらしい。

 

 家督を受け継ぐ前から一攫千金を夢見てカナダに金鉱目当てに土地を買って失敗。その後も父から家督と共に受け継いだバッツフォードの荘園を維持できず、1919年に売却。代わってオックスフォードシャーのコッツウォールズのアストル荘園を購入。

 そこで大人しく、あるいは手堅く荘園経営をしてれば良いものを、よせばいいのに凝りもせず金鉱発掘や沈没船の金塊引き上げといった夢想的計画にしばしば投資し、資産を目減りさせた。

 まあ、夢見がちな人物だったのは確かだろう。

 

 そして、一部の界隈では有名な”ミットフォード六姉妹”の父親でもある。

 ただし、娘たちの教育の熱心という訳ではなく、結果として地雷女製造工場になってしまったという経緯がある。

 おまけに癇癪持ちで、ナチのシンパだったという英国貴族としては割とアウトな存在だ。

 

 


 では、対して今生のミットフォード男爵家はどうなのか?

 結論から言えば、”史実よりはマシ”だ。

 その証拠が、まだ先祖伝来のノーサンバーランドに居を構えていられること、また不器用で凡庸ながらも荘園経営を何とか成立させており、またどういう訳かファンタジックな投機には手を出さず、比較的堅実だが面白味は無い。

 妻との仲は良好で、史実同様に一男六女にも恵まれた。

 さして裕福ではないが、まあ、史実よりは繰り返すがずっとマシだろう。

 

 そして昨今、長女の社交界デビューの経験から残る姉妹たちの社交界デビューの事を考えて都会のロンドンに居を構えるべきかと考えていた矢先……

 

「父様! わたし、お妃さまになるのっ!!」


 執務室に飛び込んできた六女に目を丸くするのだった。














************************************










 さて、それから数年……時は30年代前半。

 ロンドンに居(別邸)を構えた今生のミットフォード男爵は頭を抱えていた。

 

「どうしてこうなった……」


 長女は、社交界にデビューしたは良い者の、ブライト・ヤング・シングス(20~30年代に英国で起きたパーティと酒、ドラッグに明け暮れる享楽的で派手な生活を送っていた上流階級の若者達のムーブメント)になった果てに、なぜかその経験をもとに作家デビューしてしまった。

 結婚はしたが、夫は同性愛者だった。わかりきった上での偽装結婚だろうか?

 

 次女も既に社交界デビューを済ませ結婚したが、物理学者でもある旦那との関係が……

 

 三女と四女(ついでに長男も)は、何やら”国家社会主義ナチズム”というつい最近、台頭してきた新たな政治概念? 新興宗教?にのめりこんでいるようだった。

 政治的にはノンポリの彼には理解しがたい物だった。

 幸い、史実と違って牧歌的で自分と同じく政治に距離を置いてる妻が、ナチズムに傾倒することがなかったのが救いだった。

 

 五女は今のところ目立った問題行動は起こしてないが……何というか、”不穏”だった。

 特にナチズムに傾倒した三女と四女の関係が、目に見えて悪化していた。

 

 そして期待の六女、我らが”ドロシー”嬢だ。

 まず、間違いなく聡明であった。ただし、同時に変人でもあった。

 齢一桁、普通の女の子なら人形遊びに興じそうな年頃に、ドロシーがねだってきたのは大人でも難解な経済学書や政治書などの専門書だった。

 当時、書物は決して安いものではない(特にドロシーが欲したような専門書は)が、それでも父親として頑張って買い与えたのだが……

 ドロシーはそれらを難なく読み解くと、

 

「ふ~ん……古典主義経済学とケンブリッジ学派(新古典主義経済学)が幅を利かせてる今なら、やりようはいくらでもありそうね。シカゴ学派も第一世代が生まれたばかりだし、ケインズに連絡とってみようかしら?」

 

 とつぶやいたという。

 彼女はそれを実行し、当時はケンブリッジ大学の研究員で経済学紙の編集だった今生のケインズ、”ジョセフ・レイナード・ケインズ”に、彼の著作である『確率論』や『貨幣改革論』の考察を書いた書簡を送ったのだ。

