第228話 白海にて我、立ち往生す




 この世界線は、我々の知る歴史とは異なる事象が起きることが珍しくない。



 そして、アルハンゲリスクを巡る戦いでもこの世界線ならでは(?)の”珍事”が発生する。

 そう、アルハンゲリスク港を徹底的に破壊したドイツ北海艦隊と、アメリカのレンドリース船団と護衛艦隊が、白海の入り口であるカニン半島沖でニアミスしたのだ。

 この不測の事態に、ドイツ的に言えば大艦隊の指揮官に抜擢されて鼻高々で上機嫌なチリアクス提督は、

 

「これから米国船団に国際チャンネルで呼びかける。録画と録音の準備を」

 

 部下にそう命じ、彼は水平線の彼方に僅かに見える敵艦隊に呼び掛ける。

 アルハンゲリスクだけでなく白海は既に戦闘海域、戦場であるという事を。

 即ち、いかなる安全も保障できないと。

 

「我々としては、諸君らの良識ある賢明な判断を期待する」

 

 これは、歴史書(戦史)には”最大限の善意・・・・・・をもって行われた警告であり、ドイツ海軍の良識の発露”であると記されている。

 当然だ。

 チリアクス提督は、何一つ噓は言っていない。

 むしろ、真実だけを告げていた。

 

 しかし、アメリカ船団からの返答は無かった。

 彼らにしてみれば挑発以外の何物でもなく、されど明らかに船団護衛艦隊より有力なドイツ北海艦隊と正面から殴り合うのは冗談では無かった。

 だから、無視することにしたのだ。

 幸い、ドイツ海軍に船団を攻撃、積極的通商破壊を行う気がないようで、そのまま離脱する進路を取ったことに、船団長は安堵したという。

 

 この時のレンドリース船団は、ドイツ北海艦隊の弾薬庫がアルハンゲリスクに有らん限り放った為、ほとんど空になっていることを知る由もなかったし、故にチリアクスが「主砲どころか副砲の15㎝砲弾までほとんど使い果たし、戦艦が高角砲と機銃のみで戦う羽目になる」事を嫌って離脱したなんて理解できるはずもなかった。

 

 

 

 そして、米国レンドリース船団は正しく地獄を見ることになる。

 彼らだって掃海艦を随伴させ、駆逐艦や外洋トロール船に掃海具を乗せ、それなりに対策はしていた。

 しかし、ドイツ人特有の凝り性が機雷原にも発揮されていたのだ。

 つまり、アルハンゲリスク港周辺に敷設された10万単位のドイツ製機雷を除去するには、余りにも力不足であり、経験不足であった。

 

 触雷により最初の輸送船が沈んだ時、引き返していれば彼らの命運は、もしかしたら変わったのかもしれない。

 しかし、この船団の最高責任者は、敢闘精神に不足を感じない男であった。

 それは褒められるべきヤンキースピリットであったが……だが、今回においては裏目に出てしまったのだ。

 多大な犠牲を払いながらもアルハンゲリスク港を航空偵察できる距離に入った時、愕然とした。

 この船団に関しては、護衛空母が間に合ってなかったことも災いした。

 航続距離の短い水上偵察機からの悲鳴じみた報告……

 

 ”アルハンゲリスク港が在りません・・・・・! 何もかもが燃えて、あるのは瓦礫ばかりの『港の残骸』だけですっ!!”


 全てが徒労に終わった瞬間だった。

 例え船団がアルハンゲリスクに辿り着けても、荷揚げできなければ何ら意味はないのだから。

 そして、ニアミスしたドイツ艦隊が何を成し遂げたのか理解してしまう。

 

 予感はあった。

 当然だ。

 彼らの艦隊は、”白海からの帰路・・”だったのだ。

 しかし、そこまで徹底的な破壊をドイツ人が行えるとは、誰も考えていなかった。

 多くのアメリカ海軍軍人の認識は、ドイツは「潜水艦一流、水上艦三流の二流近海艦隊」だ。

 第一次世界大戦の印象もあるだろうし、ソ連海軍相手にはタリン沖で勝ったが、アメリカ人の認識だとソ連も同じく「田舎者の三流陸式海軍」だ。

 革命以降まともな艦隊演習や訓練をした様子もなく、また大粛清とやらで育成の難しい専門職の集合体である海軍の軍人も随分と血祭りにあげられたと聞いていた。

 ならば二流海軍とはいえ、紛いなりにもまともな海軍なら勝って当然と考えていたし、猛威を振るったのは潜水艦と聞いて、妙に納得もした。

 事実、ドイツ海軍は米海軍がライバルと考える日英同盟の艦隊に比べて悲しくなるほど規模が小さい。

 「己の巨大さ故の傲慢」、何やら旧約聖書にそんなエピソードがあった気がするが……結局、米軍は自分が”ゴリアテ”であることに、そうであるがゆえに潜水艦以外のドイツ海軍を過小評価していることに気づいていなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、彼らの悲劇は終わったわけではないのであった。

 確かにドイツ軍による”直接攻撃”は無かった。

 公式に独米で開戦してないのだから当然である。

 

 だが、相手はドイツ人である。

 彼らの気質を考えれば、このままレンドリース船団を逃がす訳はなかった。

 

 確かに直接攻撃はしていない……だが、彼らの防空圏内や対潜圏内の外側では、北海艦隊から連絡を受けた米海軍が一流と認めるドイツ潜水艦により継続・・されていたのだ。無論、意気消沈するレンドリース船団の退路上・・・にだ。

 結局、米国人はタリンやアルハンゲリスクに誰が「水中から」機雷を敷設したのか理解していなかったのだ。

 満足なレーダーやソナーを持たない米国人にそれを察知する事は出来なかった。


 

 

 行くも地獄、引くも地獄……これはそういう状況だったのだ。

 白海は狭い海である。

 そして、アメリカ人はアルハンゲリスクに近づきすぎていた。

 つまり、彼らに成す術は既に無くなっていた。

 

 救難に来れるソ連の艦船はアルハンゲリスク港と運命を共にしており、一足早くドイツ軍の手により白海の底に沈んでおり、また降伏して救援を求めようにもニアミスしたドイツ艦隊は遥か彼方……既に母港のムルマンスクに着いているのかもしれない。

 

 いや、仮に降伏できた・・・としても船団がいるのは機雷原のど真ん中だ。

 ドイツ人やフィンランド人が、リスクを背負ってまで救援に来ることは望めない。

 当然である。

 そもそも、アメリカ人は最初から、「積み荷がロシア人がドイツ人やフィンランド人を殺すため武器」であることを華々しい式典まで行い公言していたのだから。

 

『お前たちを殺すための武器を満載してるが、とりあえず助けろ』

 

 などと言えるはずもなかった。

 

 はっきり言おう。

 米国レンドリース船団は白海で孤立した。

 そして、出来る手段は、艦船を放棄し機雷が反応しないような小型の脱出艇で陸地を目指すことだけだった。

 紆余曲折があり、ほんのわずかな生き残りが再びアメリカの大地を踏めたのは、戦後になってからの事であった。

 

 そして、彼らの死因の主たるものは戦闘ではなく”遭難”であった事を明記しておく。

 結局、彼らはムルマンスクを目指したレンドリース船団ほど運は無かったのだ。

 

 だが、少なくともこのアメリカ人にとっての悲劇は、後に思わぬ事態へと発展する。

 簡単に言えば……悲劇パートから喜劇パートへ転じるのだった。


 













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る