 貴族子女から送られた鋭い論説に興味を持ったケインズは、ドロシーを訪ねて来るのだが……それが十にも満たぬ女の子だと知って酷く驚いた。

 そして、彼女の天才性を強調して、研究者としてデビューさせるべきと父であるミットフォード男爵に説いたが、一人の父親として娘の幸せを願っていた男爵は、

 

「世間の注目に晒され、娘の人生が台無しにされるのは我慢ならない」


 と断ったという。

 まあ、後の彼女の人生を考えれば、世間の注目という意味では笑い話かもしれないが、この時はこれはこれで正解なのだろう。

 ちなみにケインズとの書簡を通じたやり取り(当然、中身は熱いラブレターではなく、物理的に厚みのある経済学意見書交換)は、終生に渡って続いたらしい。

 そして、年齢が二桁に達する頃には、父親に荘園経営の改善点を洗い出し、経営の補佐を行うようになっていた。

 だが、この時期、ドロシーに先天的な病が発覚する。

 

”未成熟性幼成体症候群”


 ”ネオテニー・シンドローム”とも呼ばれるこの病気は、死に直結するようなものではないが……第二次性徴が不完全な状態で成体になるという極めて症例の少ない、故に治療法が見つかってない病だった。

 純粋に子供の体(幼体)のまま固定されるのではない。胸は大きくなるし、生理も起きて子宮も子供が産めるようにはなるが、体格や骨格フレームは子供のまま……つまり、”歪な状態で成長が止まる”のだ。

 現代日本ならもしかしたら”合法ロリきょぬー製造病”としてもてはやされるかもしれないが、20世紀前半の英国貴族にとってはハンディキャップ以外の何物でも無かった。

 つまり、「見るからに病気の娘を娶るなど外聞が悪い」という訳だ。

 当然、ミットフォード男爵も可愛い六女の将来を儚んだ。きっと娘の「お妃さまになる」という夢は叶うことはないだろうと。

 だが、ドロシーはまだ膨らんでいない胸を張り、

 

「大丈夫よ父様! この病、人によっては”刺さる”わ! 王子様の(性的な)趣味嗜好にもよりけりだけど、使い方によってはこの上ないステータスになるものっ!!」




***




 そして、このドロシー嬢、30年代に入っても未だ未婚のリチャード王子の気を引くため、またしても破天荒な手段を用いる。

 最近、王子があまり婚活をしていない原因……政務である”ウェストミンスター憲章”の実現に向けて動いている事を正確に見抜いていた。

 これは”英王国という宗主国と植民地(自治領)”という枠組みを発展的解消し、独立採算制の高い”英連邦(Commonwealth of Nations)”への再構築を狙った動きである。

 

 意外にも、王家で主導的な役割を果たしていたのが、プリンス・オブ・ウェールズであるリチャード王子だった。

 というよりコモンウェルスの”正確な姿を知る”のが、リチャードしかいなかったため、必然的にそうなったと考えるべきか?

 だからこそ、ドロシーは、

 

 ”旧来の植民地支配体制による英国の経済的急所と弱点、来るべきコモンウェルスに関する課題の考察”


 というレポートを書き上げ、ケインズのコネも使って王子に直接届くように手配したのだ。

 そして、その内容を送りつけた後に聞いたミットフォード男爵は、顔を蒼くした。

 

 何しろ、末娘の書いたレポートは、一歩間違えば王室や英国批判にもなりかねないのだ。

 三女と四女の最近の言動も問題だが、本当に王子の目に留まったとしたら、問題のレベルが違う。

 

 そして、なんと”王子より直筆・・の返信”があったのだ。

 その内容は、以下の通りだ。

 

 ”直接、ドロシー・ミットフォードと話がしたい。バッキンガム宮殿へ参内可能な都合の良い日時を知らせよ。手配する”

 

「どうしてこうなった……」


 その内容を反芻しながら、ミットフォード男爵は同じセリフを呟いた。

 

 

 

 









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